第27話 決斗 その四
松丸は伊織の胴を払った。伊織は松丸の胴打を伏せて避けつつ、下村の足を払った。下村は足を払う伊織の刀を器用に上から踏みつけながら、伊織の頭上にいる松丸を突いた。松丸は間一髪よけた。下村の刀は松丸の鬢を掠めていった。
「熊八来い」
と松丸が叫ぶ。
「旦那、冗談言っちゃいけねえよ」
熊八は振れるものをすべて振った。手も頭も尻までも振って、拒否した。
松丸はちっと小さく舌打ちをして、「十手を投げろ」と叫ぶ。
どこに投げれば良いかを迷った揚句、なぜか松丸の背中に投げた。松丸の正面には下村が、下には伊織がいた。
松丸は飛んでくる十手をわざとすんでに避け、右手に飛びすさった。十手は伏せる伊織の頭の上を飛び、下村の胸元に向かって飛んでいく。
下村はギリギリで体を躱し、十手をやり過ごした。飛びすさった松丸は着地してすぐに再攻撃に移った。大上段から下村の頭に斬撃を加える。伊織は下村が踏みつけていた足を刀から外す機を見て、下村の胴を下からすくい上げるように斬る。下村はきっと全身にヒリヒリとした殺気を感じたに違いない。攻撃を防御しようなどとは考えず、思い切り後ろに飛び退けた。
伊織は立ち上がりながら態勢を整えた。
松丸の刀も空を斬り、大きな刃風が起きた。
三人は再び膠着状態になる。
熊八がそう見た刹那、伊織は踵を返した。
つまり、熊八がいる方へ向き直り、突進してきた。
「嘘、やめて」
伊織は熊八の眉間に刀を突き入れようとした。少なくともそのような鋭い気配が熊八の眉間に突き立った。
――やられる。
十手もない無腰の熊八がそう思った瞬間、手のひらが大きく見え、鼻面に激痛が走った。熊八は仰向けに、どう、と倒れた。
頭の上をむさい袴が通り過ぎた。伊織の草履の足音はそのまま坂を走り降りていった。
「待て」
という松丸の声が聞こえ、後を追って坂を走り降りていくのを感じた。
やっと熊八は自分が掌底を喰らったのだと気づいた。
鼻に手をやるとヌルリとした感触があり、口のなかが金臭い臭気に満たされていた。
そのあと、数人が茶屋から逃げ去るのがわかった。
熊八は頭を打ったらしく、動けなかった。
木々の間に星空を眺めながら、うめいているとのぞき込む顔が現れた。
下村だった。
「おい、オレは行くぜ。松丸といったか、八州殿によろしくな」
とそのまま去って行った。
下村嗣次は後に名を変える。
芹沢鴨――。
後世、新撰組を創設し、局長になった後の名の方が有名になった。
維新も終わったあと、熊八は下村のその後を知った。
息を切らしながら、松丸が戻った。
「しくじったよ。逃した」
「すいやせん。自分がふがいないばっかりに」
「いや、名前が知れただけでも大きな前進だ。あとは何とかなるだろう。それよりお前大丈夫か」
熊八は松丸の力を借り、ゆっくりと起き上がった。まだフラフラしていた。
「下村も逃げたか」
松丸は熊八を支えたまま、遍覧亭の方を見た。
大和久伊織はそのまま逐電したらしい。
ただ数日後、大野村の外れ、近在の者が賭場として使っていた、なかば崩れかけたあばら屋のなかで、屍体が数体発見された。地場の者に聞くと、その者は勘蔵と言って、ここいらのならず者を仕切っているものだったらしい。なにがしかの原因で揉めたのだろうが、詳細は分からずじまいだった。
松丸と熊八は、「大和久伊織の仕業だろう」と噂し合った。
その後、幕末の動乱のなか、果たして大和久伊織がどこでどのように生きたのか、いつ死んだのかはようと知れなかった。
その後熊八は地域の警察官となった。
明治に入り学制が発布された。
丁度、小学校に上がる息子を抱えた熊八は、息子の担任の教師として教壇に立つ男が、大和久伊織だと気づいたときには面食らってしまった。(二四八三二文字)
流木ーー松丸謙吾・最後の関八州 まさりん @masarin
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