1-12



 ダイニングを見ると、既に悠人が椅子に座らされて当たり前のように目の前にカレーが用意されていた。


 緊張しているのか、悠人はきゅっと肩をすぼめるようにして追加にサラダと麦茶を運んでくれている母にぺこぺこ頭を下げている。


 そんな母は、嬉しそうにニコニコしながら「遠慮しないで食べてね」なんて声をかけている。それだけではなく、悠人が来ることを知っていたらもっとたくさん用意したのにとちょっと後悔しているくらいで。


 まだ悠人がいるこの状況を飲み込めていない私との温度差を感じて脱力する。


 そして、悠人が座っている席の向かいには、対になるようにしてカレーとサラダ、麦茶が手際よく用意されている。それが私の分であることは容易に予想がついた。



「早く手洗ってきなさい」



 そういう母に促されて、私はしぶしぶ洗面台へと足を運ぶ。


 蛇口を捻って溢れる流水に手を差し出す。

 ひんやりして気持ちがいい。

 手を濡らしてから石鹸の入ったポンプを押した。

 手の中で石鹸の液が泡を立てて膨れていく。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 今から悠人と二人で向かい合ってカレーを食べるの?

 何を話せばいいの。

 というか、どんな顔して話せばいいの。


 再び蛇口から出てくる排水溝に真っ直ぐ落ちていく水柱に両手を差し出す。

 膨れていた泡が水柱に当たって跳ね返り、潰れては排水溝へと消えていく。


 水を止めて壁にかけてあるタオルで手を拭いて、鏡を一瞥して洗ったばかりの掌を頬にあてる。



 気まずい思いを引き連れたままダイニングに戻ると、母と悠人が楽しそうに話をしていた。



「あ、戻ってきたわね」



 母は私の分のカレーが置いてある席から立ち上がって私を椅子に座るよう促す。


 半ば強引に席に座らされた私の肩に母の手が乗った。



「それじゃ、お母さんこれから仕事だから。あとは若い人たちでごゆっくり」



 いや、言い方。



「え、もう行くの?」

「うん、元々仕事にいくところだったしね」

「なんか、すみません」

「全然いいのよ!気にしないで!久しぶりにはるくんの顔が見れて私も嬉しかったの」



 隣の椅子に置いていた仕事鞄を肩にかけて、悠人に笑顔で手を振る母を玄関まで見送ろうとすると、それを察してか「見送りはいいよ」と親切そうに言う。

 ただ悠人と二人になることに心の準備ができていなくて、心許ない不安を消そうとしただけなのだけれど。



「あなたも二人の方がいいでしょ?久しぶりにたくさん話したいこともあるだろうし」



 こっそり耳元でそう囁く母に振り向く。



「ちょっと!」



 そんな私の視線を華麗に避けては楽しそうに笑っている母。逃げるようにして玄関に行ってしまった。



「行ってきまーす!」



 玄関のドアがガチャリと音を立てて閉まる音が聞こえた。



「おばさん相変わらずだな」

「うん、まあね」

「カレー早く食べろよ。冷めるぞ。…俺が作ったわけじゃないけど」

「…プッ。本当だよ」


 

 どちらからともなく笑みが零れだして、その瞬間だけ、まるであの頃に戻れたみたいな気がした。

 それで少し緊張が解れたのか、私たちは何かを確かめるようにぽつりぽつりとお互いのことを話し始めた。



 高校で入った野球部のことや、同じ部活でクラスが一緒に仲の良い友達のこと。

 2年生としてベンチ入りを果たして練習に励んでいること。

 私も自分の通う高校の様子や、中学から仲が良い友里子と今でも仲が良いこと。部活は帰宅部に入ったこと、毎朝ご飯を作っていること。


 それを聞いた悠人は、小さい頃に私が作った和風チャーハンを思い出して語っていた。

 母が作るチャーハン見様見真似で作ったものだったけれど、塩が多すぎて物凄くしょっぱかったのだ。

 それを思い出して梅干しを口に含んだような顔をして、しょっぱいチャーハンの味を思い浮かべていた。



 昔のことを思い出すたびにあの出来事が頭に浮かんでしまう。




「…嫌われたのかと思っていた」

「え?」




 話しながらでもいつの間にか空になった二人のお皿。

 悠人の顔なんて見れなくて、使い終わったスプーンだけがお皿のふちに当たって斜めに立てかけてあるのを視界に捉えながら、私はそう口にしていた。

 悠人は優しい声音で返事をする。



「中学のときのこと覚えている?みんなの前で冷やかされたときのこと」

「…うん」

「あのときのことを責めているとかじゃなくて、悠人のこと思い出す度にそう感じていたっていうだけ」

「俺も」




 たどたどしくも話始める悠人の顔を見ると、平静さを顔で取り繕いながら、私が悠人の顔を見ずにお皿に視線を移していたように、悠人もまたどこか私ではないテーブルの角にでも視線を落としている。そして、右手でスポーツ刈りになった坊主頭を撫でつけているのを見て、気まずさと気恥ずかしさが違いの分からないその2つが入り混じっているのがなんとなく分かった。




「ずっとあのときのこと謝りたかった」

「え?」

「心にもないこと言って沙織のこと傷つけたことずっと後悔していたんだ。あのときは本当ごめんな───」


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優しく、触れていいですか。(仮) まこと @m2s56ai

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