第51話


 今度は不規則になったスカートの裾を照らし、ライアンはちっとも残念じゃなさそうな声で肩をすくめた。おじさんはぐぬぬ、とうっぷんを体にため込んだようだが、すぐに踵を返し、降りてきた道を戻っていく。


「くそっ、ここまでやってきて収穫なしとは! しょうがない。軍の連中が私を殺しかけたことを種に、いくらか搾り取れるだろう」


 おじさんは独り言もでかい。そんな調子で、ずっと愚痴を言ったり、財産の調整計画を大声で語っていたが、最後に「仕方ない、金のどんぐりは手に入れたんだ。あれを競売にでもかけよう」、と聞こえた。


「おたっしゃで~」、おじさんの背中へ向けて、ライアンはどんぐりの瓶を掲げて振ったが、おじさんが振り返ることはもうなかった。


「盗んだの?」、リーススは驚いてたずねる。


「凄腕の盗人なもんでね」


 ライアンはリーススに瓶を渡し、しっかりと握らせた。そして、「盗んだりして、悪かったよ。俺の手で返せてよかった」、と申し訳なさそうに笑った。


 ライアンにどんぐりの瓶を盗まれたことが、ずっと遠い記憶に感じられて、そんなこともあったな、とあたしは懐かしく思った。


 場の空気を一掃するように、ライアンが手を叩く。


「さあ。これからが大変だ。ここを登るのは、骨が折れるぞー」


 明るく言って、荷物を背負い歩きだす。明るいけれど、どこか虚しさを感じるのは、ライアンの話を思い出したせいかもしれない。


 お母さんが病気で、高い手術料がいると。金のどんぐりを盗んだのは、母親を助けるためだと、よっぽどの鈍感者でも分かる。


 崖を見上げるライアンの後ろで、あたしとリーススは顔を見合わせる。彼女の考えていることは、いたずらっ子みたいな笑い顔を見ればすぐ分かる。あたしとリーススはそっとライアンに忍び寄り、どんぐりの瓶をリュックの中に突っ込んだ。


「お、おい何してるんだ」、ライアンは慌てて振り返る。「ちゃんと持ってろよ」


「あら、これは盗まれたのよ」


「そうよ、盗まれたの」


「とても鮮やかに」


「心優しい、凄腕の盗人にね」、歌い合うように言って、あたし達はライアンを見上げた。


「リースス……レーニス……」、潤む目が、あたしとリーススを交互にみたかと思うと「ありがとう! 君たちって、最高だ!」、力強い腕は、軽々とあたしたちを抱き込んだ。その勢いに、踵が浮く。


「ありがとう……本当に、なんて言っていいか……母親に、本当のことを話すよ。俺はあなたの息子だって。受け入れてくれるか分からないけど、このままの俺を愛してもらえるように。きっと、うまくいく気がするよ。今なら、どんな困難だって一足飛びで越えられそうだ」


 ライアンの笑顔は、会ったばかりの頃と同じで、相変わらずまぶしかった。でも、あの時よりもずっと柔らかくて、親しみを感じることができた。今のあたしには分かる。あたしたちは、友達になれたんだ。


「お礼を言うのは、私の方よ」、リーススは穏やかな表情で彼を見上げる。「あなたには、たくさん助けられたわ。私じゃ言えないような言葉で、私やレーニスを勇気づけてくれた。ライアン、あなたは綺麗な人よ。私たちが、あなたを想っているから」 


 ライアンは固まってリーススの顔を見た。それから数歩、なにかに押されるように下がる。かと思うと、手のひらで目元を覆ってしまった。その下で、笑顔の形を残した口から、弱い笑い声が漏れた。


「はは……まさか、こんなふうに言ってもらえるなんて」、ライアンは目元を抑えていた手を下ろした。「ずっと、俺には誇れるものがないと思っていたけど……君たちという友達ができた。俺の誇りだ」


 それからあたしたちは、ジュースの瓶で乾杯をした。今まで気づかなかったけど、あたしたちはすごく喉が渇いていたらしい。


 ライアンは瓶底を空へむけ、喉を鳴らして一気に飲みほした。ぷはーっと息を吐いてから、「これはまた、ぬるくて最悪だな」と嬉しそうに言った。


「今が最高だから、最悪のジュースでちょうどいい」、コルロルは瓶口を何度か口に運び、少しずつジュースを飲んだ。


「言い忘れたかもしれないけど、コルロル、君も俺の友達だ。無骨な男の友達でもいいだろう?」


「無骨な男だからって断るほど、僕の心は狭くない」


「へえ。それは初耳」


 あたしはコルロルをじっと見ていた。なんとなく見ていただけなんだけど、コルロルはそわそわした様子になり、意を決したように口を開いた。


「レーニス、さっきのことなんだけど」


「おじさん、大丈夫かな。1人みたいだったけど」、コルロルと同時に言った。ジュースを飲んで落ち着くと、ふと気になったのだ。ライアンが飽きれた顔をする。


「レーニス、君はあれだけのことを」


「いいの。分かってるから言わないで」、ライアンが言おうとしていることは分かるので、ストップをかける。「心配してるってわけじゃないの。ただ……おじさん、星空を綺麗だって、言ってたから……ため息がでるって。それがなんだか、印象に残ってるだけなの」


「ははん?」、ライアンは片頬を持ち上げる。「なるほどね。あれだけ強欲な人間が、夜空の美しさに感動するのが、腑に落ちないんだな」


「分かるの?」


 ずばり言い当てられ驚く。すかさずコルロルが挙手をした。

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