それでも魔女は毒を飲む

鹿毛野ハレ

それでも魔女は毒を飲む

 ――人殺しの魔女。


 占い研究部のやなぎ琴葉ことはがそう呼ばれるようになってから、二か月が経った。

 今だに占い研究部、通称、魔女研まじょけんのメールボックスには誹謗中傷ひぼうちゅうしょうが後を絶たない。


 それももはや半分は悪戯いたずらだろうと、今日も炎上しているメールボックスを一括削除した宗太そうたはため息をひとつ吐く。そして相変わらずタロットカードを並べる琴葉を横目で見た。


 それに気付いた琴葉は不敵に微笑んで、その手を止める。


「なんだい宗太くん。今日も大漁だったのかな?」

「あいかわらずだよ。もういいかげん廃部はいぶにしたらどうなんだ?」


 ぶっきら棒に返事をすると、琴葉は少し困ったようにはにかんだ。


 部室の窓から入り込む冬の寂しげな斜陽しゃようを受けても一切変色しない黒のロングストレートの髪は、今日もうつむく琴葉の陰をより暗く見せるようになびく。


 柳琴葉。占い研究部最後の部員。色白かつ端整な顔立ちと、上から糸で吊るされたような姿勢の良さは気品がかおる。高校三年生の彼女は年下の宗太からすれば、大人びてミステリアスにも思えたが、この部屋の中央に鎮座ちんざする姿はどこか捕らわれた人形のようにも見えた。


 二か月前まではよく当たると言われてにぎわったこの部屋も、部員と客足の減少と共に今では遠くのカラスの声が聞こえるくらい静寂せいじゃくを保っている。


「――ふふ。わざわざ廃部にしなくたって来年には君の望み通り自然消滅さ」

「そんなの待ってないで、もう辞めちまえばいいのに……」


 宗太が悪態あくたいをつくと、琴葉は子どもをからかうかごとく笑いさとしてくる。


「そのわりに君は毎日来てくれるね。実際のところ部の存続を願っていると思っていたよ」

「ふんっ、そんなわけないだろ、憎らしいあんたが疲弊ひへいしていく顔が見たいだけだ」

「ははっ! 嫌よ嫌よも好きのうち、とは良く言ったものだな。まあ私としては歓迎も拒みもせんよ。君の好きにすると良いさ」

「ったく、勝手に言ってろ。でも……もう本当に今日っきりだ」


 そう呟くと、琴葉はこれまでの強気な態度とは一変して「そうか……」と寒そうに自らの肩を抱いた。


「もう良いんだ。だから、あんたももうめてくれよ」

「その提案にはお断りだ。そういうわけにはいかないんだよ」


 真っすぐ向けられた宗太の言葉を受け入れきれずに琴葉は背もたれに身を預けて窓を向く。それにならって宗太が藍色に移り変わる空を眺めながら思い出すのは二か月前のこの部屋だった。


 それはあの事件後はじめてこの部屋を訪れた時だ。あの時も受け取った数名分の退部届を並べながら、そいつは変わらずその場所で何を言うわけでもなく窓の外を見ていた。


 ――学園のアイドル、榊原さかきばら奈々子ななこが文化祭の数日後に死んだ。


 睡眠剤の大量摂取による中毒死と判定されたのはすぐ後のこと。自殺だった。

 その衝撃的な事件が起きたのはちょうど二か月前のことだ。


 気持ちに整理をつける時間を経た今では、いろいろな要素が重なって誰のせいでもないと思えるようになったが、その時の宗太は世間と同じように琴葉が憎くてたまらなかった。


 榊原奈々子は売れっ子芸能人としてのかたわら、学業もこなす品行方正ひんこうほうせいな生徒だった。誰とでも分けへだてなく付き合い、このミステリアスな琴葉とも同学年として親交があったのは彼女が死んでからわかったことだった。


 その彼女が自殺したのは柳琴葉のせいである。誰もがそれを疑わなかった。


 文化祭の日にたまたま奈々子は友人である琴葉の占いブースを訪れた。前々から好意にはしていたが、占ってもらったことはないと楽しみにしていたそうだ。


 有名人の奈々子のことだ。周りには学校内外から多くの取り巻きがいたという。そこで琴葉から発された言葉がこれだった。


『奈々子、今の恋愛は絶対ダメだ! こんなの……不倫なんて絶対やめろ! 奈々子が傷付くだけじゃあないか!』


 奈々子もまさか学校のお遊び占い風情ふぜいにここまでの険相けんそうで言われるとは思ってはいなかったのだろう。きょかれたように固まったのが良くなかった。


 情報社会の昨今さっこんだ。たまたま一緒にいた取り巻きがその一部始終をSNSに投稿した。それはたちまち拡散され、運悪く確証しがたいが近しい証拠を所持していた週刊誌がここぞとばかりにすっぱ抜いた。その後はお決まりのスキャンダル展開。


 琴葉の言う通り、奈々子は大物俳優と不倫恋愛をしていた。


 そのせいで芸能人生への不安と世間からの批判に耐えかねた奈々子は自らの命を絶ち、それを助長した琴葉は「人殺しの魔女」として、名をせてしまったのだった。


 しばらくもくしていた琴葉が宗太に向き直る。


「はじめて君が来た時のことを思い出したよ」

「ふん……。あの時は悪かったよ」

「まったくだ。生れて初めてだよ。男子からグーで殴られたのは」


 宗太はバツが悪そうに頭をいた。


「ただ君がおもいっきり私を殴ったと知れ渡ってから、あまりに露骨な嫌がらせは受けなくなったよ。みんなそれ以上は無粋ぶすいだと思ったのだろう。そういう意味では助かった」


 そう優しく微笑んだ琴葉があまりにもはかなくて、宗太はこぶしを強く机に叩きつける。


「もういい! 謝られる筋合いなんかない!」


 鈍い音とともに発された叫びをいつくしむような面持ちで受け止めた琴葉は、深く息を吐いてわずかにうつむく。

 宗太も一度口をつぐんで、やんわりとまた言葉を紡いだ。


「本当はあの後すぐに知ったんだ」

「なんのことかな」

「見たんだ。奈々子のスマホを。最後のメッセージを……」


 宗太がそういった瞬間、琴葉はただ固まって目を見開く。


「そうか……」

「あいつ。あんたに感謝してたんだろ」

「さあ、本心はどうだろうかな。そこまでは私も占う気になれんよ」


 琴葉はタロットカードの横に置いてあったスマートフォンに手を伸ばすと、あの日のメッセージを開く。そして瞳から熱いなにかが零れるのを感じた。


「なあ、もういいじゃねえか! あんたも傷ついただろ!」


 表情を隠すように顔をそむける琴葉に宗太は力いっぱい叫んだ。


「辞めちまえよ占いなんて! そんなの奈々子だって望んでねえ!」


 言葉の余韻が壁を揺さぶり、静まった部屋には時計の秒針音だけがしみこむ。


 宗太は気づいていたのだ。毎日、タロットカード越しの罪の重さに捕らわれる瞳に。


 最初はなぜ奈々子が自身を自殺に追い込んだ人間に感謝するのかわからずに、見極めようとこの場所に来ていた。理由を見つけたくて共にいた。


 それに自分がここにいれば仏頂面のこの女も加害者の意識で押しつぶされるだろうと、憎しみから生まれたドス黒い感情に支配されていた。


 ただ日を追うごとに。その瞳が自分と同じ色をしていることを知った。


「これは贖罪しょくざいなんだ」

「もういい! 俺が言ってるんだ! あんたがこれ以上気を病まなくていい」


 それでも琴葉は静かに首を振った。


「ジャンヌ・ダルクやアリス・キテラだってきっと罪という罪を起こしてはいないだろう。ただ魔女裁判にかけられたのは事実だ。死に関わってしまったからな。私だってそうだ」


 そういって琴葉はあの日タロットをめくった右手を見つめる。


「ただ残念ながら今のご時世は私を火刑にはできないらしい。だからせめてこれだけは続けてさせてくれまいか。この部屋でこうしていることで、あの日の奈々子の気持ちに少しでもなれる気がするんだ。それに――」


 一言で発しきれず言葉が詰まる。まだそれを堂々と語るには背負ったものが大きすぎた。

 しかし手元のスマートフォンを見て決心する。その日の死に向かう言葉が背中を押してくれた。


『ありがとうね、琴葉。これまで誰にも言えなかったことをあなただけはまっすぐに私を見て止めてくれた。それにどれだけ救われたと思う? 名声とか野望とか、そんなものに目がくらんでた私を目覚めさせてくれたのはあなたのいつわりない占いだけだったの。これから私のせいでいろいろ言われるかもしれない。けれどあなたのおかげで私は救われたのよ。だから続けてね。またこうやって救われる誰かがいるかもしれないでしょう?』


「――いつかこれで本当に誰かを救いたいのでな」


 琴葉は思っていた。失意の中で彼女をむしばんだ錠剤じょうざいが毒だとするのであれば、その痛みを自分も知らなければならないと。そしてその罰を受け続ける必要があると。それが毒では無くなる日まで。


 宗太は琴葉からの強い信念めいた瞳に充てられて返す言葉を失う。その瞳の向こうに同じように涙を流す自分が映ったのだ。

 そして、ならば仕方ないと袖で涙を拭い、琴葉の前に腰を落とした。


「なあ。じゃあ最後に占ってくれよ。俺も正直これからどうしていいかわからねえんだ。あんたや奈々子の言う通り救って見せてくれよ」

「ふふ。良いだろう。それではここに名前を書いてくれ――ああ、その必要はないか。榊原宗太・・・・くん。せめて君は明るい結果であることを祈っているよ」


 無理にでも気丈な振る舞いで山札に手を添える。

 魔女は今日もその毒を微笑んで飲みこんだ。

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