明けない夜を願う

きつね月

明けない夜を願う

 

 一人の女子が、川をまたぐ巨大な道路橋を渡っていた。

 その橋は斜張橋と呼ばれる構造で作られていて、二つ並んだHの形をした高い塔から斜めに何本も伸びたケーブルが全体を支えている。

 彼女は果てしなくまっすぐ進む道の端っこを歩いていた。辺りは暗く、川の方を向いても何も見えない。並んだ照明灯を一つずつ通り過ぎていると、向こう側にはいつまでも辿り着かないんじゃないかって気持ちになる。そう思いながら彼女は歩いていた。


 彼女は高校生だった。

 学校が終わって塾が終わって家に帰ってきて、晩飯を食べて風呂に入って明日も早いからもう寝ようと布団に入って、そのまま2時間、3時間、

 どうしても眠れずに起きていた未明に、彼女は衝動的に家から抜け出していた。

 家庭に問題があったとか、何かトラブルを抱えていたとかではない。

 それでもそのままではいられなかった。

 例えるなら流れ続けて溜まる水が、どこかに逃げ道を探すような感じだ。

 そのままではいられない。

 自分は若者で、きっとこの先には果てしない可能性が広がっている。

 それが必ずしも希望ってわけではないんだと彼女は気づき始めたのだ。

 周りには可能性を拾い損ねた人間のなんと多いことか。ちょっと駅前を見てみただけで何人、何十人とすれちがう、乾いた眼をした人たち。自分がそうならないなんて保証はどこにもないんだ。

 

 いや、このままではきっとそうなるだろう。彼女は思った。

 なぜなら自分にはやりたいことなんてないんだから。

 大人になるまでの限られた時間の中で、果てしない可能性の中から自分に合うものを見つけなければならない。それを見つけたうえで努力をして、結果を出して、ようやくそれを掴めるんだろう。

 夢を叶えるために学校を辞める人がいる。何かに取り憑かれたように部活や勉強に打ち込む人がいる。どうしてそこまでできるのか自分には分からない。その時点で既に遅れているんだ。選択肢のいくつかを選び損ねていて、もしかしたらその中に自分のものがあったかもしれない。




 彼女は歩き続けていた。

 真っ暗で見えない橋の下からは

 さらさら、さらさらと川の流れる音が聞こえている。

 川の流れのように時間は止められない。

 この身体はその水滴の一つだ。みんなそうだ。

 どんな人間も時間には逆らえない。いつかは死んでしまう。いつか消えてしまう。

 自分の意思とは無関係にこの世に存在していて、

 この世から消されてしまう。それは大きな不安だ。

 だからこそ、目指す先を知っていることが大切だ。

 いつか死ぬという大きな流れの中で

 目指したいものをしっかりと見据えていること。

 どうしようもない大きな不安の中で

 それだけが唯一の希望になる。


 それはわかっているのに。





 大事にしたくないから友達とか親には相談できない。

 だけどたった一度だけ、特に親しくもない先生を選んで話してみたことはある。


「先生、わたし、やりたいことがないんです。」

「大丈夫、焦らなくてもいつか見つかるよ。だからその時になって困らないようにしっかり勉強しておこう。」


 そう言って先生は話を終わらせた。

 その目はからからに乾いていた。




 彼女は歩き続けていた。

 夜はまだ明けない。対岸にはまだ着かない。

 明けなくていいし、着かなくていい。

 一生このままでいられたならどれだけいいか。

 もしくはこの世界の全てを知りたい。それなら選択肢を選び損ねるなんてことはないし、何より焦らなくていい。自分の目指すべき行先もわかるだろう。

 

 だけど今この目に見えているものは、真っ暗闇に点々と浮かぶ照明灯の灯りだけ。

 それなら辿り着かなくていい、夜は明けないでいい。

 願い事はそれだけだ。

 スニーカーを履いて飛び出した衝動のまま、

 何者にもならずにそのまま歩き続けること。

 あてもなく歩き続けていられること。

 

 

 明けない夜に取り残されたまま、

 彼女はそれだけを願っていた。




 



  

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