君の声は世界を越えて
結葉 天樹
君の声は世界を越えて
生まれた時から、空は白いのが当たり前だった。世界の限界は白い壁だった。だから空が青いとか目が眩むほどまばゆい光を放つ太陽とか、どこまでも広がる世界があるとか言われても俺にはピンとこない。
世界が滅んだのはもうずいぶん昔のことだ。おじいさんのおじいさんのおじいさんと遡ってもまだ足りない。遥か昔の戦争で世界は荒れ果て、地球は人間が住める環境ではなくなったらしい。唯一生き残った俺たちのご先祖様が巨大なシェルターを建造したお陰で、子孫の俺たちは地下で生き延びて来た。
俺たちのいるここ、「ドーム」は生まれた時から家であり、街であり、そして俺たちにとっての小さな世界だった。生まれて死ぬまで俺たちはこの場所で過ごすのだ。少なくともその日が来るまではそう思っていた。
「何だこれ?」
ある日、俺はスクラップ置き場から妙な機械を見つけた。
「珍しいな、原型残してる機械なんて」
生き延びた人類はドームにたくさんの物を運び込んでいたのだがその使い方がわからない物、もう使えない物などは積み上げられていた。そんな中から使えそうな部品を見つけるのが俺の仕事だ。
「どうする、解体するか?」
「……いや、一度修理してみようと思う」
廃品置き場のここでほぼ完全な状態で見つかる機械は珍しい。どうせ修理しても使えないものだと思うが、どんな中身をしているのか、単純に興味があった。
家に持ち帰った俺はさっそく蓋を外して機械の中身を見てみた。断線や劣化は見られたが致命的な損傷は見られない。もしかしたら生活の道具として持ち込んだものの、修理できる人がいなかったのでそのまま捨てたのだろうか。
俺は保管してあった工具とパーツを使って修理を始めた。錆を落とし、劣化の激しかった金属部分は同じ素材のものを形成して代用品を作る。コードや配電盤に関しては幸い手持ちに似たようなものがあったので繋ぎ直すのはそれほど難しい事ではなかった。唯一補修できなかったのは割れたガラス部分だが、ここは起動に影響のない部分なので我慢することにしよう。
残る心配は電圧だが、これは取り越し苦労に終わった。昔も同じ電圧だったらしい、電源を繋ぐとすぐに起動した。ツマミを回してスイッチを適当に押してみる。機械本体から耳障りな音が出た。どうも割れたガラスの部分はこのツマミやスイッチをいじることで何かが変わっていることを表示する場所だったのかもしれない。
「何だこれ?」
俺は、今日二度目の疑問を口にする。ザーザーと雑音を発するのみでこの機械は一体何に用いるのかさっぱりつかめない。コードに繋がれた、本体から取り外し可能な部品もあるが、これもまた謎を呼ぶ。
『……な………え…』
「ん?」
雑音の向こうから何かが聞こえた気がする。
『い……だれ………が…』
やはり聞こえる。もしかしてこの機械から発せられた音声なのだろうか。俺はゆっくりとツマミを動かしながら、徐々に音声がクリアになる位置を探していく。
「誰かそこにいるのか?」
『誰…か……に………の?』
女の子の声だ。機械から女の子の声が聞こえる。だがドームにいる近い年齢の誰とも違う、初めて聞く声だった。
『もしもし。誰かこの声が聞こえているの?』
「……聞こえている」
女の子が一瞬沈黙する。機械が止まったのかと思い耳を近づけた瞬間、大音量の悲鳴が機械から飛び出した。
『やったーっ! 遂に見つけた!』
「わっ⁉」
『やっぱり私たち以外にもいたのね!』
私たち以外。その言葉が意味することに自分も思い当たる。世界は滅び、俺たち以外の人類は滅んだと大人たちからは聞かされていた。だがそれを確かめた者がいるわけじゃない。
『ねえねえ、あなた名前は。どこにいるの。何人そこにいるの?』
「ちょ、ちょっと待て!」
唐突に現れた生存者からの立て続けの質問に俺もなにがなんだかまだ状況がつかめない。
『あ、ごめんなさい。始めて通信機が繋がったものだから嬉しくってつい』
通信機という言葉は初めて聞いた。だが、話の流れから察するに、俺の修理したものがその通信機らしい。
