アンドロイドは独白しない2

 翌日、とりあえずその栞にあった店舗を訪ねてみることにした。その前に、昨日夕食を食いっぱぐれたのでホテルのモーニングブュッフェでしこたま食べて、珈琲で流し込む。そんなに期待していなかった瀬戸口は、ベーコンエッグとパンが美味しくて二度食べた。気に入るとそればかり食べてしまう。きららは澄ました顔で紅茶を飲み、ヨーグルトと林檎を食べていた。


 住所を確認したきららは、ここから目と鼻の先ですよと先導した。ホテルを出て、商店のある路地裏を抜け、少し猥雑な裏町に出る。住所は煤汚れた雑居ビルを示していた。


「直接ここではなさそうですね」


 きららはそう言いながら、そっと雑居ビルの玄関を覗き込む。奥は薄暗く見通せない。玄関の郵便受けは荷物で溢れ、掲示板には様々な紙が貼り付けられている。店舗は一階にあるようだが、現在営業しているとは思えなかった。

 瀬戸口は掲示板を見て、アッと声を上げた。


「どうしました?」


 きららが駆け寄って戻ってくる。期限切れの張り紙に混じって、あの本の一ページが貼り付けられていた。日焼けして端の方など朽ちかけている。

 瀬戸口はページがこれ以上破れないように慎重に剥がして、持ってきたファイルに入れた。


「怒られませんか?」

「誰に? そもそも勝手に貼ったんだと思うけど……」


 その時、玄関の奥からゆらりと人影が見えた。こちらに近づいてくる。闇に紛れていたその輪郭がだんだんはっきり見えてくる。

 いかにもいかついスキンヘッドの男が、訝しそうな目付きで瀬戸口達を睨んだ。


「何か用か?」

「いえ、どうやら場所を間違えたようで。お邪魔しました」


 瀬戸口がさっさと踵を返そうとすると、スキンヘッドの男は掲示板をじっと見てから視線をこちらに戻した。


「お前か。次、人力車だってよ」

「……ありがとうございます?」


 頭を下げ、そそくさと明るい大通りに出た。朝日が眩しい。


「知ってる風でしたが、もっと詳しく聞かなくてよかったのですか?」

「男の後ろ見たか? あれ以上関わってはいけない」


 きららは何にもなかったと思いますが……と言いながら、早足で歩く瀬戸口に追い付く。



 人力車、しか次のワードはない。しょうがないので瀬戸口は雷門の前に立ってみる。そして片っ端から人力車のお兄さんに本を見せ、何か知らないか聞いた。とんだ営業妨害であるが、笑顔のまま知らないなぁと答えてくれる人が多かった。道など聞かれ慣れているのだろう。そして片っ端から乗ってけよと薦められるのを断り、町内を一周した。


「いっそ乗ってみては?」


 きららは二日目のりんご飴を舐めながら、瀬戸口を見上げて言う。


「乗ってみたいだけでは?」

「バレましたか? いや、何かわかるかもしれませんし」


 それもそうか、と最後に掴まえた人力車に乗ることにした。見慣れた町の風景を、今までにない視点から見るのも新鮮だ。視点や角度が違えば、町も知らない顔をむくむくと見せる。一瞬の何でもない景色が心に残って、哀愁とともに刻み付けられる。


「地元の人なんですね。じゃあ俺より詳しいでしょ」

「いえ、生活圏内なんてたかが知れているので。最近は離れていたし……」


 風景が流れる。人々の笑い声、ハレの場と混じる日常の匂い。


「その本はどんな内容なんですか?」

「何だか悲しい話で……」


 物語をかいつまんで説明する。

 人力車のお兄さんがはっとした顔で振り返った。


「あれ! 俺、その話知ってます。前にお客さんが話してくれたような……」


 どんな話だったか聞き出すと、瀬戸口が持っている本の内容とほとんど同じものだった。穴抜けになっていた箇所が埋まっていく。スマホにメモして、人力車を降りた後、紙を見繕って書き移した。あと抜けているのはエンディングだけだ。


「あと少し」

「でも、ヒントが途切れちゃいましたね」


 瀬戸口は確かに……と辺りを見回す。昼過ぎの町は賑やかで、その人混みをどれだけ見つめても彼女の影は一向に見つからない。第一、本が完成したとして、それでどうするのだろう? この物語から待ち合わせるための手がかりを読めるとは思えない。だけど、もう手の中にある以上、完成させるしかないだろう。



