第23話

 鋭い灰色の瞳がカエンを射る。返り血を拭いながら見上げた薄暮の空。命からがら敵から逃れた茜色の夕空。陣形を整えつつ、馬上でくだらないことを言い合い、笑い合った朝焼けの空。

 数え上げれば際限なく思い浮かぶどの空の下でも、二年間常に傍らに在った男に感じていたのは紛うことなき友情だ。しかし、今眼前に横たわる男に感じるのは、行き過ぎた友情とは違う何かに違いなかった。

 見知らぬ子供の拙い言葉に何故か溢れた涙のようにまったく唐突にどこかから湧き出した感情はカエンを面食らわせたものの、なぜか同時にいとも容易く腹に落ちた。

 清々しくもない、純粋でもない。いっそ忌むべきものとさえ思えるこれは、しかしヴァレリーが抱え込んだものと同じかそうでなくても近しいはずだ。

「俺に想われることに慣れろ」

 呟くと、ヴァレリーの顔がくしゃりと歪んだ。月光に光る涙は宝石のように美しかったが、ヴァレリーとの関係は綺麗ごとでは済まないだろう。

「公にすることも、子を生すこともできない。それがいつかお前の重荷になるかもしれない。だが、それにも慣れろ」

 裂いたシャツの隙間から手を差し入れ、肌に触れる。ヴァレリーがびくりと震え、濡れた頬に髪がひと房落ちかかった。

「いつかお前を連れて国へ帰る。カルグーンの空は、高くて青い。どうしてもお前に見せたい」

 切羽詰まって掠れた声が何か唱えたが、それが返事かどうか、そもそも言葉かどうかも怪しかった。括られたままの両手を頭上に掲げたヴァレリー本人も、多分分かっていないだろう。焦点を結ばない瞳はカエンを通り越して何か別のものを見ているようだった。


「あ、あぁ、あ──」

沈めた指で掻き回す度、ヴァレリーの唇から甘く濡れた声が溢れる。

 決して女のそれのように高くはない。聞き間違えようのない男声であるのに、掠れたその声に覚えるのは嫌悪ではなく興奮だった。

「ヴァレリー」

「ん……っ──い、あ……ぁ!」

体内の硬くしこった部分を強く押すとヴァレリーは斬り付けられでもしたように跳ね、悲鳴を上げて体内を探る指を締め付けた。

 張り詰めた切っ先でヴァレリーの入り口に触れる。他人の身体に飲み込まれていく己の一部を不思議な気持ちで眺めながら、カエンは浅くなる息を必死で整えた。

 叫び出したくなるくらいゆっくりと中に収めて引き摺り出す。身体の下から聞こえる悪態を聞き流しながら繰り返すうち、文句と罵声は酷く淫らな喘ぎに変わった。

 蕩け切った身体を激しく突き上げる。淡い光に照らされ、汗ばんだ肌が淡く光っているように見えた。上下する喉仏、シャツの下で動く腕の筋肉、晒された内腿のやわらかな皮膚と、引き攣る筋。

 奥まで貫かれて揺さぶられながら、ヴァレリーは彼の神の名を叫んだ。快感に曇った灰色の瞳からも、そそり立つ自分自身からも涙を零しながら。

 ヴァレリーの肢体は、草原を駆ける馬体が躍動するその様を想起させた。白い肌は馬のそれとは似ていないはずなのに、カエンにとって愛してやまないふたつのものは何故か互いを連想させる。

 ヴァレリーが何かを叫び、縛められたままの両手でシーツをきつく掴んで引っ張った。震え、強張る身体に圧し掛かり、まだ走れるはずだと彼を駆り立てる。耳の中で轟々と荒れ狂うのは風かそれとも身体を流れる血の音か、ヴァレリーへの抑え難い想いなのか。

 幾つもの光が爆ぜ、瞼の裏に焼きつき虹色の残像が躍る。暗闇の向こうの白い光。その中に雄叫びを上げ剣を振りかざすヴァレリーと、彼を背に乗せ疾駆するアレクサンドラの姿が確かに見えた。

 生き生きと草原を駆ける彼と並んで駆ける己の姿を確かに見て、カエンは口元に笑みを浮かべた。



 翌朝、ナットは文字通りカエンに首根っこを引っ掴まれたヴァレリーの無愛想な謝罪を受け入れ、老人には晴天が眩し過ぎると言い訳をして目尻を拭った。

 その日の昼、アナトールはカエンからすべての事情を聞かされ言葉を失い、カエンが立ち去った後も暫くその場に突っ立っていた。気が付いた時には頭に小鳥が止まっていたが、幸い糞は落とされていなかった。

 数時間後、アナトールはヴァレリーに向かって思わず結婚おめでとうと口走った。

 長い長い無言。アナトールが失言を後悔するには十分な時間が経った後、ヴァレリーは唐突に、美しく殺気を孕んだ笑顔で、彼にしては礼儀正しくありがとうと返して寄越した。

 直後にどこかからカエンの悲鳴が聞こえたが、アナトールは聞こえないふりをして足早にその場を立ち去った。


 そしてそれから数年後。言葉通りカエンはヴァレリーを東方に伴うことになる。

 あの、群青の空の下へ。

 

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群青走躯 平田明 @akeh

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