2020年の眼差し

悠井すみれ

第1話

「次の企画は、東京オリンピックで行きたいんですよ。先生、何か考えてくれませんか」


 打ち合わせが一通り終わった後の、雑談のついでのようにプロデューサー氏は切り出した。膝の上で猫のマロンをあやしながら。当のマロンは、飼い主の愛撫や甘い声よりも、私の腕を抱き枕にしているレオにパンチを繰り出すのに夢中になっているようだが。とはいえリモートミーティングではマロンの爪がこちらに届くことはない。レオも既にそれをよく知っているから、飼い主同士のやり取りにも、姿と声だけは知っている同類にも我関せずと昼寝を決め込んでいる。


 音声か文書ツールでのやり取りでも良いものを、わざわざ画像も使ってのミーティングにしているのは、一つには写り込む部屋を人に見せられる程度に整頓しておくため。そしてもう一つには室内飼いのお互いの愛猫の刺激のためだ。それでも、うちのレオにとってはさほどの効果はなさそうだ。「しんにゅうしゃをやってやった」感に満ち溢れているマロンのドヤ顔は可愛いから、私にとってはメリットなのかもしれないけれど。


「東京オリンピック、というと──」


 とにかく、P氏は今、なんと言ったのだろう。我が国の首都でオリンピックが開催されたのは確か二度ほどあったと思うけど、何年だったかは咄嗟に思い出せなかった。


「最近の方です。2020年、二十一世紀になってからの方」

「また、どうしてそんな昔の話を?」


 私が検索AIに問い掛けるまでもなく、P氏は答えを教えてくれた。それでも、私たちが生まれる前の話には変わりない。その時代なら、まだ競技場に選手と観客を集めた形式の大会ではなかったのだろうか。今時の視聴者が、興味を持つ題材とは思えなかったけれど。

 

「昔なのは分かってるんですけどね、偉い人はまだロマンを持ってるようで、企画も通りやすくて」

「はあ、年配層に刺しに行く感じで? ドラマですか、それともドキュメンタリー?」


 私は、映像作品のシナリオライターを職としている。演出や監督にも口を挟むことがあるから先生などと持ち上げられることもあるけれど、正直今の時代では大した権威もないだろう。かつては一つの家庭にテレビは一つで、家族が揃って同じ番組を観たり、学校や職場で人気番組が話題になったりすることもあったと聞くが、そんな夢のような時代は今や遠い。

 私たちが手掛ける作品が大々的な流行になることなど、もはや望めない。企画の段階でターゲットとなる層は厳密に狙って行かなくては。その点、年配層はまだ「夢の時代」の記憶がある人たちだから、狙いやすいところだとは言える。つまり、その世代が共有する話題が多いということだから。事実、私の確認めいた質問に、P氏はにこやかに頷いてくれた。


「ドラマで、ノスタルジックな感じ、だと思います。いや、企画では『改めて全世代の心を一つ』になんて言ってるんですけど、そんなの無理なんで。平成世代を狙って行けば良いかと」


 ざっくりとした指示は、この業界にはよくあることだ。企画が企画のまま立ち消えることも。


「分かりました。ちょっと考えてみます」


 だから私はよく考えることもなく快諾した。近代ドラマは挑戦してこなかったジャンルだし。今の時代なら、調べものもかつてよりぐんと楽なはずだ。




 私は夏の日差しが降り注ぐ競技場に立っていた。2020年頃の東京の七月の平均最高気温は、30度。設定気温と湿度は私の知覚にも反映されて、久しく感じていない汗が背を伝う感覚までもが再現される。

 話を受けた時に予想した通り、無料で公開されているVRワールドには、東京オリンピックをなぞったものが何百とあった。個人作のもの、学生が授業やクラブ活動の一環で作ったもの、企業が技術力のプロモーションで作ったもの。世界各地の観光地や、ゲームやフィクションの世界を模した「世界」に比べればずっと数は少ないけれど、それでも予想していたよりは多い。P氏が言っていた通り、東京オリンピック2020が一定の層に「刺さって」いるのは間違いないらしい。


「幻の夏、かあ」


 その理由は、事前に調べて少しだけ分かっている。


 2020と言いつつ、東京でオリンピックが開催されたのは、実際には翌年の2021年だったこと。その理由は、新型ウィルスCOVID-19の世界的な流行によるものだったということ。2020年の夏は、実際には自粛の雰囲気が強い息詰るようなもので、経済的にも心理的にも圧迫された人々が多くいたこと。VR技術発展の背景として、二十一世紀前半のパンデミックは知っていたはずだけど、オリンピックにまで影響していたとは今まで結びついていなかった。

 そして晴れて開催されたはずの翌年のオリンピックだって、予定されていた通りの祭典ではなかった。

 ウィルスの感染拡大をまだ警戒して参加を見合わせた選手もいれば、肉体的ピークが過ぎたり、一年の間に故障したりして晴れ舞台を逃した選手もいた。世界中から訪れるはずの観客も観光客も、予定されていた数には達しなかった。あまりにも多くの人が、こんなはずではなかった、と思った大会だったということなのだろう。

