第12話
丘の上を目指して、遊園地を進む。無人で回り続ける観覧車、緑に覆われ蔦が絡んでいるメリーゴーランド。カラフルなベンチに野外舞台は空っぽ、ティーカップには無造作にぬいぐるみが乗っていた。瀬戸口は動き出すんじゃないかとひやひやして横を通った。
ティーカップも回転ブランコも止まっている。この遊園地では観覧車だけがゆっくりと動いている。静かで風の音しかしない。
丘の上に辿り着き、気配をうかがい建物に近づく。二手に分かれて侵入することにした。顔も知らない警官が二人、瀬戸口と同行すると言ったが、それを断った。きららを指差してボディーガードいるからと笑う。
警官達は玄関へ、瀬戸口ときららは裏口に向かう。
「何で断ったんですか?」
分かれてから、きららが小声で聞いた。
「信用してないし」
瀬戸口は先ほどウルリカから受け取ったメモをきららに見せる。
「上の息がかかった部下がいるだろうけど、誰がそうで誰がそうじゃないかわからないらしい。そんな疑心暗鬼になりそうなところでよく動けるわ」
「組織は大変ですね。ラボはそういうのないんですか」
「基本個人主義だから少ないんじゃないかな」
そんな話をしていたら、建物の裏側に着いた。裏口の錆びたドアに触れる。施錠してある魔術はすぐに解けた。ぎぎ、と軋む音とともに扉を開ける。
細く暗い廊下が先まで続いていた。足を踏み入れ、手元の拳銃をぎゅっと握った。
瀬戸口は先程からずっと答えの出ない問いに頭を抱えていた。人形化していない、意識のある十五人の羽織はどうやって解けばいいのだろうか、自らの意思で呪いを脱げないのだとして、それならこの拳銃は使えないのではないか。無理矢理剥がして、それは果たして助けることになるのか。そのまま人形にされていいわけがない、だけどそれぞれの地獄に帰れというのも酷な話かもしれない。
ため息を吐いて、考えがまとまらないまま歩を進めた。
廊下が明るくなったと横を見れば、中庭が広がっていた。日が射し込み、緑の中に蝶々が飛んでいる。反対側に部屋もいくつか並んでいたが、中には誰もいない。
ふと、廊下の先に小さな人影がふらりと躍り出た。あの羽織を着ている。フードを目深く被っていて顔が見えない。
「タスケテ」
人影が抑揚のない声で呟く。
きららの瞳が黄色く光り、サーモグラフィモードで人影を捉える。
「瀬戸口、ちょっと待って」
瀬戸口が咄嗟に駆け寄った瞬間、後ろできららが叫んだ。
「伏せて!」
その意味を把握する前に反射的に体を屈めた。
想像より何倍も速く近づいてきた人影の口元は、裂けるほど大きく笑っている。後ろから放たれた弾丸が人影に当たる。跳ねる身体、ひらりと羽織が剥がされ現れたのは毛むくじゃらの皮膚と獣の瞳。
猿だ、と前からもう二匹飛び出してきた。今度は顔も隠さず牙を剥き出しにして襲いかかってくる。瀬戸口は拳銃を構える。きららの掩護射撃はその二匹にも当たり、羽織を解かれた猿は衝撃で倒れ付した。瀬戸口がきららの方へ振り返ると、後ろから更に三匹駆けてくる。
「後ろ!」
一匹は真正面から、二匹はそれぞれ両方の壁を伝って上から飛んで来る。瀬戸口が打った弾丸はかわされ、猿は歯茎が見えるほど牙を剥き、爪を光らせ、斜め上から飛びかかる。咄嗟に短剣を持ち直し、呪文を口の中で唱えて刃先を向けた。猿は空中でびりびりと痺れたような仕草をしたかと思うと、そのまま失神してぽとりと落ちた。すかさずそこにきららが撃ち込む。二匹はすでに白目を剥いて地に落ちていた。
「くそ、当たらん」
瀬戸口は拳銃をしまい、顔をしかめて猿と羽織を調べる。きららも羽織を回収しながら、その模様を解析した。
「こいつら、さっき聞いた消えた猿じゃないか? 人間以外にも使えるのか」
「そうみたいですね、操るための術式が織り込まれています。生体反応も弱かった」
「何匹消えたか聞いときゃよかった……もういないだろうな」
辺りを見回すが、しんと静まり返っている。
中央の中庭に沿ってぐるりと建物内を一周したが、どの部屋ももぬけの殻だ。玄関近くに二階へ続く階段を見つけ、先程分かれた警官らに無線で連絡しようとした。ざざざと雑音が聞こえるだけで通じない。
