アンドロイドは独白しない1

 思い返せば、よくぬいぐるみや人形に話しかける子どもだった。彼らは声に出してこそ返事をしないが、こちらが滔々と喋り続ければ言葉や想いを返してくれる。

 別に寂しかったわけではない。

 うちの子は人見知りで、という母の声が浮かんでくる。

 別に人見知りなわけでもない。

 数多出入りする人間の顔に興味がないだけだ。忙しなく働く両親の背中をぼんやり眺めて誇らしく思いながらも、自分には関与できないことだという諦観を早々に決めつけ悟り、手のひらに得た世界に潜ることで生きてきた。これまでも、これからも。


 ところで現在、目の前でうろちょろしながらああだこうだ言っている懐かしいぬいぐるみをどう捉えるか。


「動いてるんだよなぁ、しかもうるさい」

「何か言いましたか?」


 瀬戸口ときららが乗っている飛行機は、イギリスから日本に向かう便だ。空の旅は長いが快適で、眼下の大海も大陸も他人事のように遠い。


「いやぁ、びっくりしましたよ。人も物も揃えておいて、全くまとめられないんですから。言い出しっぺなのに……、先が思いやられますね」


 ふわふわの曖昧な形をしたぬいぐるみに乗っているきららは、そうぶつくさ言いながらトレイの上をうろうろしている。さっきから飲みかけの珈琲にぶつかりそうになっていて、瀬戸口はひやひやした。


 何故いつものように少女の体を使わないのかというと、飛行機のチケットは一枚だからだ。AIだと言えば一枚分で通れるのか知らないが、席はひとつだろう。ずっと少女を膝の上に乗せている絵面のやばさと物理的苦行を想像し、スマホの中にいろと言ったが聞かず、妥協点がそのふわふわだ。

 荷物の中に少女の体は仕舞われているので、向こうに着いたら乗り換える気満々なのだろう。


 瀬戸口は深くため息を吐いた。そもそも今日、きららを連れてくるつもりはなかったのだ。


「ちょっときらら、あんまり動き回るな、酔う。発案したけど専門外だし、いきなりうまくはできないって。作れたからと言って全員に効くかもわからんのだし」

「彼女の歌声には治癒能力あるんでしょう」


 ふわふわはごろんと寝転ぶ。

 誘拐事件後の支援センター設立と音源作成は難航していた。瀬戸口はそれらを一旦置いて、今日から夏期休暇を取り日本に帰省。きっかけはある人からの手紙だ。まるで逃げるように。彼女はいつも理由を演ずる。


「難しいんだよ」

「がんばって」


 きららは眠ることのない小さな目を閉じて、大人しく丸まった。



 長時間のフライトを経て、空港に着いた。久しぶりの故郷に大してこれといった感慨はない。

 瀬戸口は土産屋を横目で見て、帰りに海野にも何か買って帰ろうと思い付く。彼はデータ以上の日本をあまり知らないだろう。職場や警察には……、無難なものがいいだろうなと視線を一巡させた。


 電車を乗り継ぎ、実家のある浅草界隈へ。早速少女の体に戻ったきららは、あちこちを物珍しそうに見てやいやい言っている。


「瀬戸口! 瀬戸口の生まれたところは面白いですねぇ」


 雷門を前に、屋台で買ってもらったりんご飴を舐めながらはしゃいでいる。これぞ観光客という体現に、瀬戸口は少し笑ってしまった。


「家からスカイツリーも見えるよ、すぐそこだ」


 雑踏を潜り抜け、商店が並ぶ路地に入る。もんじゃ焼きと旗をなびかせる店の戸をからからと開けた。


「いらっしゃ、あらぁ! 帰ってきたの!」


 振り返って明るいすっとんきょうな声をあげた母と、キッチンの奥から飛び出てきた父に迎えられる。そういえば事前に連絡するのを忘れていた。何故この二人から俺が、というほどテンション高く喜ばれる。

