龍と出会う

雨世界

1 ……あの、こんにちは。これ、食べますか?

 龍と出会う


 プロローグ


 ……あの、こんにちは。これ、食べますか?


 本編


 あなたが世界で一番愛している人は誰ですか?


 僕が龍と出会ったのは、小学校五年生のときだった。


 龍はとてもお腹を空かせているようだった。なので、僕はびくびくと(初めて見る)巨大な龍の姿に怯えながら、ランドセルの中に入れて持っていたパンを龍に差し出した。

「……あの、これ、食べますか?」

 僕が差し出したパンを(まるでお供え物のようにして、岩の上においたのだ)その巨大な顔を動かして、顔を近づけてから、くんくんと匂いを嗅いだあとで、ぺろっと赤い舌を出して食べた。


『……ふん』と龍は言った。(その顔はどこか不満そうだった)

 龍は僕の差し出したパンを(それはあんぱんだった)ぺろりと一口で平べてしまった。

 龍はまだ、お腹が減っているようだった。(ぐーと龍のお腹は鳴っていた)


 なので僕は、今度はもっとたくさんの食べ物を手に入れようと思った。(龍がお腹が空いているとかわいそうだと思ったし、なによりも、そうしないと、僕が食べられてしまうかもしれないからだ)


 僕は空を見上げた。

 

 雨降りの空。曇り空。冷たい雨の降り続く真っ暗な空がそこにはあった。僕は雨宿りをしていた龍の住んでいる洞窟の横にちょこんと体育座りをして座り込んで、そのまましばらくの間、その場所でじっと目をつぶって。ざーっという静かな雨の降る音を聞いていた。


『お前はこの私が怖くはないのか?』と龍は言った。

 目を開くと、いつの間にか龍は洞窟の入口あたりまでその巨大な顔を出していた。(鼻の先っぽと立派な二本のヒゲが雨に濡れてしまっていた)

 龍の巨大な丸い黄色い目が(まるで蛇のような目だった)じっと僕のことを見つめていた。

「……怖いけど……、怖くないです」と僕は言った。


 すると龍はしばらくの間、じっと僕のことを見つめてから、『がっはっはっは!!』と、とても巨大な口を開けて(その中には真っ赤なべろがあった)龍はとても楽しそうに笑った。

 その龍の笑い声の大きさに僕はびっくりしてしまったのだけど、周囲の木々がざわざわと激しく揺れて動いただけで、ほかにとくになんの出来事も(たとえば誰かが、龍の笑い声を聞いて、こちらにやってくるのか)起きることはなかった。

 僕はほっとする。(きっと龍は、大人の人に見つかれば、殺されて、あるいは捕まってしまう、そして、見世物になってしまうかもしれないと思ったからだった)


『気に入った。よし!! 気分がいいから、今日は、お前を私の背中に乗せてやろう。特別だぞ」とにっこりと笑って(巨大な牙をむき出しにしながら)龍は言った。


 僕は、ずっと空を飛びたかったのだけど、でも、少し怖かったので、その申し出を断ろうと思った。だけど龍は僕のそんな気持ちや言葉なんて御構い無しに、僕のことを無理やりに、その背中に乗せるようにすると、(龍の背中に乗るのは大変だった。鱗が滑って、体が大きくて、その背中に乗るまでに僕は何度も、何度も、大地の上に落っこちた)それから洞窟をすごく、本当にすごく速い速度で飛び出すと、そのまま青色の空の中を自由自在に、とても速い速度のままで、飛び始めた。


 僕は怖くて、(大地の上におっちるのではないかと、怖くて怖くて)ずっと龍の背中に生えている白い毛のようなものにぎゅっと、しっかりと両手で捕まっていた。

 でも、しばらくして、僕は龍の背中の上でゆっくりとその両目を開けてみた。するとそこには、『いつもとは違った世界が広がっていた』。


 自由な世界。

 明るい世界。

 雨上がりの世界。(雲の上の世界)


 今まで見たこともない、希望に満ちた世界が、風景が広がっていたのだった。

 僕は青色の空と、輝く太陽と、真っ白な雲の中で、思わず、(あまりに感動して)泣き出しそうになってしまった。


 龍の大きな背中に乗って、僕は空を自由に飛んだ。『どうだ? 楽しいか?』と龍は言った。僕は龍に「はい。すごく楽しいです」と強くて気持ちのいい風の中で、本当のことを言った。すると『がっはっはっ』と龍はとても楽しそうに笑っていた。


 僕も、いつの間にか、にっこりと笑っていた。(それから僕と龍は、最初に龍がいた暗い洞穴のあるところに戻った)


 いつの間にか、ずっと降っていた雨は上がっていた。


『では、さらばだ。元気でな』

 と言って、龍は雨上がりの空の中に一人で、まるで今上がった雨と一緒に空の中に消えていくようにして、大空を飛び、その青色の中に消えていってしまった。


 龍が消えた世界には、……小学校帰りのランドセルを背負った僕と、それから青色の雨上がりの空にかかっている綺麗な七色の虹だけが、残っていた。


 それから僕は遅くならないうちに、急いで雨上がりの街の中を歩いて、自分の家に帰ることにした。(水たまりが綺麗だった)

 お母さんには、少し帰りが遅くなって怒られたけど、龍と出会ったことは、結局お母さんにも話さなかった。(ちょっと、雨を眺めていたと話した)


 僕が龍と出会ったのは、この雨の日、一日だけだった。


 それからいつ、あの暗い洞穴のあるところに行っても、龍はそこにはいなかった。(龍のいなくなった『真っ暗な深い穴』が、そこにはあるだけだった)

 僕は怖い巨大な龍ともう一度会いたかったのだけど、結局どこを探しても、僕は龍を見つけることはできなかった。


 これが僕が龍と出会った日の、すべての思い出だった。この話を僕は誰にも話したことはない。だって、話してもきっと誰も信じてはくれないと思ったからだった。


 大人になった僕は、あの日出会った龍を探して、雨が上がった晴れた青色の空を見上げた。

 でも、そこにはやっぱり、龍はいなかった。


 そこには、いつも、あの日に雨上がりの小学校の帰り道に見た、……大きな、とても大きな二重の七色の虹が、青色の空の中にあるだけだった。


 さようなら、龍。……あの日、僕を助けてくれてどうもありがとう。

 と綺麗な雨上がりの虹に向かって、僕は言った。


 それから僕はあんぱんを買って食べた。(あんぱんは、すごく美味しかった。なんだか小学生のころに食べたあんぱんと同じ懐かしい味がした)


 僕の父が真っ白な病院のベットの上で亡くなったのは、それから次の、五月の蒸し暑い、雨の日のことだった。


 父がいなくなって、僕はその日、一日中、ずっと、ずっと泣いていた。


 龍と出会う 終わり

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