 腹ごしらえに蕎麦を食べ、本を読み込む。

 これは悲しい話だ。世界は悲劇に溢れているというのに、わざわざ悲しい話を読む気がしれない。


 もはや手がかりを探しているのか、観光しているのかわからない。

 日が暮れた頃、瀬戸口の足はあるクラブに向かっていた。それは日本を離れる直前に訪れた店であり、彼女と初めて出会った場所だ。気は進まない、だけど体は答えを知っているかのように歩みを止めない。

 瀬戸口はちらりときららを見下ろす。


「先に帰ってくれるか?」

「嫌です。何故ですか?」


 見るからに未成年な見た目の少女を連れて入り、会う人間会う人間に説明するのはかなりめんどくさい。


「爆音でうるさいだろうし」

「何も問題ありません」

「あー、なんというか大人な場所だし。あんまり、な」


 きららは何かを察知した表情で、自分の手などじっと見つめる。

 話しながら歩いていたら、店の入り口まで来てしまった。


「ここまで来て、私だけ帰れと?」

「スマホに乗り直すにしても、その身体を預けるところがないし……」


 見るから最大限にむくれた顔で、瀬戸口を睨み付けている。

 ふと、店の入り口の隣にある幟が目に入る。AI搭載人型、レンタルサービス、種類豊富、などの文字がけばけばしい原色で描かれている。瀬戸口の一瞬の視線によって、きららもそれに気づく。しまった、と思ったが遅かった。


「……身体預かってもらえるかも」

「だめだ」

「レンタルってことは、大人の身体も」

「絶対だめ」


 きららは口をむんと尖らしたかと思うと、捲し立てるように訴えてくる。


「何故ですか、大人の身体を借りられれば一緒に店に入れるし、この身体も安全に預かってもらえるでしょう。どこに問題があるんですか」

「俺が嫌」

「そんな、だからその理由がわかりません」


 人こそいないものの、店前でにらみ合い状態が続いた。夜は一刻と更けていく。


「……命令するんですか?」

「命令はしない」

「じゃあ」

「命令はしないけど、俺は絶対嫌だ。わかった、ここから別行動にしよう。先にホテルに帰るも、レンタル店を使うも自由だ。だけどそのどれかで俺が口をきかなくなっても、きららのお土産を買わなくなってもそれも自由だ。自由意志万歳」


 じゃあそういうことで、と瀬戸口はぽかんとしているきららを置いて店へ入っていった。


 薄暗い店内を進むと、音と光が跋扈しているフロアが広がった。

 カウンターに行き飲み物を注文する。様子をソファー席からざっと見た。累々しがらみが躍り狂っている。見た顔がちらほら。だけど、彼女の影は見当たらない。まぁ早々に見つかるとも思っていなかった。

 中央のフロアから死角の席で、酒をちびちび飲む。鞄の中には例の本。


 自分でもふっと白ける時がある。一体何故、未完成の本を抱えて故郷をさ迷わなければならないのか。誰もいない仲見世商店街の真ん中で、ぽつんと立つ子どもが見える。朝日だろうか、闇がじわじわと溶け青い光が空を染めていく。その手中の物語だけが真実か。

