第52話


「僕も。僕も分かった。本当は僕の方が先に分かってたけど、人間の口に慣れていないせいで言葉を発するのに手間取ったんだ」


「気づいてないのかもしれないが、ちょっと前まで怪物だったとは思えない流暢さだぞ。まあいずれにせよ、人には多面性があるってことだ」、ライアンはあたしへ顔を向ける。「どこまでも清いだけのやつはいないし、どこまでも汚いだけのやつもいない。誰にだって光と影が混在していて、単純じゃない奥行きがある」


 ライアンの説明は、とても納得できた。だけど、実感はない。人を崖から突き落としながら、一方では綺麗な景色に感涙する……なんだかちぐはぐだ。


「レーニスの言いたいこと、分かるわ」、リーススはきちんと足をそろえて岩に座り、膝の上の瓶を両手で握っていた。「私も同じ気持ちだもの。おじさんは親切だったし、私たちを抱きしめてくれた。父さんを思い出した」


 リーススの横顔は寂しそうだった。あたしは空を見上げ、父さんを思った。戻りたての感情で、初めて父の死を悼んだ。すみやかに悲しみの波が心に流れ、寂しくてたまらなくなり、無性に父さんに会いたくなった。


 同時に、心の中でリーススに謝罪した。ごめん。ごめんねリースス。一緒に悲しめなくて。一緒に乗り越えなきゃいけなかったのに、あなたを孤独にした。だけどもう、謝罪は伝えなかった。


「リースス、ずっと一緒にいよう」、涙をこらえきれないまま伝える。「これからは、一緒に楽しんで、一緒に悲しもう。一緒にでかけて、一緒に帰ろう。今までの分まで、たくさん笑おう」


 リーススはなにも言わずに頷いて、手を差し出した。彼女の手を握り、あたしは鼻をすすった。


「ちなみになんだけど、それは僕も」



「まあまあ。せっかく姉妹の絆を深めてるところなんだから」





 コルロルが「さあ行こう」と立ち上がり、手を差し出したのは、あたしの涙が収まったころだった。手を取り、立ち上がる。


「レーニス、感情が戻った感想は?」、とコルロルは半分振り返る。地面を引きずるほど長い髪を、誤って踏んでしまわないように、あたしは注意して歩いた。


「……最初は、最悪だった。コルロルが死んでしまったと思って、そうしたら、苦しくてたまらなかった。感情なんて、戻らなければいいと思った」


 だけど、生きていると分かったとき、喜びの讃歌を聞いた気がする。それで気づいた。あたしが、あたしだけが、嫌な感情に支配され、体中を汚しまわって、目を曇らせ、すべてを汚く見せていたんだって。


「だけど、もう大丈夫」、あたしはコルロルの横に並び、彼を見上げた。「あたしはコルロルを愛してるから」


 コルロルはぴたりと足を止め、一瞬硬直したが、すぐに顔を真っ赤にして一歩後ろへ下がった。尖った耳まで赤くなっている。


「レーニス、素晴らしいわ。本当に、愛が分かるのね」、リーススが小さな拍手と共に褒めてくれる。


「そうなの! よく伝わってないかもしれないけど、本当の本当のほんっとーーーに、すっごく大好きなの。コルロル、分かる? ちゃんと伝わってる?」


 愛してると言ってみても、まだまだ心に想いが残っている気がして、すべてを届けられるよう、念入りに伝える。


「あのレーニスが……つんけんしてた頃が懐かしいよ」、ライアンは大げさに目じりに指をやっている。「だけどそろそろやめてやってくれ。コルロルの方がもたない」


 気が付くと、コルロルはあたしに背を見せてしゃがみ込み、服の胸の辺りを両手で握っていた。気になったのか、リーススがどこからか紐を取り出し、ささっとコルロルの髪をひとつに縛った。


「まさか、レーニスがここまで率直とはね」、ライアンはバシバシと、強めにコルロルの肩を叩いた。「もちろん愛は素晴らしいけど、ひとつ確かに言えるのは、コルロルの言っていた通り、人の感情はバケモノだって、俺は思うよ。欲も含めてね」


 コルロルはしゃがみこんだまま言った。


「でも、心のありようによっては、神にだってなれる。僕は今、世界の全部を手に入れた気分だよ」


 2人は顔を合わせると、『ひゅーーー』っと口を鳴らした。そうして笑ったコルロルには、牙の名残のように、尖った八重歯が覗いていた。


「それにしても、コルロルの人間として人生が、こんな崖底から始まるなんてな」


 あたしはそこから上を見た。切り立った崖がずっと上まで続き、頂上は見えない。


「そっか、もう翼はないんだ。ちょっと残念だったりする?」


 冗談っぽく尋ねると、コルロルも「まあね」と笑う。


「でも今は、どこまでも歩きたい気分だ」


 そう言って、あたしの手を取り歩きだす。そして、それが新しい翼であるように、コルロルはあるがままに両腕を広げた。



 おわり★



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪物コルロルの一生 秋月 春陽 @chiaroscuro_a2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