 部屋のある二階に上がる前に、懐かしい味をきららに食べさせようと席に座った。


「その子は……、まさか隠し子」


 はっと深刻な表情を見せる母にツッコミが追い付かない。


「年月逆算してよ、無理だろ。AIだよ」

「きららといいます。慶のご両親にお会いできて嬉しいです」

「へぇー! ぱっと見人間と変わらないね。きららちゃん、いつも瀬戸口がお世話になっています。この子こんなだからサポートするにも大変でしょう、こんなだから……」


 母ときららは和気あいあいと喋っている。もんじゃの生地を持ってきた父がきららをじっと見て、先程と同じやりとりをした。瀬戸口は二度疲れた。似た者夫婦なのだ。


「いや本当は連れてくるつもりなかったんだ。観光したいとか何とか言って聞かないから。こんなことで命令するのも嫌だし」

「命令されるの嫌です……」

「おまえこんな小さい子に命令って!」

「いや見た目通りじゃないからね、めちゃくちゃ賢いし馬鹿力なんだぞ。いや馬鹿力にしたのは俺だけど」


 他の客が生暖かく見守る中団欒を一通りやり、懐かしいもんじゃ焼きを食べ、メニューに英国風もんじゃと紅茶を見つけて二度見して、瀬戸口ときららは二階に向かった。

 瀬戸口の部屋の窓からは、前方の建物と建物の間からスカイツリーが見える。きららはそれをしばらく眺め、いい家族ですねぇと呟いた。


「お二人とも優しいし、私を娘だと思うって言ってくれました」

「それはなにより。下町人情を地でいくからなぁ」


 瀬戸口は荷物を開けて整理しながら、きららの顔をちらと見た。何やら遠い目をしている。


「自分、の前に誰かが存在するのは不思議です」

「……いいことばかりでもないけどな」


 きららは窓の外から視線を外し、壁にかけられたボードなどを眺めた。かけっぱなしにしていたが、大学時代の写真や何か記念の紙切れ、過去の目標であろうイメージの断片などが貼り付いたままだった。


「恥ずかしいからあんまり見ないでくれるかな」

「もう保存されてしまいました」

「ああ……」


 瀬戸口は消せとまでは言えない。ボードを見て、その頃を何となく思い出す。とにかく脱出したかったことを。それが何からなのかは今でもわからない。



 その日の午後、待ち合わせ場所に指定されたカフェで誘拐事件の被害者であった女の子とその親に会った。それは手紙に書かれていた要件二つのうちの一つ。礼を言われ、支援センターのこともまだ未完成ながら伝えられた。


 女の子はイギリスの同じ誘拐被害者達と比べれば元気そうで、瀬戸口は少しほっとする。

 恐る恐る、その幼い瞳に聞いた。


「君は、帰ってこれてよかった?」

「もちろん。本当に感謝しています」


 そうして夕暮れがカフェの窓に滲む頃、女の子は一冊の分厚い本を瀬戸口に渡した。


「これは?」

「ええと、おねえさんから預かっていた本です。渡してって」


 彼女のことを指しているのだろう。拐われたこの子を助けてくれと依頼してきたのは彼女だ。

 未だ名前も知らない、なのにその一声ではるばる数年ぶりの帰省を果たしてしまうほど想ってしまう人。もしかしたらそれは、知らない、からなのかもしれないが。


 瀬戸口は礼を言って、本をぱらぱら捲った。挿し絵付きで、何か童話めいた物語が書かれている。途中、数ページ抜けていることに気づく。


「あなたが完成させて」


 瀬戸口ははっとして顔を上げ、女の子の顔を見る。まるで一瞬、彼女が乗り移ったかのような口ぶりだった。


「って言ってました」

「そうすれば会えると?」


 女の子は首を傾げ、それは知らないと小さく言った。



 瀬戸口ときららは親子と別れて、予約を取っていた駅前のホテルに向かった。

部屋に着いて椅子に座り込むなり、先程の本を読み耽る。きららは窓際で東京の夜景を見下ろし、瀬戸口に話しかけようとするがその様子を見て口を閉じた。もう聞こえないだろうという判断だ。


 ふう、と一息ついて、本を閉じる。穴抜けだがだいたいの筋はわかった。

 本から立ち上がる彼女の気配にくらくらしながら、目を閉じて手紙の内容を反芻する。親子と会う要件の他に、その依頼報酬を渡すという一大イベントが刻まれていた。

 報酬なんて別にいらない。口実に会えればそれで。

 だけど手紙には、その待ち合わせ場所も時刻も書かれていなかった。


 瀬戸口は目を開け、本を眺めながら表紙を撫でる。これを渡されたということは、ここに手がかりがあるとみて間違いないだろう。今のところ物語自体からは読み解けないが。

 挟まれていた栞をつまみ、表裏を確認する。店舗の宣伝と住所が書かれており、それはこの辺りのものだった。


「読み終わりましたか?」


 喉が乾いたなと思い、立ち上がろうとした。ちょうどきららに声をかけられる。その手には水の入ったカップ。


「ああ、ありがとう。明日会ってくる」

「会えるんですか?」

「多分これがそうなんだろ、まだわからないけど」


 きららは本をじっと見つめ、不可解だという表情を示す。


「毎度まどろっこしいですよね」

「きららは明日お留守番な、実家にいてくれてもいいし」

「私がそうすると思いますか?」


 瀬戸口は思わない、と呟いて眉間に皺を寄せた。きららは小さな手を出して、本を見せろと視線で訴えてくる。


 しばらくの沈黙の後、瀬戸口はきららに本を渡した。


「別についてきてもいいけど、迷うのに付き合わされるのも嫌だろ」

「全く嫌ではありません。それに私を実家に一日中置いておいたら、もれなく両親の姿勢を学習してしまうと思います」

「それはとても困る」


 瀬戸口は伸びをして、シャワーに向かう。ちらりと見やった窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。

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