第13話

 夢幻の鳥籠から、現実のホテルの一室に抜け出してからが大変だった。

 犯人であるマントの男は自爆した。だけど彼の残した呪いは今だ根強い。戸惑う被害者達の身体に染み込んだそれを解くためには、後日ラボに来てもらうしかない。解除の術を刻んだ拳銃を撃ち込めば早いといえば早いが、瀬戸口はもうそうやって解く気は起きなかった。


 挙げ句に社長とアリアは帰ってからずっと言い合っているらしく別室は剣呑な雰囲気で、そちらはペルラがなだめている。

 こっちはというと帰ってきた途端に暗黒面へ落ちそうな人を前に押し問答している。鳥籠からは警察によって次々に被害者が助け出されていた。ざわざわと動く人影、虚ろな瞳。

 呆然と虚空を見つめるソフィアは、今にも自ら消えそうな雰囲気である。

「友人なんだろ?」

 瀬戸口が騒がしい廊下の先に目配せして尋ねる。

「彼女は生きなきゃいけない。きっと父親とも和解できる。何より、彼女の歌声には人々を癒す力がある」

「君だって関わってる」

「私なんて代用品でしかない。壊れれば変えられる部品の一つ。」

「大なり小なり皆そうだろ」

「だってもう、壊れちゃったのに。全てが無意味だった」

 きららが近寄ってきて、首を傾げた。

「そういえば、預かっていたものを読み上げます。『毎月雑誌付属の音楽を頼りに眠っていたのですが、今月から何か変わりましたか? また不眠に逆戻りです。戻してください』『同じシリーズだと銘打つなら同じクオリティで作ってくれないと困る』など。これはあなたが担当していた、回復音楽シリーズの雑誌に寄せられたクレーム。編集する人が拐われたから、今他の社員が代理して編集してるみたいです。人間って知らないうちに誰かを救ったりしてるんですね~、ピタゴラスイッチみたい」

 きららは一気に言うと、にこりと女性に笑いかける。

「無意味、ではなかったみたいだけど。あと別に意味なんていらないだろ、何のための意味? 誰のための世界? 気をぬけば物語は安易に君を矯正させようとしてくるよ、別に抗ったっていい。利用してもいい」

「何の話?」

 瀬戸口は、さぁ?ととぼけてため息を吐く。とにかくラボにつくまで変な気は起こさないでくれと付け加える。


 別室から社長とアリアが入ってきた。全ての反抗期を濃縮して浴びせられている社長は、困惑と憤りを隠せないようで不機嫌な表情だ。

 アリアはソフィアのところへ駆けつけ、よかったと小さく呟いて抱きついた。


 音楽院に留学したいとか何とかそういう話らしい。結婚相手も自分で決めると。まず別のところで就職して進学の貯金をする、オーディションも受ける。

 社長は半笑いでそれらを聞き流して言う。

「世間知らずのおまえが上手くやれるはずがない。誰に何を唆されたのか知らないが」

「そうかもしれない。そうだとしても、可能性は全て試すと決めたの」

「今の婚約相手が気に入らないなら、他の相手を探してきたっていい」

「違う、そういうことじゃない」


 後ろでペルラがやれやれといったジェスチャーをしている。

 瀬戸口は閃き、親子の会話に割って入った。

「思い付いちゃったんだけど、帰って俺らを手伝ってくれない? 君の歌声には治癒能力があるらしいし、君はそういった音声編集が専門だと、これは運命じゃないか。この事件、犯人逮捕したからって解決する類いのものとは思えないんだよな。君達の力を貸して欲しい。ラボの所長に頼んで、PTSD支援センターを作ろう。事件被害者、もしくはあの笛の音を聞いてしまった人達が主な対象だ。大元癒していかないと、俺は解けるけど癒せないし」

 周りの全員が、一旦ぽかんとした顔で瀬戸口を見た。はっとして、君は何を私には無理それはぜひ、とがやがやそれぞれの反応を示す。


 一人の警官がさっとペルラのそばに寄って、小声で何かを伝えた。すぐさま空になったはずの鳥籠を覗く。そこには幼い兄妹が残されていた。というか出るのを拒否していた。


「瀬戸口、今ここでそれが出来るならセンター設立に警察も協力するわよ」

 ペルラが鳥籠を指差して、瀬戸口に迫る。

「やってみなけりゃわからん」

 手を取り合っている二人を見て、瀬戸口はそうだろ?と投げかける。

「そんなことができるわけ、」

「俺は彼女達に聞いているんだ。あなたに聞いてるわけじゃない」

 社長の言葉を遮り、瀬戸口はさっそく用意に取り掛かった。


 鳥籠に残った兄妹のトラウマを救い出す。

「俺は音楽の素養がないから。俺にできないことが、君には出来る。逆もあるかも。だから手伝ってくれ」

「やってみるわ。伴奏は……こういう時はギターがいいな」

「だってさ、きらら」

「何でピアノじゃないんですか! 五分ください」

 きららは世界中のギター音源、楽譜、楽曲などを大急ぎで取り込んだ。黄色い瞳がぎゅるぎゅると急激に明滅している。

「出力は?」

 きららが体の動きを止めたまま尋ねる。瀬戸口がパソコンとスピーカーを運んできて、ソフィアに言う。

「これで、後は君がやって」

「えっ」

「得意だろ、音量音質、魔力も即時ミキシングして。あの子達の悪夢を溶かそう」

 鳥籠はその形と機能を思い出したように呪詛を構築してどんどん変容していく。檻に蔦が這う。残された意志は生きているのだ。そして逃げ遅れた魂に絡み付く。

 瀬戸口は小さなナイフで蔦を切り取っていく。刃は鉱石のモリオンが練り込まれていて、黒く艶々とし、魔術を無効化する。

 緑を剥ぎ取り、鳥籠の冷たい鉄の肌に触れて、口の中で呪文を呟いた。しかし指先から侵食が滲んで紫色になる。押されているようで、新たに這え繁る蔦が手に絡まっていく。瀬戸口は舌打ちした。


「完了しました!」

 後ろできららの声が聞こえた。ギターの弦を弾く音を皮切りに、促された歌声が先の旋律を誘う。きららは歌声に合わせてギターのメロディーを即時組み立てパソコンに送り、女性がそれを調節してスピーカーに流した。


 言葉のない歌だった。小鳥を癒した歌声は、蔦絡み苔むす鳥籠を包み込む。

 緑の上に刻まれて羅列される文字のようなもの。ルーン文字を筆頭に、様々な時代や地域の古代文字が混ざり分裂して形作られている。それはマントの男が行き来した痕跡でもある。現代の魔術でそれらをまとめて作られた術式。

 解いても解いても新たに浮かび上がるが、全てあの夜に調べ上げたものだ。どんなパターンで来ても、もうそれは既知のもの。

 這え繁るスピードが解いていくそれに押されて、緑の防御が枯れていく。檻の狭間に見えた兄妹の表情。染み込んでいく音。伸ばされる幼い手。

「さぁ、帰ろう」



 湿った空気が肌に滲む。

「もうすぐ雨が降るみたいですよ」

 海野は外を見て言った。廊下のベンチに座って、開け放たれた大窓をぼんやり眺めながら、ホテルの人にもらった小さなりんごを噛っている。

「予報では晴れでしたが……」

 海野の隣に座ったきららは、同じくりんごを手の中で転がしている。壁にもたれ掛かっている瀬戸口を見上げて、これ切ってくださいよと言った。

 瀬戸口は紫煙を吐き出し、首を横に振った。

「さっきナイフ持ってたでしょう」

「あれは果実切るようなものじゃない」

「噛るのは憚られます、乙女だから」

「帰ってから食えばいいじゃん」

 それか手で割れるのでは?と言ったら黙って口を尖らせた。


 被害者十数名を搬送するために、車二台では足りないのでホテルで応援を待っている。

 兄妹救出劇を目の当たりにした社長は、少し考えるような表情で別室に戻った。これ以上の家族会議は帰ってからしてもらおう。

 あの二人は時空を越えて積もる話があるらしく喋り合っている。他の被害者達も、一旦落ち着いた、もしくは呆然とした表情で、雨に煙る果樹園を眺めたり休んだりしていた。


 ペルラはずっと上から掛かってきた電話の対応をしていた。

「……降格とかあるのかな」

 瀬戸口は誰に言うでもなく呟く。マントの男は自爆したのだから、止めようもなかったわけだが。結果しばらく人形の供給は止まるだろう。

 海野が大丈夫ですよと、りんごをむしゃぶり食べ終ってべとべとになった手をもて余しながら言った。

「警察内部に手は回してあります。人間って派閥とか好きですよね~。それに偉いからって大っぴらにできることでもないですし」

 きららが呆れた顔で自分のリュックからウェットティッシュを取り出して、海野に渡した。

「頼りになるねぇ」

 二人を見下ろして笑う。でしょ!と二つの返事。


 果樹園を囲む山の木々がざわめいた。大空に向かって一斉に飛び立つ小鳥の群れが見える。雨が途切れ、曇天の狭間に薄明光線が降り注ぎ、小鳥の群れを照らした。群れの中に一羽だけ、青い鳥。小さな翼を広げて、どこまでも飛んでいく。

 その光景と入れ違いに、遠くの方で何台かの車がこちらに向かってくる音が聞こえた気がした。



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