柳浦さんちの夜事情

涼宮紗門

柳浦さんちの夜事情


 私、柳浦やぎうら青葉は最近、声を大にして言いたい事がある。



 <<<近ごろのAV女優って可愛すぎないですかー!?>>>



 元アイドルとか元モデルとかただでさえ可愛いのに、あまつさえ脱がれたら、そのへんの女なんか絶対勝てんわ!


 私は、むにむにする脇腹の肉をTシャツ越しにつまみ、ため息をついた。

 

 今読んでいるのは美容系の雑誌である。

 

 今やセクシー女優も普通の女優と変わらない。見出しのトップで魅惑的に微笑むセクシー女優のインタビューには、「美容のためにしていることは特に何もないんです。しいていえば、よく食べてよく寝ることかな(笑)」と、目立つ文字で書いてある。


 ……言ってみたい。こんなどうでもいいことを! 


  

 いや、と、私はダイニングテーブルで一人首を振った。


 この人はこんなことを言いながら、ものすごい努力をしているに違いない。それをあえて言わないのだ。ていうかこういうことを堂々と言う女は、大概ものすごい努力家だ。ただただ怠慢で怠惰な私とは大違いである。



 セクシー女優は過去の恋愛話を赤裸々に語っている。頬杖をついてページをめくりながら、ふと、昔の恋人の台詞を思い出した。

 

 「見てるより居てるほうがええんやで」


 関西人だった、当時の彼氏はそう言った。

 この言葉を信じて生きていこう!と思っていたものの、その関西人とはほどなくして別れた。25歳を過ぎた頃からはその言葉を俄かには信じがたくなり、28歳となった今では、ただの思い出の1ページと化している。



 はあ、と私は再びため息をついて雑誌を閉じ、時計を見上げた。


 時刻は23時を過ぎたところだ。


 今日も遅いな、と思った丁度その時、玄関のほうでガチャガチャと音がした。

 無言で家の中に入ってきたワイシャツ姿の陽介が、ダイニングテーブルにいた私を見て、「おっ」と少し驚く。

「まだ起きてたの」

「あんまり眠くなくて」

 あんまり、どころか全く眠くない。食後にエナジードリンクを飲んだのが効いているようだ。

「いやあ、今日も課長がめちゃくちゃでさ。ああ、やっと一週間が終わった」

 陽介は首をごりごりと回すと、「あっつ。風呂入ってくるわ」と、背中を向けた。

「ビール飲む?陽ちゃんの好きなポテチあるけど」

「あーサンキュ。でも今日は風呂入ってさっさと寝るよ」

 その言葉に、つんと、胸の奥が痛くなる。

「今日、新しい下着なんだけど……フフッ♡」

 と、結婚当初なら冗談めかしてそう言えただろう。

 でも今は、「そっか」という言葉しか出てこない。

「分かった。じゃあ、先に寝てるね」

 おう、と陽介が答える。

 この1年半、手も触れていない。



 ----私たちは、セックスレスである。



 *



 俺、柳浦陽介は最近、声を大にして言いたいことがある。



 <<<35になってから、仕事忙し過ぎねえ!?>>>


 

 中堅だからって、上の仕事も下の仕事も俺に回し過ぎだろ。数こなしてほしいなら文句言わず決裁通せ!手伝ってほしいなら先に帰るな!


 俺は、熱いシャワーを頭から浴びたまま、心の中で罵り、大きくため息をついた。


 近ごろは、「やりがいのある仕事」という言葉だけでは身体が追い付かなくなってきた。気持ちはまだ大丈夫だ。ただ身体がキツイ。ついこの間まで、終電まで飲んで朝まで歌いまくってたのが嘘みたいだ。


 

 ふと、ダイニングテーブルにいた青葉の姿を思い出す。開いていたのは、美容雑貨だった。

 

 あんなのも読むのか、と少し驚いた。青葉がいつも見ているのは、節約レシピ本か、昔の漫画ばかりだ。


 

 ……もしかして、と思う。

 

 もしかして、俺のことを待ってたんじゃないかと。


 そういえば、いつもボサボサの髪も整えてたし、飲み終わったエナジードリンクの缶が流しに逆さまに置いてあった。多分、勘違いじゃない。と思う。



 ――――1年半、ヤってないもんなあ。



 最後に青葉と寝たのは、忘れもしない、2018年の冬だ。

 

 いつものようにリビングで酔っぱらってヤり始め、つけっ放しのテレビでは、平昌ピョンチャンオリンピックのスキージャンプ決勝戦がやっていた。

 そして、ポーランド人選手が鮮やかに優勝を決めた瞬間、俺も見事高みへと到達したのだ。


 このアホみたいな話も、いつからか2人でネタにしなくなった。話題にすると、どうしても現状が目の前に横たわるからだ。



 俺たちは、世にいうセックスレスというやつだろう。



 だが、俺は決して他の女とヤりたいわけではない。(というかそんな元気はない。)

 そりゃあ多少は右のゴットハンドに慰めを得たりはするが、それは生理的な話だ。そりゃあ寝る相手は、青葉に決まっている。


 

 だが何せ、疲れている。

 

 ただただ、疲弊している。



 そして、結婚してから5年たった今。

 絶対に口には出せないが、青葉は、たぶん8キロは太った。


 まあ、俺も人のことは言えねえけど……と、ろくにジムも行っていない、たるんだ下半身を見る。



 そういえばオリンピックを見ながらした、あの約束。

 青葉は覚えているんだろうか。



 *



 ――――いやあ、俺もK点越えちゃったよ。ははは。


 今思い出してもアホ極まりない話だ。

 下ネタが通じる友達の間では鉄板のネタだったが、それもまた昔のこと。


 ――――夏のオリンピックのときも見ながらヤろうな。絶対ヤるぞ。


 やっぱ800mくらいが丁度いいかな、なんて言っていた張本人の陽介は、覚えてもいないだろうけど。

 そもそもオリンピック延期になっちゃったし。



 コロナで緊急事態宣言が出されてから、私は勤務先から出勤停止を命じられ、陽介は家でテレワークをするようになった。

 

 でも、久しぶりにずっと一緒に家にいて、最近分かったことがある。


 

 陽介が家にいても、まったく気にならない。



 これは、友達に言わせると有り得ないことで、すごいことらしい。そう言われると、少し誇らしい気持ちにもなる。


 「息抜き」といって時々洗濯物を干してくれて、作ったご飯を「うまい」といってくれて、夜たまに映画を一緒に見る。(コマンド―とかだけど。)


 別にセックスがなくても、これはこれでありなのか?

 いや……でも、まだ33歳だ。まだ、諦めたくない。

 子どもはいつか欲しいけど、そのためだけのセックスになるのも嫌だ。

 悶々としたりしなかったり、忙しい日々を送っていた。

 

 そのときは、突然訪れた。

 

 *

 

 その日の晩、私は、自分の部屋から出てきた陽介に、廊下でばったり出くわした。

「テレワークなのにワイシャツ?」

「さっきまで会議だったんだよ。課長が何回もフリーズしててさ。すげー面白かった」

「えー!見たかった」

 笑う私に、「だろ」と陽介も笑いながら片手でネクタイを緩めて、こう言った。


「なあ、ちょっと肩揉んでくれねえ?」


「……え?」

 私は思わず聞き返した。


 ……肩揉んでくれねえ?って言った?今。


「え……いいの?」

「いいの、って俺がお願いしてるんだけど」

 陽介は苦笑しながら、「ちょっと汗かいてるけど、ごめん」といった。

「昔よく揉んでくれてただろ。青葉、うまいからさ」

「う、うん……。いいよ」


 リビングに行き、ソファに座った陽介の背後に回る。

 両肩に手を置いた。

 高校まで水泳部だった、がっしりとした肩。硬い筋肉が掌に伝わってくる。

 力を入れて、ぐっと押した。


「あ~……気持ちいい。最高」


 陽介が、目を閉じながら感極まったような声を漏らした。


『見てるより居てるほうがええんやで』


 