『……何かわからないのに修理したって言うの?』
俺が興味本位で拾った機械を修理したと聞いた相手は呆れた声を出していた。
『ま、それでもこうやって話ができたんだから良しとしますか』
「なあ、お前たちのいるところは何人くらいが暮らしているんだ?」
『五千人。これでも昔は何万人もいたらしいんだけどね』
「うちも五千人だ」
ドームも昔は何万人もの人々が生活していたと聞いている。それも徐々に減少し、今じゃドームの大半が血縁関係だ。大人たちも近年は危機感を募らせていた。このままだと俺が親世代になる頃にはさらに人口は減る可能性が高い。
『二つ合わせてやっと一万か』
「これで全員なのかな。人間は?」
『私はそうは思わない。きっとまた見つかるって信じてる』
それは根拠のある自信じゃない。だが、たまたま拾った通信機で、たまたま合わせた周波数で、たまたま同じタイミングで通信機をいじっていた彼女と俺は出会った。こんな奇跡的な確率を信じるよりは、まだ確率は高いのかもしれない。
「あ、いけね。もうそろそろ就寝時間だ」
エネルギーの節約のため、ドームは寝る時間が決められている。インフラに最低限必要な電力を除き、電気が供給されなくなる。
『ねえ、また明日もお話しできる?』
「……俺でよければ」
『よかった』
通信の向こうの彼女は、表情が見えなくても笑顔だと想像ができるほど嬉しそうな声だった。
『最後に名前を教えてもらっていい? 私はシエル。あなたは?』
「ランドだ」
『よろしくね、ランド』
そして、俺は通信機の電源を切った。
翌日、ドームの管理者たちにこの日の話をした。徐々に滅びに向かっていた中にもたらされた思わぬ吉報は、あっという間にドーム全体に広まった。
「大人たちはびっくりしてたよ」
『うちもよ。生存者は私たちが最後だって諦めていたみたい』
通信機を修理した俺は、唯一中身を把握しているのが俺だと主張し、メンテナンスの名目で夜も通信機を預かっている。シエルも同じようなことで預かっているという。
「今日は何を話す?」
『そうだなあ……』
最初はお互いの場所についての話だった。だが、似たような環境で生活していたのですぐに話題が尽きてしまう。
『ねえ、これから私たちどうなると思う?』
そんな言葉が不意にシエルから投げかけられた。話を聞く限り、お互いのドームはどちらも終末感が漂っていた。そこに飛び込んで来たもう一つのドームの存在。考えられる流れはもう決まっている。
「合流を目指すんじゃないか?」
『でも、どうやって。お互いの場所もわかってないんだよ?』
かつては位置の観測も可能だったらしいが、どちらのドームもいつしか他の生存者を捜すことを諦めたため、今ではその技術は失われ、誰も使えなくなっている。
『せっかくこうして話せるようになったのになあ……どうせなら会いたいよ』
「俺もだよ」
髪型や目の色などは言葉で伝えられる。だけどどんな姿をしているのかは実際に合わない限りわからない。ため息を吐いて見上げた俺の目には真っ白な天井がある。そこまでが俺たちの世界の限界。汚染された外への憧れや興味を持たない様に映像資料も封印されたために空が青いとか太陽が光り輝いているとか、緑の草原だとか色とりどりの花だとか、言われてもさっぱりピンとこない。結局、俺たちの世界はドーム内の白い壁までなのだ。
『――こうして話ができるのももうちょっとかもしれないの』
そんな日々が続いたある日、唐突にシエルから告げられたのは別れの言葉だった。
『ランドたちのドームの存在がわかってから、大人たちが外の調査を始めたの』
「外って……汚染されたっていう?」
かつての戦争で放射能だか毒ガスだかで汚染され、人が住めなくなったという地上。
「おい、そんなことしたら――」
『それがね……調査に行った人、大喜びで帰って来た』
「え?」
「汚染が消えてたって』
汚染が消えていた?
昔から大人たちに、二度と外には出られなくなったって聞かされていた外が?
