2020 主観的な悲劇

@ADUTIRU-TO

2020 主観的な悲劇

私には信じられなかった。大事故が目の前で起こったからではない。その事故に遭った車に人がいないのだ。


 2020年、夏。世間はコロナウイルス騒ぎに呑まれ、主婦としてより一層の負担を強いられるようになる。息子も夫も自宅にいることが多くなり、冷蔵庫の食品減少が甚だしい。

夕飯の為の食材を調達しようと、駅前のスーパーに向かったのは、午後5時のことだった。マスクが家にあまりないので着けていかないことにする。

当然のことながら、この時間帯の道は混んでいて、分かっていても焦燥が募る。

 やはり、こうならば自宅近くにあるコンビニで済ましてしまえばよかった。

そう考えたとしても、もう遅いのは分かってる。しかし、その行き場のない憤りと自省の念が自らの体調と重なり合って激しく咳き込む。それゆえか、どんどん自らの注意力をなくしていくのだった。

 この苛立たしさが、つい前に起こった怒りをフラッシュバックさせる。額から汗が噴出し、座席に滴り落ちる。今までの疲労もあいまってハンドルに突っ伏した。


 仕事が終わり、疲れて帰って来た時にはもう、十二時をまわっていた。リビングに入る扉を開けた先には、ソファでゲームをしながらくつろぐ息子の姿があった。

「なんであんたそんなダラダラしてるのよ。少し位、勉強とかしたらどう?」

「何でだよ。さっきまで、やってたんだから。」

 私の言葉に対しての息子のその反抗的な態度が私の腹立たしさを助長した。

「はー知らないわよ、そんなこと。仕事行ってたんだから。」

 怒りで少し声が上ずる。

「どうせ今、お母さんは何で私は仕事で疲れて帰ってきているのに、息子たちはのんびりと過ごしているんだ、みたいなこと思っただろ。」

「思ってないわよ。」

 図星だったので少し動揺する。

「嘘をつけ、いっつもそうじゃないか。大体、俺は今まで勉強とかしてて疲れてるんだ。自分の情報だけで物事を判断するなよ。」

「はっ。じゃあ勉強終わったならば少し位運動とかしたらどうなの。こんなに天気いいのに。最近、ずっと家にいるじゃない。誰かと公園とかで遊ぶ方がずっと健康的よ。」

 私は少したじろいだ。無論、怒りは強まるばかりなので、強気に返す。

「お母さん、今の状況分かってんのかよ。こんなコロナコロナで大変な夏に、外で遊んでられるかよ。他の人の迷惑になるってこと分かってないの。マジでお母さん、主観的すぎるんだよ。自分だけの目線でしか話してこないじゃないか。もう一回言うけど本当に自分しか見えてないからね、昔から。自分の置かれている状況を全く理解できてないじゃないか。もっと視野を広げてから文句いえよ。」

 弁が立ってきた息子にそう押し切られたまま引き下がった。隣で夫が頷いているのも癪に触った。

 

 そうこうしているうちにやっと車が進み始めた。向かいの大きな交差点を右に曲がろうとする。その刹那、けたたましい爆音と例えようのない衝撃が車体ごと私の耳を劈いた。

 その音は蝉の鳴き声に反響し、暫くなり続いた。それが収束したかと思うと、ざわざわとした人の喧騒が聞こえてき始めた。

 私は必死で頭をあげる。そして、一体何があったのか車から降りて、確かめようとた。

 慎重に車から降り、辺りを見回す。寂寞とした噴煙が鼻を掠めるのが分かる。目前には歩道にのりだし、大きく破損している二つの車があった。

 突然のことに言葉を失う。ここまで大きな事故をここまで間近では勿論、見たことがない。

 赤い車の方には、血だらけで倒れている男性が車内で見て取れた。おのずともう一つの方の車にも目を向ける。そこで私は、衝撃的な事実に気付いた。

  人が乗っていない

 事故のインパクトを凌駕し、この事実は頭に刺さった。

  何故だろう。

 幽霊みたいなものなのだろうか。所謂、怪談でよくある話の車が事故を起こしたのだろうか。もしかしたら、事故の後に乗っていた人が昇華したとも考えられる。いや、流石にそれは非科学的すぎるだろう。

 では、見えていないだけで車内のどこかに隠れているのだろうか。そう思ったのだが、その車は小型車であり、大人一人が綺麗に隠れることができるスペースなどあるはずがない。

 もう救出されたということは考えられないのだろうか。やはり、それはないに違いない。一番にこの事故を見た私が、その救出された姿をみていないのだから。

 久しぶりに頭を使ったからなのか猛烈な頭痛を感じる。また、降りたときにぶつけたのかもしれないが足にも大きな痛みを覚える。

 あっ、救急車が来たようだ。これでこの謎は分かるかもしれない。だが、何故かその隊員は私の方に近寄ってきた。状況の説明を先に求めているのだろうか。気が付くと私は担架に乗せられていた。「大丈夫ですか。意識ありますか。」そんな声が私に話しかける。

 夏の光を浴びた風が私の鼻腔を刺激し、担架の上から痰交じりの咳が出る。この時世もあいまり、救急隊員の顔が歪む。私は薄れ行く意識の中で「私がコロナ持っているわけないじゃない」という主観的なことを思うのであった。

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