第2話
海上の魔王の島に向かうには、大陸のシャプィント村から海が割れる日を待たなければならない。それは、日を置かずに割れる時もあれば、割れぬまま1年が経つ場合もある。
その村では、『魔王の妻になった女は永遠の命を得られる』と信じられていた。何故なら、それまで魔王に娘を嫁がせた者の親族が、喜びの涙を流しそう言っていたからだ。
曰く、
「娘は喜んで魔王様を受け入れた。これで、娘の命は永遠に繋がれる。娘も本望に違いない」
島へ渡る娘の姿は見ても、帰って来る娘の姿は、誰も見た事が無かったが、シャプィント村の村人は、
(魔王に嫁いだ娘達は、皆、島で幸せに過ごしているのだろう。夫は魔王様だ。永久の命は眉唾だが、凄まじく長い寿命を手にいれているに違いない)
と、伝わった。
シャプィント村には、高名な魔法使いがおり、彼には二人の弟子がいた。男は14歳の少女の弟子に性欲の贄の役割を強要しようとしたが、師匠に見つかり、追い払われた。彼は、魔法使いの才能はあったので、国王に自分を売り込み、高く売った。
少女の弟子は、魔法使いの才能は余りなかったが、若草の如くするすると育ち、健やかで優しい娘になった。
大陸では、“食物が喉を通らぬ病”が見つかった。罹患者は多くはないが、その病にかかると、身体のどこにも異常は無いが、固形物を受け付けられなくなった。食うそばから吐き出す事を繰り返し、やがて栄養が尽きて死ぬ。
いつ、どこで、誰にかかるかも解らぬ病に、人々は震え上がった。
その頃、王都からの使いが、魔王の元へと送られていた。
誰もが、“食物が喉を通らぬ病”の特効薬を願う使者だと思っていた。
しかし、国王の使者が持たせた勅書には、『不死の薬を一粒で良い用意せよ』と書かれていた。
待てど暮らせど望みの物は運ばれず、国王は、いつ自分が病になるかを恐れた。
魔法使いが奏上した。
「恐れながら陛下に申し上げます。私の故郷シャプィント村には、魔王に願いを請う者が、“魔王の花嫁”と共にが訪れておりました。花嫁を送れば、陛下の望む物が手に入ると思われます。何せ、我が故郷では、“魔王の花嫁”となった者が、悠久の命を持つ事は、ようく知られておりました」
それを聞いていたのは、初潮にも至らぬ幼い姫君だった。彼女は王宮の奥深くにある持出厳禁・複写厳禁の『正史』を盗み見た。黒と金が混じるの髪と漆黒の瞳、茶褐色の肌。精悍な顔立ちは若いライオンの雄を思わせた。
(これが、悠久の命をもたらす魔王? これは私が夫にするに相応しい男)
姫君は、魔王の妻になる為に、王宮を出た。
シャプィント村では、高名な魔法使いが“食物が喉を通らぬ病”に罹患した。
弟子の娘が使える魔法は一つ。
水晶珠に映った者と自分自身を繋げ、自分が食べた物をその人の胃に送り共有する事。
水晶珠に師匠を映して、娘が食事をすれば、娘も師匠も腹が膨れた。
ある夜。
魔法使いの元へ魔王が訪れた。
娘は魔王に恋をした。
初恋。淡い恋。
姿を目で追うだけの、声に耳をそばだてるだけの、外見だけに憧れる恋。
恋が激しさを帯びるのに、時間はかからなかった。
「その命が絶える迄、私の傍にいてもらえないだろうか…」
魔王が娘に告げた言葉。
娘は躊躇した。
自分が島に行けば、師匠が死んでしまうから。
魔法使いは、水晶に魔法をかけた。
それは、その者が、何処にいても、名前も知らない相手でも、探し出し、映し出す魔法。
娘は魔王と島に渡る。
二匹の獣は愛し合い、娘は受精した。
娘が胎の子供を育む為に、魔王は、自分の生命力を分け与えた。
海が割れた日に、姫君は来た。
魔王に拒絶された姫君だったが、島から出ようとしなかった。
そしてある日、ついに彼女は娘に毒を盛った。
彼女自身には不必要な食事。
しかし、師匠の為に摂り続けていた食事。
食べたい時に食べたい物を食べられない師匠は、娘の介助があっても身体は弱っていた。
師匠は、苦しみ悶えて果てた。
師匠の不自然な死に、娘は食事を止めたが、彼女自身は無事でも、胎児への影響は甚大だった。
異変に気付いた魔王は、水晶珠ごと彼女を魔法使いの元へ送った。
彼女の胎内にいたものはなくなり、魔王も討たれた。
彼女が身籠ったものは、彼女達の赤子であったが、生命体といえるものでは無かった。
それは、“食物が喉を通らぬ病”の特効薬となる植物の種。
娘は魔王から生命力を分かたれていたけれど、それは、種の繁殖力を増す為。
彼女は、赤子を出産すると同時に種に全ての力を吸収されて死ぬ筈だった。
毒を吸収した不完全な種は、彼女の腿をつたって落ちた。
それは希望の種だったのに、猛毒として生まれた。
魔王の花嫁 ── それは、魔王の願う『新たな病を治す特効薬の植物の種を生み出す為の母体』だった。
魔王が魔法使いの元を訪ねたのは、“食物が喉を通らぬ病”を罹患した患者の身体を調べる為。種を花嫁の胎内で育てさせるには、どんな成分が必要なのかを知らなければならなかったから。
「貴女を愛してる。どうか、私の妻になりたいなどと言わないでほしい」
「いいえ。私も貴方を愛してる。どうか、私に貴方の愛を刻んでほしい」
水晶珠に映る魔王の亡骸。
14歳の姫君は、切り落とされた魔王の首を抱え、口づけて笑った。
“それでも魔女は毒を飲む” 久浩香 @id1621238
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