第11話
大きな地図の上、ペンデュラムが揺らめき示した場所へ向かう。
山中緑深き果樹園。
ワインの製造所や貯蔵庫も併設され、チューリップの咲き誇る庭園と格式高いホテルが客を出迎える。
瀬戸口達は大きなワゴンカーに乗り込んで山道を走り、果樹園の駐車場へ辿り着いた。ワゴンカーには数人の対魔術警察官と、例の社長とそのSP、瀬戸口と並んで場違いに見える少年少女はきららと海野。ペルラは別動隊の指揮を取っている。
瀬戸口は気まずい車内で、社長と少し話した。この事件の協力者で、人形化の魔術を解くことで関わっていると言うと、社長は念押すようによろしく頼むと言った。
「本当にいい子なんだ、素直で反抗期すらなかった。これからという時に何故娘が拐われなければならないのか」
社長は憔悴した顔で嘆く。
「……この事件の被害者は、皆何かしらの苦悩を抱えているみたいですが」
「苦悩だって? 何一つ苦労させたことはない、何不自由のない生活をさせてきたんだ。きっと何か巻き込まれたに違いない。とにかく早く助けてやってくれ」
「最善を尽くします」
瀬戸口は握られた手を握り返し、力強く答えた。
一行はホテルに着いた。ここで待機する社長とSPを案内してから、瀬戸口らは目的地を探すべく外へ。
園内のどこかにその場所への入口があるはずだ。何と言っても普段存在しない場所だ。
果樹園の奥、ワイナリーの影、庭園に建つ時計台、可能性のありそうなところを分かれて手当たり次第探索する。
木漏れ日の葡萄園をさ迷い探す。瀬戸口は辺りにきららしかいないのを確かめて小声でぼやいた。
「ああいうやつ嫌いだ。いい子、じゃなきゃ助けなくていいのか?って聞かなかった俺を褒めて」
「えらい! 瀬戸口えらい!」
「反抗できる家庭じゃないからなかったんだろ反抗期、も喉から出そうだった」
「円滑な作戦の為にいらないことを言わない。えらいです、進歩です」
きららも小声で、そうやって相づちを打つ。
「手のかかるやつって思ってるだろ」
「思ってませんよ、青くていいんじゃないですか」
「ペルラにも後で言っとこう」
「多分、ハァ?って言われますよ」
「そこは冷静なのな」
葡萄園に怪しいところは一切見つからなかった。
ホテルの隣に大きなテントがあり、それと並んでおもちゃみたいな色とデザインをした駅舎がある。瀬戸口はしばし考え、きららとそこに向かった。
「駅舎、ってことはどこかに繋がっているわけだろ」
「確かにそうですね」
テントは毎日夜に開催されるサーカスの舞台であった。受付の人に話を聞くとここの古参らしく、色々教えてくれた。
先代の計画では、この果樹園はもっと広く遊園地や動物園も併設する予定だったが、叶わなかった。その名残でこのサーカスやそこの駅舎、ホテルを挟んで反対側には動物のふれあいエリアもある。そういえば今週、ふれあいエリアの猿が忽然と消えてしまった、今探しているところだ。など。
二人は礼を言って、駅舎に向かった。モノレールで、線路の先は森へ突っ込んでいて見えない。受付の人はお飾りで動かないと言っていた。
きららがモノレールの運転席に乗り込み、ハンドルやスイッチをいじって確かめている。
「残留した想いは具現化しやすい、ですよね」
「そうだな。動きそうか?」
「うーん、回路をいじれば……」
そう言って、下部のカバーを開けて機械内部を覗いている。
「古いですね、瀬戸口運転席に座ってください」
瀬戸口はハンドル前の席に座った。ふときららの様子を見て青ざめる。指の皮膚から機械の体が剥き出しになっていた。血管のように張り巡らされたコードの指先部分が晒され、痛々しい。
「きらら! 指が」
「大丈夫です、帰ったら直して。これ古い機械だから単純な接触では電気指令送れない。あ、動きます」
きららはしゃがんで内部に手を突っ込んだままそう言った。モノレールに電気が通り、メーターがブォンッと作動する。
「運転は任せました。私は今手を離せません」
「俺は車でさえろくに……、ペーパードライバー歴何年だと思ってるのか。こういうのって自動運転じゃないの?」
「この古い車体が自動運転できると思いますか?」
瀬戸口はハンドルを持って、勘と先入観で運転した。しかも線路は森の中へ入り、視界も不明瞭だ。とにかく曲がる時に回せば、とハンドルを切った。車体はガタガタと不穏な音をたてて進む。
「海野が乗っていなくてよかったですね」
「今喋るんじゃない、ああ何でこんな曲がるんだ」
鬱蒼とした森を出れば、下には海が広がっていた。ざぁ、と場違いな波の音がする。透き通る海面に悠々と泳ぐクラゲが見える。
「この感じ、入れたんじゃないか?」
「ええ、きっとあと少しです」
孤島の駅を通り過ぎ、入道雲の中を突っ切ると、遊園地らしきものが見えてきた。
モノレールは緩やかに下がり、同じようにおもちゃみたいな駅に着いた。近くに観覧車が見える。
「瀬戸口、ペルラに連絡を」
「そうだ、でもこれ誰かが運転して向こうに戻さないと、こっちに来れないんじゃ……」
「自動運転、もういけますよ」
