鏡の中のエレーナ

コヒナタ メイ

第1話

 エレーナは泣いていました。

自分の顔が気に入らないのです。

その日も、エレーナは鏡に映った自分の顔を見て泣きだしました。

「どうしてこんなに細い目なの?どうしてこんなに低い鼻なの?どうしてこんな唇なの?どうして私の顔はこんなに醜いのよ!」エレーナは大きな声で叫び、鏡にブラシを投げつけました。鏡は粉々に割れ、破片が周りに飛び散りました。

隣の部屋で鏡の割れた音を聞いたお父さんは静かにエレーナの部屋の扉をノックし、エレーナの部屋に入りました。エレーナはベッドのわきにしゃがみ、頭を伏せて大きな声で泣き続けていました。お父さんは割れた鏡の前にしゃがみこんで鏡の破片を片づけていきました。

「これでもう六枚目か…。」

割れた鏡の破片を拾いながらお父さんは今までのことを思い返していました。


 エレーナは12歳の女の子です。以前はとても明るくやさしい女の子でしたが、一年前に大好きだったお母さんを病気で亡くしてから塞ぎこんでしまいました。エレーナの悲しい顔を学校の友達が真似をしました。他の友達はそれを見てゲラゲラと笑いました。エレーナは深く傷つき、それから学校に行かなくなりました。やがて、エレーナは家から外に出なくなり一日中家の中で過ごすようになりました。塞ぎこんだまま過ごすエレーナは鏡を見ているうちに自分の顔が醜いから学校でいじめられたのだと思うようになり、鏡を割るようになりました。最初、お父さんはエレーナが鏡を割ったことを強く叱りました。しかし、エレーナは泣き続けるだけでした。その後も何枚も鏡が割られて、お父さんは街のお医者さまに行き、エレーナのことを相談しました。お医者さまはエレーナが思春期なので心が不安定なことと、母親が亡くなったショックが重なって自分でも気持ちを操ることができずにいるのだろう。と答えました。そして、しばらく様子を見るようにお父さんに言ったのでした。


 エレーナはまだ泣いていました。お父さんは鏡の破片を集め袋に入れ終わると、買い物に行くことをエレーナに告げて部屋を出て行きました。

(まったくいつまでこんなことが続くのだろう。)街に出たお父さんは歩きながら考えていました。(鏡を買いにいくのも、割れた鏡を片づけるのも疲れてしまった。)


 家具屋に行って鏡を買おうと思っていたお父さんでしたが、古道具屋の前で足を止めました。「せっかく鏡を買っても、また割られてしまうのか。」お父さんは古道具屋の中に入って行きました。お父さんが鏡を探していると、売り場の片すみにおいてある、古ぼけて傷んだ鏡を見つけました。お父さんが店員に値段を聞くと、店員は相当古いものなので安い値段で譲ってくれると言ってくれました。お父さんはその鏡を買って帰りました。


 家に着いたお父さんがエレーナの部屋に入るとエレーナはベッドの上で枕を涙で濡らして寝ていました。お父さんは寝ているエレーナに毛布をかけ、机の上に鏡をそっと置いて、部屋から出て行きました。


 次の朝、エレーナは目覚めると、机の上の鏡を見つけました。「まあ、なんて古びた鏡なの。」

その鏡に映った自分の顔を見て、エレーナはひどく興奮しました。

「なんて醜い顔なの!」ヘアーブラシを鏡に投げつけようとしたエレーナの体は鏡の中に吸い込まれていきました。そして次の瞬間、エレーナはサーカスの観客席の通路に立っていました。エレーナは自分が5歳の時にお母さんとお父さんと一緒に見に行ったサーカスの場に来ていたのでした。エレーナの前には、観客席に座ってサーカスを見ている幼いエレーナと隣に座るお母さんとお父さんがいました。舞台上ではカラフルな衣装を身に着けた道化師たちが踊っていました。幼いエレーナは道化師たちを見て大きな声で笑っていましたが、お母さんはエレーナを見て微笑んでいました。

「お母さん、道化師見ないの?とても面白いよ。」

道化師を見ないお母さんを不思議に思って、エレーナは訊きました。お母さんは

「そうね、道化師も楽しいけれど、お母さんはエレーナの笑っている顔を見ているほうが幸せなの。」

と答えたのでした。幼いエレーナを愛おしそうに見つめるお母さんを見たエレーナは大きな衝撃を受けました。そして次の瞬間、鏡の中から自分の部屋へと戻ったエレーナは大きな声で泣きました。

隣の部屋にいたお父さんは、エレーナの泣き声を聞き、また割れた鏡を片づけることになるだろうと考え、ホウキとチリトリを持ってエレーナの部屋の前に立ちました。

ところが、鏡が割れる音は聞こえませんでした。ドアが開いて部屋から出てきたエレーナはお父さんに抱きつきました。お父さんは慌ててホウキとチリトリを背中に回しました。

「お父さんごめんなさい、私、とっても悪い子だったわ。」

エレーナは泣きながらお父さんに謝りました。

「いいんだよ、いいんだよエレーナ。」

お父さんはホウキとチリトリを床に落とすと、優しくエレーナを抱きしめました。


 それから十年が経ちました。エレーナは街のお花屋さんで働いていました。お店には棚に並べられた美しい花々に負けないくらい素敵な笑顔のエレーナがいました。


古ぼけた鏡はさらに傷んでしまいましたが、エレーナは鏡の前で毎日微笑みます。

大好きなお母さんに笑顔が届くように。

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鏡の中のエレーナ コヒナタ メイ @lowvelocity

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