ex. 座談会-お姉さまについて- (参加者:池田雛子、片岡真琴)


 中等部風紀委員の長を務める、中等部三年の片岡かたおか真琴まことの目にとある人物の姿が留まった。

 新年度早々に要注意人物となった、中等部一年の池田いけだ雛子ひなこである。


 彼女は入学式の日に、校則違反である染髪をしてくるという前代未聞の行為を働いて、同学年の間においては一躍有名人となっていた。

 その他にも、あからさまな制服の着崩しや、常にポケットに怪しい箱を忍ばせているという噂が流れているなど、学園の風紀委員としては監視下におかないわけにはいかない人物だったのである。

 染髪自体は、入学式の翌日には改善されていたが、着崩し等に関してはまだまだ指導の余地があった。


 生徒自治を重んじるこの学園では、教員は生活の支障をきたす程のことでもなければ、最低限の注意しか行わない。

 そうであるならば、誇り高き当学園の風紀委員長として必ずやこの私が彼女を規律正しく更生させてみせる、と、片岡真琴は意気込んでいたのだ。


 ところが最近の池田雛子といえばどうだろうか。

 染髪はもちろん入学式以来やってはこないし、それどころか、懸念していた制服もいつしかきっちりと着用するようになり、さらには彼女と同じクラスの人物に聴取したことによれば、懐に忍ばせていたという謎の箱も近頃はめっきり見なくなったという。


 おかげで彼女の周りにできていた壁がすっきりと取り払われたようで、どうやら今ではよく話す友人も多くいるらしい。

 当初の悪名と外見から近づき辛い雰囲気を受けていただけで、彼女の人柄は非常に好感がもてる素晴らしいものなのだと、認識を改めるのにそう時間はかからなかったようだ。


 何が彼女をそうさせたのか、彼女の心境を変化させた要因は一体何なのか、片岡真琴は気になっていた。

 その原因究明の次第によっては、学園の風紀を守るのに大いに役立つかもしれないと考えていた。


「ちょっと池田さん、少々時間もらえる?」


 少し離れたところから真琴が声をかけると、雛子は歩みをとめて真琴の方へ顔を向けた。


「げっ、いんちょーじゃないですか」


 真琴の顔を視認するや、雛子が口をへの字に曲げてそう言った。


「げって何よ、失礼ね。あといんちょーって呼ぶのはやめてって言ってるでしょうが。それより、なんか久しぶりね、二週間ぶりくらい?」


 雛子はポカンと呆けたような顔をして、


「あ、はい、お久しぶりです」


 と実に機械的にお辞儀をした。 

 そんな雛子を見ながら、真琴はぼんやりと考えた。

 思えば、初めて会った入学式の日からこの子はこんな風で、態度も言葉遣いも悪くなかったし、素直に話を聞いてくれていた、と。


「いや、ちょっとは生意気か」

「いきなり失礼な方ですね」


 真琴が小声でこぼし、雛子は湿っぽい目をして顔を上げた。


「もう用がないなら行っていいですか?」

「あら、放課後に用事でもあるの? あなた部活には入っていなかったでしょう」

「いえ、入ってますけど」


 何でもないように答える雛子だが、真琴にとっては初耳のことで、若干虚をつかれて驚いた。


「またいつの間に、何部よ」

「園芸部です」

「へー、そう。あの小庭園はいつも綺麗よね、通るたびに目を惹かれるわ」


 すると雛子が、胸の前で力強く拳を握った。


「当たり前です。お姉さま方が心を込めてお世話しているんですから!」


 雛子の意気軒高な声が廊下に響いた。周囲にいたほとんどの生徒の目が、一斉にふたりに集中した。

 真琴が、「ちょっと池田さん」と雛子の肩に両手を乗せた。その険しい表情に、雛子は眉をひそめて後ずさった。


「あ、すみません大声出しちゃって」

「あなた今、お姉さまって言った?」


 真琴の放った想定外の言葉に、雛子は思わずたじろいだ。


「言いましたけど、それが何か」


 真琴の目が妖しく光った。瞬時に、雛子の腕は真琴に取られていた。そのまま雛子の身体がずりずりと引っ張られていく。


「お話したいことが増えたわ。今すぐに生徒指導室へ行きましょう」

「えっ、ちょっ、私何も悪いことしてませんよ! ひどい! 横暴だ!」

「静かにしてちょうだい、私がいじめてるみたいじゃないの」

「怖いよお……お姉さま、八重山先輩、助けてえ!」


 雛子の悲痛な叫びは中等部の校舎に響きわたり、程なくして生徒指導室の中へと吸い込まれていった。





 体育館内。体操着を着た集団の中の一人が、ピクリと何かに反応したように首をもたげた。


「今雛子の声が聞こえたような……助けを求める声が」

「どこから?」

「頭の中から」


 長谷はせ香澄かすみが後ろを振り返り、自らの頭部を指差して言った。香澄の背後で柔軟体操の手伝いをする八重山やえやまかおるが、「はあ?」と怪訝な顔をした。


「もしかしたら私は今の一瞬眠りに落ちていて、夢を見たのかもしれない」


 腕を組んで真面目に言う香澄に、薫が呆れてため息をついた。


「お姉さまの鋭い勘ですか、虫の知らせってやつですか」

「虫の知らせ……やえ、私たちは体育なんてやってる場合じゃないのかもしれない」

「馬鹿なこと言ってないで、ほら背中押すよ」

「いてててて、強い強い」


 香澄の訴えを聞き流し、問答無用で背中に体重をかけて押し続ける薫が、思案顔で宙に視線を泳がせた。


「でも、今日は中等部の授業が一コマ少ない日だけど、雛子は独りで大丈夫かな」

「結局やえも心配するんじゃん」

「あんたが変なこと言うからでしょうが」


 香澄から体を離し、今度は薫が床に座った。香澄がゆったりとした動作で薫の背中側に回った。


「言ってなくても心配するクセに。いつも、雛子は今頃何やってるかなあ、って気を揉んでるじゃん」

「まあね、でも仕方ないでしょ、心配なものは心配なの。目が離せないっていうか……ほらあの子、まだ中学一年なのに寮で独り暮らしでしょう?」


 香澄が薫の背中に両手を付けて、ぐっと力を加えた。


「その気持ちは分かるけど、朝晩は寮の食堂でご飯は出るんだしさ。私はいつも雛子と一緒に食べてるし。それに雛子はしっかりしてるよ、少なくとも私よりかは」

「そうだね、それは間違いないけど……やっぱり寂しいんじゃないかって思うの」

「そんなの、他の寮生だって同じだよ」

「そうだけど、そういうことじゃないでしょ。やっぱり雛子のことは特別に心配しちゃうんだよ。あんただってそうでしょ、雛子のお姉さま」

「うん、まあ……やえ程じゃないけどね、たぶん。早く子離れしなよ、お母さん」

「あら、香澄離れもしたいんだけど、そこのところどうお考えですか」

「それは困る」


 薫が押される力に反発して体を起こし、その隣に香澄が座り込んだ。ふたりは揃って、どこか宙の一点をぼーっと見つめた。





 不服そうに唇を尖らせる雛子の前にティーカップが置かれた。

 雛子の対面に、真琴が澄ました顔で腰かけた。


「ここであなたと紅茶を飲むのも随分と久しぶりな気がするわ」


 真琴が何気ない言葉で切り出した。雛子はそっぽを向いて、依然不機嫌そうにしたままだ。