きららはそう言って笑うと、機械内部から手を離しカバーを閉めた。モノレールはまだ通電しているようだ。
ホームに降りて、さっとスムーズに走り去るモノレールを見送る。
「そんなことできるんなら最初からしてくれよ」
「ちょうど今、指令を送り込めたのです」
誰もいない改札を出ると、小さな待合室の片隅にアップライトピアノが置いてあった。真上のステンドグラスの光が降りてきている。
瀬戸口ときららは無言でやりとりした。
「先を急ぐぞ」
「わかってますよ」
きららは口を尖らせ、先導して駅舎を出る。数段しかない階段を軽やかに降りる。駅前の広場に風が吹き抜けた。二つに括った細い髪が、さらさらと靡く。
二人の眼前に、青い小鳥が飛んできた。歌うようにさえずり、くるくると飛び回っている。
小鳥につられるように歩いていくと、広場のすぐ向こう側に観覧車があった。前にはベンチ。そこに一人の女性がぼんやりと座っているのが見える。
コトコトと一定の動きで回る観覧車を、じっと見つめている。その顔を確かめて、瀬戸口は足早に近づいた。羽織は着ていない。
「大丈夫か? 君を探していた」
「私は電車を待っていたの」
アリアはそう言い、切符を瀬戸口に見せた。
「よかった。もうすぐ応援が来る、帰れるよ。君の家族も近くまで来ている」
「父さん?」
「そう。一人で逃げてきたの?」
「そう、一人で……私はまた彼女を置いていってしまった……」
きららがひょこりと顔を出す。
「助けます、全員。場所を教えてください」
「あの丘の上よ」
アリアは向こうに見える丘の上の建物を指差して、言った。
「教えてくれ、他に何人いた?」
「動ける者で十五人くらい。私があそこにいる間に人形化した者が四人、だったと思う」
「捕らえられてる部屋はどのあたりだ?」
「別に施錠はされてないの、私も自分で出てきた」
「……何で逃げ出さない?」
「あの羽織を脱げないのよ。それは私達にとって絶望に帰ることと同じだから。黄色い鳥は囀り歌う、君が不幸な世界など滅ぼせばいいと、皆それに促されただけ」
「でも、君はあれを着ていないじゃないか」
瀬戸口が次々に質問を投げかけるのを見て、とりあえず駅に移動しませんかときららが間に入った。瀬戸口は丘の上を睨み付けて、ああ、と返事する。
待合室に戻る。こんな状況を知らんぷりするように、穏やかな陽だまりが駅舎を包んでいた。ドアは開け放たれているので、爽やかな風もそよそよと入ってくる。まるで時間が止まったように、田舎の平凡な風景。一枚写真を撮れば、そのまま固まってしまいそうな。
瀬戸口はペルラからこちらに向かっているという連絡を受け取った。あと数分。
腕時計に視線を落とし、顔を上げる。壁に掛けられた時計が視界に入った。さっきからその針は進んでいない。
「きらら、今何分だ」
「時間ぐらい自分で……、あれ、 あの時計止まってるんですか?」
「止まってるのが時計だけならいいんだが」
ホームを覗くが、車体は一向に現れない。駅の外を見る。観覧車はまだコトコトと動いている。
「まぁそう、ただでは帰してくれないよな」
瀬戸口ときららは駅舎を調べ始めた。俯いて座っていたアリアが、時空の狭間とぽつりと言う。
「え?」
「そういえば、マントの男は時空を行き来できるって噂でした」
「時空ね……」
壁掛けの時計を腕組みしてじっと見つめる。
待合室に青い鳥が飛んできた。ピアノの上にとまって首を傾げている。アリアが立ち上がり、ピアノに近づいて鍵盤に触れた。
「私の躊躇のせい?」
青い鳥はチュンチュンと鳴く。アリアは何かを悟ったように、瀬戸口の方を振り返った。
「本当に彼女らを助けてくれますか」
「……もちろん」
その言葉を受け取ると、ピアノの椅子に座り音を奏で始めた。自然に喉から歌が生まれる。きららはそれを聞き惚れ見つめている。視線に気づいてアリアが振り向いた。
「一緒にどう?」
「なんで」
「弾きたそうにしているから」
アリアの瞳には、もう丘の上の景色だけが写っている。音が風に乗って建物を囲む草花を撫でる。廊下を吹き抜け中庭まで、君の涙が落ちる先にこの声が届くなら。
きららは控えめに、嬉しくて跳ねる指を抑えて弾いた。
「あなた、上手ね」
「でも、正しい音しか鳴らないんです」
「そうかな、私には優しい音に聞こえる。色んなものを剥ぎ取って濾して残った、誰かを想う純度の高い優しさ。私が意識すらしていなかった音……」
そう言って顔を上げ、ステンドグラスから落ちる光に目を細めた。
「届いてますよ、きっとまた会えます」
きららの言葉に、ゆっくりと瞳を閉じた。
青い鳥が飛び立ち、線路の向こうへ。途端に壁掛け時計の針が動き出す。モノレールが滑り込む音。がやがやと入ってくる警察官達により、一枚の風景は崩された。
アリアの保護を警官に任せ、得た情報を伝える。
ペルラと海野の姿はなく、メモを咥えたウルリカがやってきて瀬戸口にそれをそっと渡し、ワフンと小声で吠えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます