ひと夢の冒険

夢月七海

ひと夢の冒険


「お客様、どのような冒険をご希望ですか?」


 目の前に入国審査のゲートがあり、その内側に立っている欧米人の男性からそう尋ねられた。髪の毛は明るい茶色で、赤い瞳を細めるように笑っている。

 僕はそれを見て、酷く混乱した。今、ベッドの上で眠りについたはずなのに……そう思い返して、これが夢なんじゃないかと気づいた。


「ええと、これは夢ですか?」

「はい。そうです。どんな怪我をしても痛みはありませんし、また、死ぬこともありません」


 あっさり認めた審査官はにこやかに、淀みなく説明してくれた。

 それを聞いて、僕はわくわくしてきた。本当の冒険がこれからできるなんて。


 僕は、どんな冒険を望むのかを早口で、細かく説明した。ファンタジー世界で、ダンジョンに潜って宝を探す冒険をしたい、ジョブは魔法使いがいい、などなど。

 審査官はそれを聞いて、手元のパソコンに何かを入力していく。そして、「では、こちらをどうぞ」と古びた地図らしきものを差し出した。


「こちらは、ダンジョンの地図の半分です。残り半分はもう一人の冒険者が持っています」

「え? 僕以外にもいるのですか?」

「はい。あなたと同じタイミングで眠っている方です。同い年の少年で、ジョブは剣士ですね。あなたと話が合うと思いますよ」


 一瞬、不安に思ったけれど、審査官の説明を聞いてほっとした。確かに、剣士と一緒に冒険できたら頼もしいし、友達になれるかもしれない。

 受け取った地図を見てみる。地図の上には「七色に輝く宝あり」と書いてあった。


「では、出発準備ができましたので、あちらのゲートからどうぞ」


 審査官が左手側を示すと、その先に内側が白い光が漏れ出してる空港のゲートがあった。

 僕は頬を上気させながら、地図を握ってゲートを潜った僕は、白い光に包まれた。






   ▽






 ゲートの向こうは、巨大な洞穴の前だった。周りは、鬱蒼とした森で、聞いたことのない鳥の声がどこからか響いている。

 洞穴の中を覗いていると、背後から「おい」と声を掛けられた。一瞬跳び上がりそうなほど驚いたけれど、審査官が言っていたもう一人の冒険者かもしれないと、喜び勇んで振り返った。


「お前、地図を持ってないか?」


 腕組みをして立っていたのは、僕と同じ高校生くらいの少年だった。腰には剣をさしていて、右手には地図を握っている。

 僕はそれを見て、がっかりしていた。僕を睨む彼は髪を金髪に染めていて、その根元は少し地毛の黒が覗いている。


「うん、持っているよ」


 出来るだけ愛想よく答えて、自分の持っている地図を掲げる。近付いてきた彼に「寄こせ」と乱暴に奪われた。

 服装はファンタジー世界のものだけど、見るからにヤンキーで、あんまり似合っていない。僕も格好と背中の大きな魔法の杖以外は普通の日本人だから、同じような感じだと思うけれど。


 少年は、自分の地図と僕の地図をくっつけてみた。「汝よ、その迷宮の底へ行け」と書いている彼の地図が入り口側で、僕の地図が宝のある方だった。

 それを確認すると、少年は何も言わずに洞穴へと入っていく。僕は慌てて、その後を追った。


「ねえ、僕、利也としなりっていうんだけど、君は?」

「駿助」


 名前を尋ねてコミュニケーションを取ろうとしても、彼はこちらも一瞥もせずに歩きながら答える。僕は思わず、ため息をついていた。

 話が合うと聞いたけれど全くそうは思えない。自分と似た、ゲーム好きの人が一緒だと期待していたのだけれども……。


 その時、僕らの目の前にスライムが三匹現れた。これまで何の変哲のない洞穴だったのに、急にダンジョンぽくなってきて驚いた。

 駿助はにやりと笑い、腰の剣をすらりと抜く。僕をよそに、三振りでスライムを全部倒してしまった。


「案外、そっけないな」


 駿助は物足りなさそうにそう言って、剣に付いたスライムの液体を払った。緑色が、べちゃっと横の岩に飛び散る。

 この後も、蝙蝠とかゴブリンとかが現れたけれど、駿助はバッサバッサとそれを切り捨てていく。僕が杖を握る暇すら与えてくれない。


 これじゃあ冒険の意味がないじゃないかと、後ろでぶつぶつと文句を言いながら、ダンジョンの下を目指して進む。ゴールまでどれくらいあるのか気になったけれど、駿助に訊く勇気は出ない。

 四つ目の梯子を見つけたところで、目の前に巨大な石が落ちた。それは、ぱっと開いてゴーレムになる。駿助は剣を抜いて斬りかかったが、その石の体に弾かれた。


「何っ!」

「駿助、かがんで!」


 僕は杖を抜いて、思いっきり振った。頭に思い浮かんだ、無茶苦茶な言葉を一緒に叫ぶ。

 すると、杖の先から水が勢いよく発射されて、ゴーレムはその水圧に耐え切れず、木っ端微塵になった。


「どう? 岩石のモンスターは水に弱いんだよ」

「お前……」


 胸を張る僕に、振り返った駿助がきょとんとした顔で口を開いた。

 「生意気なんだよ」――いつかの言葉が心に去来し、僕は一瞬体が固まった。


「意外と頭脳派なんだな」


 しかし、彼が言ったのは褒めているのか、よく分からない一言だった。

 今度は僕がぽかんとしていると、駿助は「行くぞ」とだけ言って、梯子の方へと向かった。慌てて追いかけながら、そういえば出発時に声をかけてもらったのは初めてかもしれないと気付いた。






   ▽






「ここが、ダンジョンの一番下だ」


 梯子を下りた時に、駿助がそう教えてくれた。いよいよここが最後かと、僕も気を引き締める。

 ここまで僕らは会話らしいものはなかったけれど、確かに連携はできてきた。僕がモンスターの弱点を教えたり、駿助が背後の危険を知らせてくれたり、そんな連携が取れるようになっていた。


 ダンジョンを潜っていくにつれて、モンスターの強さは増していく。痛くはなかったけれど、怪我をすることも増えてきた。

 この先、どんなモンスターが待ち構えているのだろうか。上よりも壁の松明の感覚が広くなったダンジョンの中を、注意深く少しずつ進んでいく。


 ざわざわと、暗闇の向こうから何かが近づいてくる音が聞こえた。僕らは立ち止まり、それぞれの武器を胸の前で構える。

 あの音が、たくさんの足音と人の声だということに、しばらくして気が付いた。そして、僕らの前に現れたのは、真っ黒いシルエット……だけど、アイツらだと分かるものだった。


『うぜぇんだよ』

『ドヤ顔すんな』

『空気読めよ』

『喋んな』


 アイツらは、そう言って、ゆらゆらと揺れているだけだ。こちらにある程度の距離を保ったまま近付いてこないけれど、僕は足がすくんで、何もできなかった。

 アイツらにやられたことを、思い出していた。殴られて、蹴られて、ノートを破られて、筆箱の中身をごみ箱に捨てられて……。


 そうだ、駿助はどうしたんだろう。僕はその時同伴者のことに気付いて、横を見た。なぜ勇敢な彼は、この影に斬りかかっていかないのだろう。

 駿助は、僕と同じように色を失っていた。合わない歯の隙間から、「先輩……なんでここに……」と呟いている。


 もしかしたら、駿助には駿助にとって、一番怖い相手が見えているのかもしれない。

 今、この恐怖に震えているのが自分だけじゃないと考えたら、僕はむしろ勇気が湧いていくようだった。


「駿助、大丈夫だから」

「あ゛?」

「あれは、アイツらじゃない。ああして何か言ってくるだけだから、思い切ってやっつけてしまおう」


 僕は彼を励まそうと、引き攣った笑みを浮かべた。

 すると彼は、脂汗を掻く顔のまま、にやりと笑った。


「遠慮はいらねぇな」

「もちろん」


 僕らはがむしゃらに突っ込んでいった。駿助は無茶苦茶に剣を振るい、僕はとにかく呪文を唱えて、雷やら炎やらで攻撃した。

 アイツらは、攻撃が当たるとあっさりと煙のように消えてしまった。何もしてこないけれど数は多くて、全員を倒し切った僕らはその場に座り込んだ。


 僕らはお互いのことを話していた。僕はいじめられていて、不登校の引きこもりになってしまったことを。駿助は先輩たちの抗争から逃げ出して、ずっと家で息を潜めていることを。

 僕らには、この夏から一歩も外に出ていないという共通点があった。だから冒険を望んでいて、審査官が会わせてくれたのだろう。


 十分に休憩をして、駿助と一緒に歩き始める。影が消えてしまった先に、何か出口らしき穴が見えていた。

 その光の方へと、自然に駆け足になりながら進んでいく。そして、僕らは一緒にそこへ出た。


 目の前は大きく開けていて、見上げるほどの高さから滝が落ちていた。青い空を照らす太陽が、滝の上げる水飛沫から虹を生み出している。

 僕らは、崖のようになっている足元から、眼下に広がる森と川の風景に圧倒されていた。だけど、驚いたのは別の意味でだった。


「七色の宝は、虹のことだったのか」

「ベタだね」

「ベタ過ぎんだろ」


 僕らは、二人同時に一緒に笑いだした。審査員は、どんな意図でこの冒険を用意しただろう。

 ひとしきり大笑いした後に、駿助が空を見上げて感慨深く呟いた。


「空、もう何日も見ていないな」

「うん。現実のもきっと綺麗なんだろうね」


 審査官は、僕らは同じタイミングで寝ていると言っていた。それならばと、僕は駿助の方を向いて提案する。


「ねえ、起きたら、最初にカーテンを開けようよ」

「ああ、面白そうだな、それ」


 僕らが楽しそうに笑い合った瞬間、シャッターが下りたかのように、急に暗くなった。






   ▽






 はっと目が覚めると、当たり前のことだが、僕は自分のベッドで眠っていた。

 薄暗い部屋を見回してみる。埃をかぶった机も、二〇二〇年八月のカレンダーも、漫画が散乱した床の上も、昨日のままだ。


 僕はベッドから立ち上がり、真っ直ぐに窓へ向かった。

 アイツらが見ているかもしれないとずっと締め切っていたカーテンを掴んで、勢いよく開ける。


 外は快晴だった。空の青色って、こんなに眩しかったっけと、目を細める。

 どこかにいる駿助も同じ空を見上げているんだと思うと、久しぶりに明るい気分になれた。

















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ひと夢の冒険 夢月七海 @yumetuki-773

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