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 その日の朝食の席で、樟葉は文代から「佐々木が複数の恐喝を行っていたために逮捕された」と知らされた。そして、一日中ニュースでその話題を嫌というほど聞かされることになる。

 キャバクラの綺麗なお姉さんと組んでさんざん強請ゆすりを続けてきたあげく、背中に刺青が入っているような人たちと結託、話題のブラック企業と官僚が密会している現場の動画を撮って億単位の金銭を要求して、お縄になったのだという。

 そんなとんでもないことをしでかす人と付き合っていたのかと思うと恐ろしく、未練も何も消し飛んでしまう。

 後日、いろいろなところから聞き込んできたらしい文代が、報道には出てこないことをいくつか教えてくれた。

 あの合言葉の謎もそれで解けた。

 動向を探るために佐々木に接触していた刑事さんが、樟葉を始末する手はずを整えているのを知り、佐々木が離席した時にそのケータイを使い、文代と樟葉にあの合言葉をメールしたのだそうだ。

 その刑事さんは高校時代に競技かるたをやっていたそうで、咄嗟に思い出した百人一首のひとつを合言葉に使用したという。

 元は「音に聞く 高師たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ」という歌なのだそうだ。

 気が多いと噂のあなたの、口説き文句なんて聞き流しますよ。うっかり本気になんかしたら痛い思いをして、後で袖がびしょびしょになるくらい泣かされることになりますから――というような内容の歌である。

 佐々木に口説かれたことはないが、お前がしっかりしてないから、いま泣きまくることになってるのだ…と叱られているような気分になったのは、自分だけの秘密だ。

 また、樟葉が文代でない人たちに連れていかれかけた理由もはっきりした。

 ブラック企業を強請り終わった後に、報復されないように綺麗なお姉さんが自分になりすますためだったのだという。

 そのお姉さんの住まいだというマンションが、自分が一月まで住んでいたところだというのを見た時、樟葉は二度目の気絶をした。文代に無理矢理調べてもらったところ、まさしく自分が住んでいた部屋だった。

 佐々木がやたらと引っ越しを勧めてきたのはそのためだったのか。自分が始末される下準備だと知らずに嬉々として転居したのが馬鹿みたいで、さすがにそれを聞いた日は布団から出る気力すらなかった。

 悲しくて、くやしくて、何度も何度も泣き崩れたが、その度に文代がつきそってくれた。いろんなことを夜通し愚痴り続けるのにも付き合ってくれた。

 その度に、佐々木のことを考えた時に起こる胸の痛みが、少しずつ、少しずつ、退いていく。そして、いつか痛まなくなるだろうと思えるようになってきた。

 だが、片付かない問題もある。

 自宅に帰れないのだ。

 佐々木が失踪を偽造した際、彼の失踪届を提出した綺麗なお姉さんが、樟葉が「失踪」の原因を作ったかのような供述をしたのだそうだ。だから、佐々木「失踪」が報道された当初は、樟葉が重要参考人扱いされて自宅マンションを放映されていたわけだ。

 その後、樟葉は無関係だと警察は判断し、捜査対象から外してくれたそうだが、佐々木逮捕の後もマスコミは樟葉から佐々木に関する話を聞き出そうと自宅玄関前に貼りついてしまっていた。

 あげく、派遣されている勤務先や、登録している派遣会社にまで取材陣が押し寄せたのだそうだ。会社に樟葉当人が説明に行きたくても、マスコミにつかまってしまう可能性が高すぎるので、そのフォローにも文代があたった。

 何から何まで面倒を見てもらって申し訳ないと言うと、文代は「大丈夫、大丈夫。逮捕される前に、佐々木さんからがっぽり報酬もらっておいたから」と笑顔で言い切った。

 もしかしたら、それは強請りで貯めたお金なのではないか。だとしたら、それは強請られた人に返すべきであって、自分のために使うのは問題なんじゃないかと思うのだが、有無を言わさぬ文代の気迫に負けて、何も言えなかった。

