三題噺

有栖川久遠

最大公約数  お題『酒』『砂漠』『嘘』



とかく男は、酒が好きで好きでたまらなかった。

毎日のように家にあるだけのチューハイの缶や焼酎の瓶を開け、寝る前には意識が朦朧とするまで酒を飲む。むしろそうしないと床につけないほどに、酒浸りの毎日を送っていた。

そんな彼が酔っ払うと決まってすることと言えば、インターネットであった。

匿名掲示板に、現実の自らとは似ても似つかぬ身分をうそぶいて、インターネットの名もなき住人達と日夜不毛な言い争いを繰り返す。

つまるところ仮面を被った上で行う、嘘にまみれたしようのない口喧嘩であるが、それが男にとって、酒を除けば唯一と言っていい趣味であった。

電子の海にはなにもないけれど、攻撃的な意思だけは潤沢にあったのだ。

目に見えぬそれを人の形になぞらえて相手取り、議論の真似事をして。

時にはそれに勝ち、すっ。とどこに置いてもいなかった筈の溜飲を下げる。

アルコールに脳髄を程よく浸しながら、そんな行いに耽る毎日。男はそんな日々が永遠に続くと思っていた。

そう、ある日までは。


その日も男は、酒を飲みながらインターネットをしていた。

することと言えばあいも変わらず掲示板での口喧嘩。

その時相手取っていた『敵』は、ここ最近の住民にしては珍しく、あまり反論をしてこない相手であった。

それを笠に着て男は『敵』をここぞとばかりに責め立てる。

思いつく限りの罵詈雑言を投げつけ、匿名で、顔が見えないからというのを言い訳に、あらんばかりの人格否定を嬉々として行う。

散々攻撃を終えた後、『敵』がふと自分に対しての書き込みを件の掲示板に投げた。

「大丈夫か。貴方が心配だ」と。

男は頭を掻き毟った。

許せなかった。何もかも。

余裕ぶったその態度も、自分の言葉に取り合ってくれない対応も、全てを理解したように上から降りてくる気遣いにも似た言葉尻も。

その言葉を受けてからも男はその『敵』を罵り続けた。

しかし、『敵』は決してそれに正面から向き合うことは無かった。

ずるいのはどっちだ。こんなところに居るくせに。何を良識ぶって、何を真人間のような顔をして、俺に意見しようと言うのだ。

そう思った。けれど。

思った、だけだった。

男はひとしきり誰にでも言えるような罵倒をして、煽りをして、その後、何も言えなくなってしまった。

感情が、良心が、それとも自分を見つめるもう一人の自分が、か。

言葉を放る筈の指先を、止めてしまったのだ。


それきり、男は人が変わったように立派になった。

まともな職に付き、恋人を作り、果てには自らの血を分けた子供を作り。

なんとかレールに戻った、と言えるだろう。


今日も男はさまよい続ける。

インターネットの砂漠で、本気で向き合える相手――自分の相手をしてくれる“誰か”を探して。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三題噺 有栖川久遠 @reik227

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