周囲を警戒しながら二階へ。しばらく進むと無機質な声が聞こえてきた。
「不法侵入者はただちに外へ。従わない場合は撤去します。不法侵入者はただちに外へ」
同じフレーズを繰り返すのは、廊下を自動で走る車体型のロボットだった。段々こちらに近づいてくる。よく見ると、車体からは機械の手が何本も生えている。捕獲用だろう。
素早い動きできららが車体に飛び乗り、ドアを引っ剥がし内部に手を突っ込む。びりり、と電流が通る音。
「たたただちに、そそそそそとへ」
まず機械部分からエラーを送り込み、深部の術式を読み解きほどく。
「解除もできるとか俺の出る幕ないね」
瀬戸口はきららの様子を自慢げに眺めて言った。
「学習しましたからね。手を煩わせませんよ」
二階も森閑として何の気配も感じられない。奥の大部屋に小さな螺旋階段を見つけた。瀬戸口は上を見上げて、外から見た建物の高さと比べる。
「敵の手中ど真ん中って感じだな。登るか」
螺旋階段の渦は幾重にも重なり、進むほど登っているのか降りているのかわからなくなる。永遠の一歩が円を描いて、何かの儀式のように思えてくる。
やっと辿り着いた階には、大きな扉ひとつしかなかった。警戒しながら開ける。室内にはぼんやりとした間接照明しかないようで薄暗い。目が慣れてくると、眼前に布の被せられた何かがあることに気づいた。布をそっと取る。現れたのは大きな鳥籠。中には巨大な梟がいて、こちらを見据えていた。
「生体反応なし、電気信号も感じられません」
隣できららが呟く。
「人形ってことか? 媒介かな」
梟がゆっくりと瞬きをしたかと思うと、聞き覚えのある声で話し始めた。
「ようこそ。私達の遊園地へ」
「……拐われた人達はどこだ、あとお前の本体は」
「単刀直入だな。君はあの子達を救えないし、私を捕まえることもできないよ」
「それはどうかな」
瀬戸口は梟に向けて拳銃を構える。暗闇を濃縮したような深く黒い目は全く動じず、二人を凝視している。
「君もどこかで薄々勘づいているのだろう? 強制的な救い。傲慢な。それがその形となって現れている。彼女らが半ば自ら望んだことだ。意思を尊重しないのか?」
「後悔しているかもしれないだろ、それすらわからない状態にされて」
「私はあの子達を救ったのだ。人形はじわじわとした時限爆弾でもある。どう扱っていようが、購入者を現実から闇に引きずり込む。だからこれは復讐、でもあるのだと」
「復讐……? 誰に」
「世界だ」
梟はそう言うと、自ら鳥籠を開けて翼を広げ飛び出た。反射的に弾丸を撃ち込む。ばたりと床に落ち、数秒痙攣して虚ろな瞳を閉じた。
部屋や鳥籠を隅々調べるが、手がかりは得られなかった。先程の声がリフレインして離れない。瀬戸口は舌打ちし、きららとともに螺旋階段を降りた。
がらんどうの建物。光り溢れる中庭。無線も今だ通じず、別行動をとった警官達の姿すら見当たらない。間抜けなほど平和そうな鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
きららが呼ぶので、ある部屋に入った。簡素なベッドと机に椅子。
「こんなメモがありましたが……」
机の上に置かれていたらしい。紙切れには(鳥籠の祭壇は中庭に)と書かれている。
瀬戸口はばっと顔を上げ、廊下に戻った。中庭は硝子戸越しにきらきらと輝いている。まるで夢のように非現実だ。
「なるほどな」
硝子戸に触れて、指でなぞる。ひんやりとしたその冷たい表面に、細かな魔方陣がうっすら浮かび上がった。透明な硝子に無色で刻まれているので見落としていた。
でこぼこを指で辿り読み解く。ザァッと壊れたテレビのように中庭の景色が揺らめいた。その狭間に見えたのは、羽織を着た人達の怯えた瞳と、彼らに囲まれた祭壇。
「解けた」
中庭は光り輝いてなどいなかった。
じめじめとした土を踏み、中へ入る。一歩進むごとに彼らも退き、身を寄せあっている。瀬戸口の手には拳銃。これでは本当に自分が悪役ではないか。
「ええと、助けにきた。ここから出よう。その羽織を一旦俺に預けて欲しい」
二十代ぐらいの人もいれば、四、五歳の子どももいる。子どもは小さく首を降って、自分の羽織を握りしめた。
「話は聞いた、それを手放すことがどういうことを意味するのかも。でも、あんな状態にされていいのか?」
瀬戸口は祭壇に置かれた四体の人形を指差して言う。
「それ以上近寄らないで」
一人の女性が瀬戸口を睨み言い捨てた。資料で見た顔だ。ソフィア・ファウラー、あの会社の社員。
「君だろ、これ書いてくれたの」
瀬戸口はメモを見せたがソフィアは微動だにしない。
「依頼者、君の家族や勤務先の会社ね、社長は我が娘と社員を同時に拐われてだいぶ立腹していたよ」
「主に娘、でしょう。彼女は助かったのだから」
「依頼はまだ取り下げられていない」
「ついでよ、世間対」
「……そりゃあ同じ気持ちではないだろうけど。娘の時とまた違う表情で、彼は俺に強く念押したよ。頼んだぞ、うちの大事な社員なんだって」
「……」
言葉を交わすが、埒が明かない。全員を説得して回ることは困難だろう。それにあの四体の人形を人形のまま運び出せるとは思えない。ここは鳥籠なのだから。
瀬戸口はガチャ、と拳銃を構える。ざわめいて蠢き固まる人影達。
ソフィアは咄嗟に祭壇に飾られた砂時計のようなものを手に取ってひっくり返した。中には砂ではなく、どろりとした青い色水が揺らめいており、重力によってゆっくりと流れ落ちている。頭上にぴぴぴと小鳥の鳴き声。
ため息を吐いて、拳銃を降ろす。これはその羽織の呪いを解くための弾だ、と付け加える。
「でも、どちらでもいいよ。俺は騙され拐われてる前提の救出依頼で動いていたから。そうでないのなら。君が世界を呪うことに自分で加担したいのなら、止めやしない。だってそうだろ、身知らずの初めて会った人間に何でもいいから生きろなんて身勝手で無責任なこと、言えない。まぁ助けに来てる以上、生きて帰ってほしいけど」
「瀬戸口、」
きららが何か言いかけるのを遮り続ける。
「世界に何かにムカついてしょうがないんだろ、復讐したがっているのも君の一つの意志だから」
バサッと上空から大きな鷲が降りてきて、祭壇の屋根に止まった。そして囁く。
「そうだ。呪うか祝うか、自分で決めろ」
鷲の翼は黒いマントに変わり、鋭い嘴はにやりと笑う口角へと変貌した。
「今だ、ひっくり返せ!」
瀬戸口は無線先の海野に叫んだ。
途端、空間がぐにゃりと歪められ収縮し、暗転するように中庭は暗がりに満たされた。中庭を囲んでいた硝子戸はいつの間にか檻になり、草花は枯れ果て、小さなおもちゃの観覧車やメリーゴーランドがそこかしこに転がっている。いつの間にか二手に分かれていた警官達も転がって、何が起こったのかと狼狽えている。
「前言撤回。やはりどうやっても俺達は君らをそこから助ける。それがエゴだろうがなんだろうが。選択肢を奪って誘導しておいて迫るやつの言うことなんてろくなもんじゃないぞ」
モノレールの走る先に広がっていた遊園地の敷地と概念が、中庭に折り畳まれてまるっと鳥籠に納められている。
大きな海野の顔が鳥籠を覗いた。背後にペルラ率いる別動隊が銃口をこちらに向けている。
「みなさん大丈夫ですか?」
「ああ。これで別時空には逃げられないだろ」
瀬戸口は砂時計を指差して言った。
時空を行き来するには、自由に何でもありというわけにはいかない。何らかの制約、恐らく場所とアイテムによるルールがあるだろう。それが恐らくあの中庭と砂時計だ。
「これで解決したと思うなよ。私はただのひとつのきっかけにすぎない。そういう役割は誰が演じてもいいんだ。何をせずとも世界は絶望に溢れている。それを利用する人間もごまんといる。時を越え何度でも繰り返す、何て愚かな生き物なのだろう。可哀想な子らに反撃の刃を与えよ。世界を呪え」
マントの男は言い切ると女性から砂時計を奪い、自ら地面に叩きつけた。割れる音と同時に、身体を捩り声なき悲鳴を上げて、静かに自爆した。
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