アンドロイドは独白しない3

『月とウミガメ』


 クラブ奥にある小さなステージで、ある物語が繰り広げられた。

 もう何も驚くまい。瀬戸口はただじっとその演目を見ている。今日かき集めた物語の言葉達。

 少年少女が羽織るそのきらびやかな衣装も、見慣れたものだった。この間の事件で使われたものと瓜二つだ。近くで見ないとわからないが、恐らく縫い込まれた魔術まで同じ。だけどそれを着ても、演者達は呪いに支配されているとは思えなかった。


 瀬戸口はチラシに視線を落とす。演出に鮫川の名前が書かれている。鮫川は何か知っている風だったが、瀬戸口を客席に案内するとさっとどこかへ消えてしまった。

 舞台は拍手の中、幕を下ろした。

 ぱっと客席が明るくなる。


「久しぶりね」


 全く気配を感じなかった。当たり前のように、隣の席に彼女が座っていた。


「……ああ」

「完成した?」


 彼女は微笑んで、瀬戸口の持っている本を指差す。


「ちょうど今、エンディングを知ったよ」


 瀬戸口は動揺を隠しながら、静かになった舞台上を見やる。


「悲しい話は苦手だ」


 瀬戸口は本を彼女に返す。彼女は慈悲深い眼差しで本を受け取り、その表紙を見つめる。


「そう? 悲しい物語は誰かに寄り添うこともできるし、誰かを闇の底へ引きずり落とすこともできるわ」


 伏し目がちに表紙を撫でる。古びた装丁が艶々と光り始めた。


「ポテンシャルは同じ。結局生きているのは人間の方だから」


 顔を上げて、美しい顔でこちらを見る。計り知れない、瞳の奥が深すぎて。肌の表面からチリチリと侵略されそうだ。瀬戸口はそれに微々たる抵抗をしていたが、彼女がふわりと笑うともうだめだった。心臓の中央が鷲掴みにされたように、甘く苦しい。


「……聞きたいことは山ほどあるんだ」

「答えられるかわからないけど、場所を移しましょうか」


 気づけばそこは薄暗いバーで、異様に大きな月の輝きが窓から降り注いでいた。

 目の前にある二つのカクテルに、星空が揺らめいている。

 グラスの水滴を拭う彼女の指先にも、光を弾く星空のネイル。君が触れたところから世界が息づく、まるで意思を持つように。


「名前」


瀬戸口はカクテルを持ち、夜空に口をつける。


「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「慶はすぐ嫌になってしまうでしょう」

「……俺のためなのか?」


 この掴めないやりとりも霧のような存在も。


 人に期待しては勝手に失望して、裏切られたような気持ちになる。ならば最初から期待しなければいい。

 好き勝手に募らせる好意は、相手を本当に見てはいない。そんなことはわかっている。わかりきっている。だけどそうでもしなければ、世界は驚くほど無味無臭で、砂を噛むようなものだろう。

 こんなに心も体もいうことを聞かない。恋い焦がれる光に焦点を当て、生きる希望を身勝手に寄せる。不安定で不確実。

 蝋燭の炎のようなものだ。それがふっと消えてしまうことを、絶望と呼ばずに何とする。


「俺は恐いのかもしれない」

「消させないわ」


 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳の深度。それは海のようでもあり、空のようでもあった。

 瀬戸口は目を瞑り、先程も雑踏で聞いたその言葉を、心身及び魂に定着させるように滲ませる。それだけが救いの一言、それだけが。


「あの衣装……、君はどこまで」

「呪いも着こなせば己が力となるのよ」

「酒を飲んでも飲まれるな的な話?」

「ふふ、まぁそうね」


 彼女が笑うと夜空の星が落ちてくるようだ。

 盃を交わし他愛ない話などすれば、現実感が増し、彼女がずっとここに、自分の傍にいてくれるのではなんて錯覚に陥ってくる。


 ふと彼女が立ち上がり、誰もいないカウンターに向かった。並ぶ瓶を選んでいるようだ。

 戻ってくると、金木犀の匂いがふわりとした。猛烈な違和感に襲われる。夏の終わり。胸が締め付けられる。


「君は、」

「秋を呼んでいるの」


 変わらない微笑み。


「君は、誰なんだ」


 彼女がグラスにワインを注ぐ。


「あなたが私を探すたび、私はより私になれる」


 勝手に涙が溢れる。

 目の前のグラスを二つ残して、彼女は消えていた。





『月とウミガメ』


 一匹のウミガメが、海面から夜空を見上げています。

 夜空には満天の星と大きな満月。ウミガメは月に恋をしていました。


 息を吸うため海中から空に向かって泳ぐたび、その想いは強くなるばかり。だけど海と空の間には、大きな隔たりがあります。


 ある日、やけに静かで波音すら聞こえない夜。冷たい海水はとても透明で、鏡のように月光を写していました。

 ウミガメは水面の月光を見て、月が会いに来てくれたのだと思いました。それはどうやっても叶わないことだとは知らず。

 海の中に月がいると思ったウミガメは、深い深い海底に向かって潜っていきます。ウミガメが月の影を追って潜るたびに、天上の月はなお輝きを増します。


 やがて呼吸も忘れ、己の体の輪郭もわからなくなった頃、ウミガメは海の底で静かに眠りました。

 夜空の月はどこか悲しそうに、だけど以前にも増して強く輝いていました。



おわり

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氷山の旗 ~君の地獄はどこから?~ 柚峰 @yuzumine

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