第五幕

五、藤原堂七七の邸、玄関先の場


潮五郎 〈おうおうおう、いるか?先生に和歌の教え子の旦那がきたと伝えろ〉

女中 〈あらあら、どうなされました?どなた様でしょう?〉

潮五郎 〈ここにお舟っつう女が習い事にきてるだろ?俺ぁその旦那だ〉

女中 〈おやおや、お舟さんの。お舟さんにはいつもいつもよくして頂いて。御礼申し上げます〉

潮五郎 〈そうかい。ただな、今日はそんな話をしにきたんじゃねえんだ。この藤原堂の主人はいるか?〉

女中 〈おりますよ。ちょうど奥の書斎で、書き物をされているところです〉

潮五郎 〈おう、ちょっと呼んでくれ〉

女中 〈あがりますか?〉

潮五郎 〈いんや、ここでじゅうぶんだ〉

女中 〈お待ちください〉

藤原堂主人 〈いや、お待たせ致しました。本日はいかが致しました?〉

潮五郎 〈おっと、女中は下げさせてくれ〉

女中 〈はぁ、かしこまりました〉

潮五郎 〈でだ、お前さん、うちの女房のお舟に和歌を教えてるんだってな?〉

藤原堂主人 〈ええ、その通りです。お舟さんは筋もよく、あたかも奈良や京の都の殿上人に浮かぶような歌をすらすらと詠むこともありますよ。いや、お世辞ではなく〉

潮五郎 〈今は昔の奴らみたいに、かい?〉

藤原堂主人 〈ええ〉

潮五郎 〈それがよくねえんだ。うちの女房にあんまり変なことを教えてねえでくれ。俺は聞いたぞ、その昔、和歌なんつうものは男と女の浮気に使われてたっていうじゃねえか?〉

藤原堂主人 〈おほほほ、それはそれはその昔の話ですねえ。そんなこともあったみたいで〉

潮五郎 〈今はないような口ぶりじゃねえか。んなこた、信じられねえや〉

藤原堂主人 〈どうお伝えすればよろしいですかね?困った〉

潮五郎 〈うちのお舟ともちいと喧嘩したんだが、和歌の詠む人は変わっても、昔に詠まれた和歌は変わらねえじゃねえか〉

藤原堂主人 〈そう言われてしまうとねえ。みるめ刈る かたやいづこぞ 棹さして 我に教へよ 海人の釣り舟、の中身はそりゃあ変わりませんけどねえ〉

潮五郎 〈ほら、そうだ。みるめ何とかって、今の歌もそうじゃねえか。どっかで聞いたことあるぞ〉

藤原堂主人 〈それはご見識の高い。「みるめ」の掛詞ですな〉

潮五郎 〈よくわからねえな。見る目があるってことか。馬鹿言え。和歌なんざ、金輪際俺ぁ見るめえ〉

藤原堂主人 〈海なるみるめのことを申し上げております〉

潮五郎 〈そんなことはどうでもいいんだ〉

女中 〈立て込んでいるところに失礼します。ご膳のご用意ができましたよ。え、みるめ、みるめ、って、みるめがご所望ですか?今日のご膳は春の「ひじき」の白和えにございますよ〉

潮五郎 〈何だ、うるせえ、女中はひっこんでろ。今はな、うちのお舟とこの先生野郎の浮気を問い詰めてんだ〉

女中 〈なんてこと、先生、あら、あらー〉

藤原堂主人 〈ああ、まったく、どちらも聞かないお人だ。いっそ、どちらも「あえなし」としてほしい〉


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【落語台本】海松布(みるめ) 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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