 彼女はこの本に対して何の魔術も使っていない。貼り紙や人力車にしても、普通に貼って話して散りばめただけだろう。それが何を意味するのか。


 珍しくアルコールが回ったらしく、瀬戸口は暗澹たる気分になっていた。

 ふっと一人の女性が近寄ってきて、声をかけられる。


「お兄さん、一人?」


 瀬戸口は機嫌を取り繕うこともなく、じっとその女性を見上げた。躍り狂う人波から出てきたわりには、落ち着いた雰囲気と表情をしている。多分、知らない人間だ。


「探し物をしているんでね」

「一緒に探そうか?」

「いや、遠慮しとく」

「そう、残念」


 女性はすがるような視線を残し、去っていく。

 瞳の奥で微か明滅するように光が揺らいでいた。多分、人間じゃない。

 瀬戸口は思い当たって、小さくため息を吐いた。少なくてもお土産はなしだ。


 雷のようなリズムの曲が鳴り響いたかと思えば、DJとプレイリストが変わったらしい。

 今度はこちらに大柄な男が近付いてくる。今度は知っている人間だ。


「よぉ! 瀬戸口じゃねぇか、ええ? いつから日本に帰ってたんだ? 連絡くれよつれねぇなぁ!?」


 轟音の曲に負けないぐらい叫んで話しかけられる。そういえばうるさい中でも、不思議と普通の声で通るものとそうでないものがある。


「あー、久しぶり。遅い夏休みでちょっとね」

「せっかくだ、飲もうぜ!」

「いや、今日は用があるから。それに鮫川も忙しいだろ? 支配人継いだんだから」


 鮫川はアメリカンジョークみたいな手振りをして、どうだか?と笑う。中学から顔は知っているが、特筆するほど仲がよかったわけではない。


「今日はあいつらも来てるぜ、こっちに呼ぼうか?」

「いややめてくれ、むしろ隠れてるんだ」

「何だよ。イギリスはどうだ?」


 こちらのそっとしておいてほしいなんて気配を一ミリも考慮せずに鮫川は喋り続けた。


「暮らし始めたら日本と変わらないさ」

「またまたぁ、どうせお洒落に毎日紅茶でも飲んでるんだろ。あ、珈琲党だっけか? そうそう珍しい酒が入ってるんだ、持ってくるから、そこ動くなよ!?」


 鮫川は騒がしくカウンターに向かう。彼の視線がこちらから外れたのを確認し、瀬戸口は席を立って人混みに紛れた。


 乱反射する音が、打撃に近い勢いで当たっては弾けていく。光が客を舐め上げるように何度も降り注ぐ。人の顔、顔、顔、息切れと熱。掻い潜りながら、探す。本当に彼女に会いたいのか? 背後から自分の声で囁かれ、はっと振り向く。存在していない。


 人々は勘違いしている。

 対面して目を合わせたからといって、言葉を交わしたからといって、それで誰かと会えたことにはならない。自分の真実を晒しもしないで、わかり合ったような気になっている。互いの真実が交差した時の甘美な痺れを知らない。

 会いたいさ、会いたい。例え全てを知ってしまって、この激しい恋慕が消えてしまうかもしれないとしても? ああ、そうか、だから俺は。


「消させないわ」


 どこかで彼女の声がした。ばっと辺りを見回すが、姿は見えない。だけど一度認識した気配は、いつまでも漂っている。

 瀬戸口は一度、人混みを出た。そこに鮫川がいて、不敵な顔で笑っていた。


「あそこにいろって言っただろ」


 両手に酒瓶とグラスを二つ器用に持っている。


「一杯でいいから付き合えよ」

「ああ」


 グラスに注がれた酒を飲んだ。舌先から痺れるように甘い。

 鮫川は得意そうに美味いだろ?と言って笑っている。


「瀬戸口はいつもどこかに行ってしまいそうな顔をしてるよな。心ここにあらず」

「別にそんなことはない」

「まぁ実際イギリスまで行ってしまうんだから」


 瀬戸口は先程察知した気配を逃さないように意識を向けつつ、何か言いたげな鮫川の話を聞いた。


「勝手に過去にされた俺達も、相も変わらずここで生きてるんだよなぁ」

「だから過去にした覚えもないって」


 ちゃぷちゃぷと酒瓶を揺らしている、まるで言葉をどう転がそうかと持て余すみたいに。


「まぁそんな親しくもなかったか? 俺は一方的に腐れ縁だと思っていたが……」

「筆不精なのは認める。何が言いたい?」


 イギリスへ行った当初、ちらほら来る便りを総無視していたのは事実だ。だけどそれは余裕がなかったから。門出を祝ってくれた恩を忘れたわけではない。


「別に言いたいことなんてないんだ」

「すごいごつい図体で重い女みたいになってんぞ」


 鮫川はけらけら笑って、二杯目を注ぐ。


「どこに行こうが何をしようが、お前がお前である以上、同じものを集めるんだぞ」

「なにその呪いみたいなの」

「だけどそれでいいじゃねぇか、変わりたいのか? お前はお前でいいじゃねぇか」

「酔ってきてるな? 俺はそんな大衆歌みたいなことを聞きに来たんじゃない」


 瀬戸口は呆れて、注がれた二杯目に口をつけた。でろでろしていた鮫川が、不意にしゃんとしてこちらを見つめてくる。


「知ってんよ、探しに来たんだろ? ここで最後に会った人を」


 瀬戸口ははっとして顔を上げる。鮫川は机の上にスッと一枚の紙を出した。


「今夜は俺のステージだ! 奢るから見て帰れよ」

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