最終話 嚙み千切る
タケさんの誕生日パーティーでしこたま飲んだ俺は、そのままタケさんとアフターをした。
ビルなのか路地なのかよくわからないところにあるバーに行き、飲んだ。それから、タケさんが酔った勢いで俺の乳首を触ってきた。
俺は思わず身を引いた。傷跡にひっかかって乳首が取れてしまいそうなイメージがあったからだ。
もしかしたら、アンダーシャツにうっすらと血がついているかもしれなかった。
俺の肩にタケさんがアゴを乗せた。
俺は乳首だけをせめるのではなく、もっと全体的にもんでもらうように、手をつかんで操作しようとした。するとタケさんがまたも苦い顔をした。
「けっこう濃いのねえ」
俺は「え」と言って、顔や首、それから胸をさぐった。毛穴はすべて剃り尽くしたはずだった。
「せ」
「せ?」
「背中よ。ボーボーじゃない?」
俺からは見ることができないが、どうやら背中の毛が相当たまっているようだった。バーの隅に移動して、背中をまくってもらった。タケさんが汗ばんだ背に手を這わせる。毛がふわりと動く感触が、俺に伝わった。
一気に青ざめた。
汗だくになりながら、午後半休をとって、クリニックへと足を運ぶ。看護師と話し合い、「脱毛すればするほど、毛がどんどん出てくる気がする」と伝えると、彼女は「いえいえ。そういう例はあまり聞いたことがありませんねえ。生えていないところにレーザーを打つと、ごくまれに、毛穴を逆に刺激してしまい、毛が生えはじめてしまう例はありますが……。まわりの毛がなくなるので、別の毛を濃く感じてしまうだけではないでしょうか」
顔の毛がなくなると、次は首、次は胸、背と、止まらなくなるそうだ。突然生えてきたわけではなく、もともとあったものだが、ほかの毛穴が消えると、そこの毛が目立つ。
心理的問題と片付けられた。
背にレーザーを当てられてから、俺は馬油、化粧水、乳液を顔と胴全体に塗るようになった。
「もう、上半身全部お願いします」
腋もレーザーで除去する。
ある朝、異様に白い上半身と、毛で真っ黒な下半身の姿が風呂の鏡に映っていた。
まるで、下半身が山羊でできた悪魔バフォメットのようだった。
俺は慌ててカミソリで足を剃りはじめた。膝頭の毛は一つの毛穴から複数本生えて来ていた。刃が途中でだめになるほど、足の毛は一つ一つが硬質で長かった。
刃に毛が絡まり、洗面器で激しくゆすいでも取れなかった。中途半端に剃られた足のまま風呂場を出て、コンビニに走った。ハーフパンツは履くのがためらわれたので、冬用のジーパンにした。その日は夏日のように暑かった。足が汗だくになった。
膝下を剃り終えると、排水溝が真っ黒になって詰まった。ビニール袋でつかんでゴミ箱に捨てる。太ももに刃がすべっていく。そのまま急所部分に近くなる。足の指にふと目が行く。一本一本太い毛が、つま先に向かって長く伸びている。指で抜こうとしても、根強くて抜けない。剃刀で深く剃ってもはっきりとわかるほど、黒い点が残った。
ようやく剃り終えた両足で立つと、急所部分が黒く、汚く見える。お尻はさらに汚いだろう。俺は出しっぱなしのシャワーで指がゆだって、白くふやけていることに気がついた。剃刀の刃を、またさらに新しいものに取り換えた。首や乳首以上に危険な箇所だった。ゆっくりと大事な部分に剃刀を添わせる。血管が川の支流のようにうねっている。その上を、刃が通り過ぎる。皮のたるんだ部分で刃がひっかかりかけては、ぎりぎりで止める。何度もシャワーを出して、毛を洗い流しては止める。水道代が馬鹿にならないことになっているだろう。見えないところまで刃は向かう。もっとも大事な部分に刃をそわせる。力を込めすぎないようにする。が、ほんの少しの皺のくぼみに刃が当たる。「っ」今度の痛みは、乳首どころではなかった。「あー」と絞り出すように俺は唸っていた。そっと手を当てると、人差し指に、小さな血がついた。顔から一気に血の気がなくなり、泣いてしまいそうだった。
結局、四十万ほど支払い、全身脱毛コースを俺は予約した。
髪の毛や眉毛やまつげといった顔の必要部分の毛を除いて、すべてのムダ毛をレーザーで除去することに決めたのだ。ボーナスも飲み代もすべてそれに消えた。タケさんのバーに行く金銭は残っていなかった。
「よくありますよ」と看護師は笑った。
マスクをしていて、本当の表情はわからないが、嬉しそうな顔をしているのだろうなと思った。
ベッドに座っている俺の目の前で、地面に頭をつけるぐらい深々と頭をさげて、片膝をついて、俺に何かを説明していた。俺はうなずきもせず、ただ呆然とそれを聞いていた。
早く毛穴を燃やしてくれと怒鳴って、施術用ベッドに寝転がりたくてたまらない。
全身に馬油と化粧水と乳液を塗りたくる。一か月に三回以上使い切るようになった。きれいに洗ったパジャマに着替える。肌の滑りが良く、涼しくて、よく眠れた。風呂場にいくと、真っ白な体の自分がそこにいた。白い肌の向こうに見えていた毛穴の黒い痕はレーザーで焼かれ、何もない。気が付かないうちにまた毛穴が復活するので、脱毛の予約を入れる。
俺は、毛を焼くために働いていた。
体はますますツルツルになり、頬はデキモノ一つない。タケさんが嫌な顔一つしないような体になりつつあった。食費をおさえているので、体も痩せた気がする。毛はない。だから大丈夫。自分にそう言い聞かせた。
出費を度外視したせいで、積み立てもかなり崩してしまった。けれど、毛は喉仏、アゴ下、乳首、腋のくぼみの一番深いところ、肩甲骨、臀部の弛んだところ、大事な場所の裏側、太ももの今まで白かったところ、指先。あらゆるところから生えてくる。それを見つけては焼きつくす。
シャワーを浴びるとき、自分の白い太ももを舐める。自分の味だから苦くなかった。やっと捻出した酒代で、タケさんと久々のアフターをしたとき、これほどまでに毛を除去したのに、やっぱり苦い顔をされた。どうやら、皮膚が辛いらしい。俺はおかしいと思って舐めてみる。いつも通りの、汗ばんだしょっぱさだ。
シャワーを止めて、自分の太ももを舐める。俺にはもったいないくらいきれいだ。こういう男と寝たかったなと思う。太ももに舌を這わせているうちに、自分が興奮していることに気がついた。右足から、左足に舌を移動させる。ふと、目の隅にうっすらとした毛が生えていることがわかった。太ももの内側、今まで毛が生えてなかった白い部分にレーザーを当てたせいで毛穴が活性化されて、産毛が出てきたのだ。
俺はそのままの姿勢で毛を唇でつまみ、毛を立たせた。うまく前歯ではさみ、噛み千切ることを繰り返した。
嚙み千切る毛のドキュメンタリー 猿川西瓜 @cube3d
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