 ――――私の勇気に火がついた。



 *



 青葉の飯は、うまい。


 飲んでたらさっと洒落たおつまみを作る、とか、ずらっといろんな小鉢が並ぶ、とかではないけど(会社の先輩が自慢げに言っていた)、ハンバーグとか、オムライスとか、そういう普通の飯がうまい。


 テレワークになるまで、夕食はだいたいコンビニか、飲みで済ませていた。


 久しぶりに青葉の作ったから揚げを食ったときは、衝撃だった。揚げたてってこんなにうまいのか!と感動すらした。



 ――――もしかしたら俺って、結構恵まれてるんじゃねえかなあ。



 そんなある日の夜のことだ。

 そのときは、突然訪れた。


 *


 風呂上がり、「あっちいあっちい」と、Tシャツに短パン姿の俺は、リビングに入って、びくっと立ち止まった。


 青葉が、奇怪なポーズで静止している。


「……な……何してんだ青葉」


「!陽ちゃん!もう上がったの!?」


 いつもより全然早いじゃん!と、何故か焦る青葉は、タンクトップに短パン、レギンス姿という、珍しく身体のラインがわかる服装だった(普段は尻が隠れる服しか着ない)。


「暑くて、速攻シャワー浴びたからさ。さっきは肩揉んでくれてサンキュ」

「あ、うん……」

「……で、何してんだよ」

「なにって……みたら分かるでしょ。ヨガだよ、ヨガ」

 ヨガ?と青葉の足元を見れば、確かに長方形のマットが敷いてある。


「…………すごい太ったでしょ、私」


 青葉は何故かしゃがみ込み、視線を合わせずにいった。


「こういうのなら、頑張って続けられるかなって」

 あーあ見られちゃった、と、青葉はそっぽを向いた。


 可愛いとこあるじゃん、と思ったそのとき、髪を上げて露わになっていた青葉の白い首筋が強烈に目に焼き付いた。



 ――――俺の眠れる獅子が咆哮上げた。



 *



 <オリンピックにちなみ、ここからはスポーツ実況形式でお楽しみ下さい。>



「さあ試合開始です!盛り上がっていきましょう!」

「1年半ぶりですね。楽しみです」


「おおっと、陽介選手!早速往年の技を打ち込みました!」

「青葉選手、既に息が上がっていますね」

「汗で濡れた相手の衣服、その最後の一枚が宙を舞いました!陽介選手の動きが止まりません!」

「汗は効果的な作用をもたらします。余計に燃えるのかもしれませんね」

「十指を駆使した、陽介選手自慢の攻撃が青葉選手を襲います!」

「ぱっと見ではわかりにくいですが、肝心な部分にはなかなか触れない。実にうまく相手の気持ちを引き出していますね」

「おおっと、しかし!青葉選手がここで形成逆転!」

「うまく体勢を入れ替えましたね。今度は青葉選手がリードしています」

「陽介選手、厳しいか!?しかし、ああっと、これは……!」

「青葉選手、まさに苦悶の表情ですね」

「1年半前にはなかった新技ですね!?」

「はい。青葉選手のマゾヒズムを見抜いた、陽介選手の見事なテクニックです」

「これは一方的な展開になってきました!あっ、しかし!ここで青葉選手も新しい体勢を取った!」

「この1年半勉強したんでしょうね」

「それでも陽介選手、力を振り絞って再び形成逆転だ!」

「これは青葉選手、厳しいですね。一方的な展開になりそうです」

「ラッシュ!ラッシュ!ラァァッシュ!陽介選手怒涛の攻撃!青葉選手、為す術がありません!」

「ですが青葉選手もいいですよ。いい受け身を取っています」

「おおっとここで陽介選手がぁ――――ッ!……………アッ!」

「…………あ、終わりましたね。久しぶりなのか長い余韻でした」

「両者倒れ込みました!引き分け!試合終了です!」

「久しぶりとは思えないほど白熱した戦いでしたね。素晴らしい内容だったと思います」

「また熱戦を期待したいですね!」

「きっと近いうちに実現するでしょう」



 *



「……なあ」


「……なに?」


「来年こそ、オリンピック見ながらヤろうな」


「……バカ」


 


 ― 終わり ―

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