第18話
世話になる予定だった家の裏口に、置き手紙をナイフで刺してきた。
『これからお屋敷でメイドとして仕事を全うします』
誰が書いたかは家の者しか分からないだろう。手紙の通り、ビーデルは屋敷に忍び込んだ。メイドの衣装の予備を一着盗み、新人メイドに変装する。掃除道具を持ち、使用人部屋から出ると、向こうから執事長と調査兵隊の隊長と副隊長が歩いてくるのが見えた。隊長の名前は確か、ルアド・モガータだ。思い出しながら頭を下げ、廊下の端へと避ける。副隊長の視線が頭上に刺さって痛い。
「どうかしたか、オルディス?」
ルアドが不思議そうな顔で副隊長を見ている。なるほど、副隊長はオルディスというのかと、ビーデルは思った。覚えておかねばならない。
「……いやに綺麗なメイド服を着た人だなと思っただけだよ」
頭上でジョンが笑っているのがわかる。この屋敷のメイドはかなりの数がいることは分かっているが、それ以上の情報など持ち合わせていない。もし執事長が、アルデハイトの執事ヴァエスタと同じように、メイドの顔と名前を全て覚えていたとしたらーー。ビーデルは嫌な汗が一筋、背中を流れ落ちるのを感じた。
「あぁ、先程汚れたメイド服を着ていた者がおりましたので、着替えさせたのです
ご安心くださいませ、屋敷の従業員はみな、私が把握し、管理しております
出身や家族構成までも覚えていますから、何の心配もございません」
彼女の顔を確認することなく、執事長は胸を張って言い放ってみせた。口の軽そうな男だが、いい情報が手に入ったとビーデルは心の中でほくそ笑む。簡単な事だ、メイドの一人と入れ替わればいいのだ。ジョンはルアドと顔を見合わせると、疑って悪かったねとビーデルに囁き、微笑みを浮かべて二人と共に歩き出した。ほっと胸をなで下ろしたビーデルの前に、先程話にあったらしい汚れたメイド服の女が現れた。
町に来て三日が経過した。ルアドとジョンは、執事長に警備の安全性を並べられて追い出されそうになったが、なんとか国王の為だと説得して屋敷の一室を借りることが出来ていた。隊員たちは庭にテントを張らせ、昼夜問わず屋敷を警備させている。ルアドが書類の処理に一段落ついて首を鳴らしていると、ドアをノックする音がした。
「隊長様、副隊長様、紅茶はいかがでしょうか?」
この声は二人の世話をしてくれている、新人メイドのハンナだ。初めは一番の新人だからだと、影と疑っていた人物である。しかし、彼女は純粋そのもので、ジョンにからかわれていたりする様子から、恐らく影ではないと判断した。今隊員を除いて一番信用出来る人物と言っていい。ルアドには妹のような親近感すら湧いていた。
「あぁ、いただくよ」
ルアドの返事にジョンが静かに扉を開く。
笑顔を浮かべたハンナは、ジョンに一礼すると、ソファーの前のテーブルにティーセットを並べ始めた。部屋中に優しい紅茶の香りが広がる。今までずっとコーヒーばかり飲んでいたルアドだったが、ハンナのいれる紅茶が好きになり、紅茶にハマり始めていた。勿論、夜は夜更かしをする為に、コーヒーをいれてもらっているが。一緒に出されたクッキーに手を伸ばしながら、ジョンはソファーに体を預けた。
「全く出る気配がないね、影」
「"影"?」
ハンナが首を傾げる。
「あぁそうか、この言い方するのは、兵士たちくらいだからね
影っていうのは、今巷を騒がせてる殺人鬼のことだよ
国の犬以外は救世主って呼んでるみたいだけどね」
ジョンがハンナにウインクをする。ルアドは温かな紅茶が揺れるティーカップを見つめた。
「どこからともなく現れ、爵位保持者ばかりを殺し、宝石類を奪って痕跡すら残すことなく闇に消える
どこに潜んでいるか分からず、目的も分からない
それで"影"、だよ
俺たちがここに来た、そしてここに居座る理由だ」
ルアドの顔をハンナが不安げに見上げる。
「そんな人、出なければいいんですが……
きっと、隊長様たちを困らせ、悩ませている人なんでしょうね……」
「大丈夫だよ、そのうち私たちが捕まえるからさ!」
暗くなりかけた空気を、ジョンが笑顔を浮かべて弾き飛ばした。開け放たれた窓から少し寒い風が吹き込み、ハンナは慌てて窓を閉めに立ち上がる。もう秋も終わろうとしていた。
「では私はそろそろ
また後で下げに参りますね」
ハンナは二人に軽く頭を下げると扉を出る。廊下を歩いて部屋から離れると、ハンナは静かに口元を押さえた。
「はぁ〜、相変わらず慣れないんだよね……
やっぱ敵同士だし仕方ないんだけどさぁ、上手く演技出来てるか不安になるんだよなぁ」
周りに誰もいないことを確認してから呟く。彼女の口元には笑みが浮かんでいた。二人の部屋の扉を見ながら、ハンナは一層笑みを深くする。
「退屈なのも今日まで