 とはいえ、理解はできるような気はしても、納得にはほど遠い。


「どういう気持ちで、作ったんだろうなあ」


 VR世界に再現された東京オリンピック2020を見てみると、どれも眩しいほどの晴天と、会場を埋め尽くす観客の、耳を塞ぐ歓声を作り込んだものばかり。2021年に実際にあったものではなく、何もなかった時にあるべきだった2020年の夏をしようとしているかのようだ。


 広々とした競技場のトラックを横切り、これまた精密に作り込まれた観客席に入りながら、私はターゲットにすべき世代の心情に思いを馳せる。スポーツ大会が延期になったからといって、後に理想の開催像を作り上げるほどの情熱がどこから来るのか。

 撮影にVR世界を使用することもあるから、ロケハンも兼ねての疑似的なタイムスリップというところだった。2020年の夏の暑さ、空気、熱狂──ただし、後に作り上げられたもの。理想と現実のギャップを埋めて、視聴者の心に響くストーリーを練るのが私に求められた役割なのだろうが。


 パンデミックなどなかったかのように、華やかな、あるいは爽やかなスポーツものにすれば良いのか。2020年の夏がこうであってほしかった、という願望を満たしてあげれば良いのだろうか。フィクションにおいて厳密なリアリティや時代考証は必ずしも必要ではない訳で。


「いや、2020年にFIKAはないか……」


 観客──として配置されたオブジェクト──の一人が、数年前に流行ったブランドのワンピースを纏っているのを見て、私は苦笑した。ひと目で分かるような考証のミスは、さすがに排除しなければならないだろう。

 たまたま足を止めたついでに、私はオーパーツな服を纏った観客オブジェクトをしげしげと見た。フリー素材でも使ったか、この世界の制作者はエキストラを集めたりしたのだろうか、と思いながら。


「──……!」


 そして、彼女と目が合って息を呑んだ。いや、もちろん意思を持たないに対して、そんな表現は不適当なのだが。


 十代後半の、可愛らしい少女。黒い真っ直ぐな髪に、白い帽子が映えている。VRとはいえ太陽の明るさと夏の暑さが似合う、若々しい健康さ。メイクによってではなく頬は染まり、唇は弧を描いている。でも、それよりも、彼女はなんて目をしているのだろう。


 祈りを込めた、真摯な目。祭典に浮かれるのでもなく、競技の展開に手に汗握る風でもなく。ただ、何か強い想いを秘めてこの場に佇んでいることだけは、分かる。


「どうして……」


 呟きながら、は私の疑問への答えを教えてくれているのだ、という気がした。それは、この少女も2020年にこの年齢で生きていたのではないのだろうが。それでも、この世界の制作者が彼女にこの表情をさせたのは理由があるはず。この世界は、意図をもって作られたはずなのだから。


 私は足を早めて、観客やスタッフの顔をひとつひとつ覗き込んだ。2020年の夏に込められた思いが読み解けるのではないかと期待して。彼らの笑みは、ただの曇りない笑みだろうか。その影に、深い傷を抱えてはいないだろうか。前年の悲惨と抑圧があった上で笑う意味を、考えるべきなのだ。

 なかったことにしようとしている訳ではない。理想の、あるべきだったオリンピックを作り上げて、現実の記憶に蓋をしている訳ではない。


 皆が心を一つにして、再び歩き出す。その起点、その切っ掛け。その決意の表明として、この祭典はあるべきだ、と──心の底で感じている人が多いということ、なのだろうか。


 私は、もう一度競技場全体をぐるりと見渡した。楕円のフィールドを囲む客席、その上部に張り出した屋根、そこから覗く青い空。ほのかに木の香りを感じるのは、木材を多く使って建設したというエピソードを反映しての設定なのか。とにかく、競技場と言って思い浮かぶ映像とさほど変わりない。私だってVRスポーツ大会を観戦することはある。でも、ここは、ここに作られた2020年の夏、決して過去そのものではないこの夏は、ただの場所ではないのだろう。スポーツ競技をするためとか、思い出に浸るための場所ではなくて。


 再出発への祈りを込めた聖地、とでも言うべきだろうか。


「挫折からの再起……未来への希望を込める……一丸となって……」


 VR没入用のデバイスを頭から外しながら、私は呟いた。企画の方向性が見えた気がした。早く纏めてしまわなければ。特定の世代だけでなく、もっと広く狙えそうなテーマな気がしたから。歴史上の不運や不幸ではなく、誰もが共感し得るテーマとして訴えてみたい。陳腐かもしれないが、たまには夢を追っても良いだろう。


 競技場を見つめるの眼差しを、できるだけ多くの人に届けたくなったのだ。

 

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