 そんなわけで、佐野邸での逗留は一ヶ月を越えてしまった。

 相変わらず、午前六時には勝手に目が覚めてしまう。こういう体質なのだとあきらめて、もぞもぞと起き出した。

 すっかり馴染んだ客間を見回す。ここで朝を迎えるのもこれが最後だ。

 オフィスのような片開きの窓を、換気のために開ける。流れ込む空気は、ここに来た頃よりもずっと暖かい。

 テレビをつけると、各地の桜の名所がリレー中継されていた。室内から出られない生活をしていると、まるで異次元の話のように感じられる。

 身支度を済ませると、荷造りをし、部屋を片付ける。鞄をベッドの上に置いて、ぐるりと室内を見回すと、なんとなく寂しさが湧き上がってくる。

 午前八時。ドアを開けてリビングへ向かう。

 「おはようございまーす」

 「おはよ」

 「おはよう」

 昨日の朝と同じように、文代と文香が動いている。

 「あ、文代さん。コーヒー、私が淹れます」

 「それじゃ、よろしくね」

 樟葉の逗留が十日を越えた頃に「二人とも名字が佐野だから、『佐野さん』と言われるとどっちが呼ばれてるのか分からなくなる」と文香が主張して以来、樟葉は二人を名前で呼びわけることになった。最初は文代を呼ぶのが怖かったが、今ではすっかり慣れた。

 「今日で赤城さんがいなくなっちゃうから、うちの中に潤いがなくなるわねえ」

 食事しながら、ぽつりと文代が言う。

 「潤い…って、なにオッサンみたいなことを」

 「だって、着てるもの見てごらんなさい」

 文香は自分を見回し、文代、樟葉と凝視して、納得したように頷く。

 「確かに。私も姉さんも地味な色しか着ないから、潤いがないか」

 「でしょ」

 「そんなに潤いが欲しいなら、姉さんが樟葉さんみたいなパステルカラーのフリフリを着たらいいじゃない」

 「文香ちゃん…」

 想像して、思わず吹き出してしまう。

 申し訳ないが、文代にパステルカラーは合わないと思う。

 「赤城さんっ! 文香も!」

 すっかり実妹と同じような扱われ方で、長らく欲しかった姉妹きょうだいが出来たような気分だ。それに甘えて、頼んでみたかったことを切り出してみたくなった。

 「………文代さん」

 「なに?」

 「これから、時々遊びに来ていいですか?」

 文代の瞳がすっと冷める。

 「闇胡蝶と関わりのあるところに、カタギのお嬢さんが出入りするもんじゃないわよ」

 図に乗りすぎてしまったようだ。首をすくめて小さくなる。

 「でも、時々近況報告しに来てくれるぶんには歓迎するわよ。

 赤城さんがまた変なオトコに引っかかるんじゃないかって、ちょっと心配だから」

 それを言われると笑ってごまかすしかない。

 ただ、その心遣いは素直に嬉しかった。

 自宅まで車で送ってくれる文代と共に、エレベータで地階の駐車場へと降りる。またお世話になるプリウスが地上に出た時、助手席におさまった樟葉は思わず歓声を上げた。

 「うわあ…っ!」

 「うちの窓は向きが違うから、知らなかったでしょ。東京は今日が満開みたいよ」

 道路の上に、一面に桜色のアーチがかかっている。ここへ来た時には枝がむきだしだった街路樹はソメイヨシノだったのだ。

 桜並木を通る間は…と、文代はゆっくりと車を進めてくれる。座ったまま、どこを見ても薄紅色の桜を存分に眺められて、とても贅沢なお花見だ。

 まるで桜に清められ、励まされているようだと思いながら、樟葉は花に酔った。

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多重依頼―闇胡蝶事件帖― 虚影庵 @kyoeian

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