『それでね、その話を聞いた途端みんな外に飛び出しちゃったの』
「は――」
『想像以上だった。空は見たことのないくらい青くって、どこまでも高く続いていた。太陽もこれまで見たどんな光よりも強かった』
それは俺も文字や言葉で伝えられて知っていた情報だ。だけどシエルの言葉は目の当たりにした者にしかわからない感情が宿っていた。
『あと一番印象に残ったのは白いモコモコ』
「何だよ、白いモコモコって」
その表現に俺は思わず笑いだしていた。
『むー、仕方ないでしょ。他に表現しようがないんだから』
シエルから教えられた外の情報は、その熱が声からも伝わってくるようだった。
緑が広がる地上。所々を色鮮やかに飾る花。強弱を変えて吹き抜ける自然の風。遠くに見える山。寄せては返す波と水の飛沫。文字や言葉でしか残されていなかった言葉が初めて目の前で形になった興奮。そしてその熱は次第に俺の中へとしみ込んで来るような錯覚を覚えた。
『それを見て私、調査隊に志願しようと決めたんだ。あの太陽の下をもっと歩きたい。まだ知らない世界をこの目で見てみたいって思ったの』
「そうか……通信機は」
『うん、電源が必要だから持っていけない』
外に出れば長い間戻って来ることはできないらしい。そうなれば当然この寝る前の会話もできない。
『本当はもっとこうして話ができたらって思うけど、そうはいかないよね』
「仕方ないさ、いつまでもこんな生活を続けてはいられないからな」
『うん……ありがと』
「それじゃ、時間だ」
『うん。またね、ランド』
そして、この日も会話を終えた俺は通信機を切った。
それから少しの時が流れ、シエルは外へ出るための訓練と勉強の期間を終えて正式に調査隊に配属されることになった。
シエルから教えられた話を元に俺たちのドームも外への調査を始めた。外の汚染が収まっているというのは本当だと分かり、いよいよ俺たちの側でも長期間の地上調査が行われることが決まりつつあった。
そんな、俺たちを取り巻く世界が目まぐるしく変わっていく中でシエルと最後の通信の日が来た。いつもと同じ時間にいつものようにチャンネルを合わせていつものように会話が始まる。明日にはもうこんな時間を過ごせないとは思えないほど、いつも通りの時間だった。
『そろそろ時間だから……』
そして、いつも通りに就寝の時間が来た。何かを言いたい。そんな気持ちの中でシエルが先に言葉を発した。
『ランドには感謝してるんだよ』
「え?」
『君があの日、通信を繋げてくれたお陰で私の世界が広がった。真っ白だった空が本当に青いって知ることができた』
「偶然だよ」
『うん、偶然。ほんと奇跡的な確率で』
『それだけは伝えておきたかったんだ。それじゃ――』
「待ってくれ」
まだ終われない。俺には彼女に伝えるべきことがある。
『なに?』
「俺も……調査隊に志願することにした」
『そっか』
世界のどこにシエルがいるのかわからない。だけど、俺にはじっと待っているなんてできなかった。
会いたい。言葉を直接交わしたい。どんな姿なのか、彼女から伝えられた通りの姿を、俺の頭の中でしか思い描けていない姿を、直に目にしたい。シエルが外を初めて見た時のように、俺もその熱を感じたい。
『会えるかな?』
「会えるさ」
『自信あるの?』
「通信機が偶然繋がるより確率は高いさ」
クスクスと笑う声が聞こえる。そんな心地よい時間もいよいよ終わる。
『それじゃ……またね、ランド』
「ああ……またな、シエル」
そして、いつもと同じやり取りをして俺は通信機を切った。これから俺が通信機を使う理由はない。大人たちの管理の下に移していいだろう。
「またな……か」
根拠のない約束。だけど小さな世界で終わっていくはずだった俺の人生は彼女との出会いで大きく変わった。
だから俺は絶対に彼女を見つける。彼女の声が聞こえたという小さなきっかけから始まった世界の大きな変化。どこかでまた、奇跡的な確率で巡り合えたら、その時はまた彼女と共に新しい世界が広がっていくに違いない――俺の中にそんな確信があった。
それからしばらくして、俺はドームの外へ出た。シエルが言っていた自然の風が吹き抜ける。空はどこまでも青く、高く、白いモコモコが浮いていた。
生まれた時から、空は白いのが当たり前だった。世界の限界は白い壁だった。だから空が青いとか目が眩むほどまばゆい光を放つ太陽とか、どこまでも広がる世界があるとか言われても俺にはピンとこなかった。
だけど俺はその日初めて知った。空は青くて白い部分はほんの一部でしかないことを。世界は白い壁が限界じゃなく、どこまでも広がっているんだと。
「行くか」
俺は、まだ見ぬ世界へ踏み出した。
君の声は世界を越えて 結葉 天樹 @fujimiyaitsuki
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