安心しな、今晩出てやるよ
残念ながら捕まる気はないけどね!」
彼女はスカートをひるがえし、廊下を曲がって消えた。
その晩、いつものように屋敷の主人は酒蔵へと足を踏み入れた。警備の兵は増えたが、どうしても入口は知られたくない。もう一度蔵の外を確認する。誰もいないことを確認すると、ゆっくりと扉を閉めた。奥から二番目、一番下の酒樽の左側へ手を滑り込ませる。カチャリと音がすると、酒樽の板の中へその大きな体を滑り込ませた。ロウソクを持って暗い階段を降りていく。彼の毎日の日課で一番の楽しみ、それはこの秘密の部屋での金勘定である。しかし、はやる気持ちを抑えて階段を降りたのは、主人だけではなかった。
庭から聞こえる大声に、ルアドは不機嫌そうに起き上がった。居心地のいいベッドからゆっくりと足を下ろし、ベランダへと歩みを進める。ルアドが起きた音でジョンも目を覚ました。男二人で同じベッドで眠る気持ちの悪さも、順応性の高い彼らは既に慣れてしまっている。
「何だい……?」
目を擦りながら開け放たれた窓へと歩み寄る。枕を片手に引きずっているのは、彼がまだ寝ぼけている何よりの証拠だ。そんなジョンは、勢いよく振り返ったルアドにぶつかって床にひっくり返った。丁度ドアからノックなしに駆け込んで来た隊員には、ルアドが突き飛ばしたようにでも見えたのか、ドアを開けた姿勢で固まっている。
「報告!」
ルアドの隊長としての一声に、倒れていたジョンも固まっていた隊員も我に返る。
「影と思しき不審者が屋敷内を逃走中!
現在屋敷中を捜索中であります!」
ルアドは頷くと、ジョンから投げて寄越された上着を羽織った。走り出ていくジョンを追いかけようとして、ルアドは立ち止まり振り返る。いつもなら回収されてるはずのテーブルの上のコーヒーカップが、未だにそこに鎮座していたのだ。嫌な予感がルアドの中を駆け巡る。足を這い上がって来るような影の気配を振り払うように、足踏みして待つジョンの横を走り抜けた。松明の明かりしかない中を隊員たちが走り回っている。未だに見つかっていないようだ。隊の指揮をしようとした時、今まで月明かりを遮っていた雲が風で流れた。思わず眩しい空を見上げる。彼の目に映ったのは、屋根の上に佇む人影だった。月を背後にこちらを見下ろしている。自分の視線に気づいたのが、風の如く走り抜け、屋根を飛び越え、夜の闇に姿を消した。
「屋根の上だ!
あっちに向かって走っていったぞ!!」
ルアドの後ろにいたジョンが叫ぶ。彼自身もまた走り出したが、ルアドは月を見上げてため息を吐いた。あれは捕まえられないだろう。何もしてなかった農民の動きじゃない。明らかに訓練を積んだ動きだった。もし違うのならば密偵か何かの才能があるとしか言えない。やはり協力者がいたようだ。
「師範、まさか貴方ではないですよね……?」
孫から証言を得て尚、ルアドは己の師の死亡を信じることは出来ずにいた。あの人影の動きはまるで若かりし頃の師の動き、そのものだった。それ以上かもしれない。真似しようとしてどうしても出来なかった、憧れていたあの軽やかな動きだった。師の生存の可能性による興奮とは別に、僅かに生まれた別の可能性が、絶望感としてルアドの胸に渦巻き始めていた。立ち止まったまま棒のようになる足を殴ると、ルアドは隊長として足を前へと進めた。
翌日、屋敷の主人が見当たらないと聞き、ルアドは兵たちを指揮して、屋敷中の捜索をした。主人はすぐに見つかった、酒蔵の隠し部屋の中で、真っ赤な血の花を咲かせて。部屋そのものも、部屋の入口さえも誰も知らなかった。故に部屋から何が消えたかも分からない。そんな場所がどうやって見つかったかというと、酒蔵の鍵が壊されていることに気づいたことが始まりだ。今までの事件で初めて、ビーデルが破壊していたものである。扉を開けると、血の付いた布を引きずったような跡が、奥から二番目の樽へと続いていた。そしてその樽はカーテンのように、木目模様の布が両側から縛られており、樽の中には下へと続く階段があった、というわけだ。犯人候補は、隊長二人を世話していたメイド、ハンナだった。しかし、主人が死亡した翌日、ハンナは屋敷に戻ってきた。彼女は執事長に五日間の休みを与えられ、隣町の実家に帰省していたと言う。しかし執事長はそんなことを言った覚えなどなかった。彼女は疑いの目を向けられたが、町での目撃情報もあり、ハンナの無実は証明された。ハンナはルアドとジョンを知らず、屋敷の出来事を知らず、ルアドの顔に恐怖して気絶した。二人の知るハンナは、偽物だったのだ。
白百合の涙 野風月子 @tsukiko_nokaze
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