「今日は別にあなたを指導するために連れてきたわけじゃないわよ」

「じゃあ部活行っていいですか」

「パパっと質問に答えてくれたらね」


 雛子が、むう、と唸り声を出して、おもむろに砂糖瓶から砂糖を山盛りすくった。それを躊躇なくティーカップに投入した。

 その様子を見て、真琴がテーブルに両肘をついて手を組み、口を開いた。


「じゃあまず一つ目なんだけど、どうして最近は制服をきちんと着用しているの?」

「着崩す必要がなくなったからです」

「必要って何よ」

「うーん……目標にすべきことがはっきりしたんです。それが着崩すことじゃなかったってだけのことです」

「着崩すことが何か目標だったわけ?」

「はい、憧れの人がいて、その人みたいになりたかったんですけど、私が目指したいのは外見の真似ではありませんでした」


 真琴が、ふーんと言って頬杖をついた。


「その気持ちは、私にもわかる気がするわ」


 雛子がちらと上目遣いに真琴を見遣った。真琴はティーカップを持ち上げ、僅かに傾けて唇を湿した。


「で、二つ目なんだけど……今気づいたわ、あなたの髪の毛、前よりもウエーブがかってない?」


 雛子が肩に落ちた髪を手櫛で梳いた。


「あー、なんか最近ストレートパーマが弱くなってる気がします」

「あんまりすると頭皮とか髪の毛とか痛むわよ」

「もうしませんよ、それもお姉さまみたいになりたくてしたことだったので」


 雛子の返答に、真琴が突然手のひらでバンッと音を立ててテーブルを叩いた。


「それよそれ!三つ目!お姉さまって何!」


 唐突な真琴の勢いに、雛子が身を引いて驚きの表情を浮かべた。


「何ですか急に。お姉さまはお姉さまです。私の憧れの人で大切な人です」

「何、その呼び方、了承してくれたの?」


 雛子が頷くと、真琴はがっくりと肩を落とした。雛子が不気味なものを見るような目をする。すると、真琴が両手で顔を覆った。


「いいなあ……」

「えっ?」

「私もね、あなたと同じようにお慕いしている方がいるのよ。今高等部の一年生なんだけど……その方は了承してくれなかったわ」

「お姉さま呼び?」

「ええそう、恥ずかしいだろって一蹴されたの」

「恥ずかしいって理由なら何とかなるんじゃないですか?」

「いいえ、照れとかではなく、きっと私が取るに足らない人間だからって意味で恥ずかしいのよ。まだ認められてないんだわ。それに、あの方にはもう想い人がいる気がして……」

「私のお姉さまにもすっごく仲が良い人がいて、なんだかもう夫婦みたいなんですけどね、私はおふたりとも同じくらいお慕いしてますし、おふたりとも大好きですよ」

「大体わかったわ、あの園芸部の先輩方でしょう? 楽しそうでいいわねえ……私が言いたいのはそういうことではないんだけどね」

「そもそもがですね、お姉さまっていうのは呼ぶ呼ばないじゃないんですよ!」

「それはあなたがすでにお姉さまと呼べているから言えることよ、呼べたらそっちの方がいいでしょう?」

「当たり前です! お姉さまに拒否された日には私は泣きます!」

「だから私がその状態なんだけど。私の敬慕の想いが一方通行だということを自覚せずにはいられないのよ……お姉さまと呼ぶことこそが敬慕を示す形で、それを受け入れてもらえた時に初めて手に入れたかった関係が完成するのよ」

「でも私は、たとえお姉さまと呼べなくなったとしても、お姉さまを変わらずお慕いしますし、お姉さまのような素敵な人になることは絶対に諦めません!」


 雛子が声高に言うと、その雰囲気に後押しされるように、真琴が勢いよく立ち上がって前のめりになった。


「よく言ったわ池田さん! 私もその思いでずっと風紀委員を続けてきたのよ! お姉さまはいつだって私の心の中にいるわ!」

「そうです! お姉さまは私の手を引いてくれます、道を示してくれます。それはお姉さまがそばにいない時だって変わりないことです」

「良いこと言うわね、池田さん。……でもやっぱり、目の前にいたら直接お姉さまってお呼びしたいわ」


 テーブルに両手をついて再びうなだれる真琴に、雛子が苦笑を漏らした。


「話が堂々巡りしちゃうんで、それ言うのやめてください」


 真琴が顔を上げ、口辺に不敵な笑みを浮かべた。


「でも、結論は出たわ」

「何のです?」


 真琴が拳を握りしめた。何故か雛子もつられて、右手をぎゅっと握りしめた。真琴が上方に目を向けて、確信ありげに口を開いた。


「風紀を守るために必要なこと、それはお姉さまという存在なのよ!」


 真琴が雛子の顔に視線を落とし、同意を求めてくる。雛子が目を瞑って何事か考える素振りを見せた。


「私が制服をちゃんと着るようになったのって、お姉さまじゃなくて八重山先輩に説得されたからな気が……そもそも髪の毛染めたりしたのはお姉さまの真似をしたかったからですし……いや、お姉さまは髪は染めてなくて私の勘違いだったんですけど……いんちょーはそれでいいんですか?」


 ふたりの間に気まずい沈黙が流れる。真琴が再度、緩んだ拳を握り直した。


「人はそれぞれのお姉さまを持つわ! お姉さまは絶対よ!」

「うわ、全部放り投げましたね」


 かくして、中等部風紀委員長・片岡真琴の盲目的お姉さま偏重主義が肥大するのみで終結した第一回お姉さま談議であった。


「私たち、意外と気が合いそうね、池田さん」

「いんちょー楽しそうですね」

「そりゃそうよ、同志に出会えたんだもの。溜めこんでいた思いを発散できてよかったわ。大っぴらに、お姉さまとお呼びしたい! なんて口が裂けても触れ回れないもの」

「私はいつも、お姉さまお姉さまって言って周りのみんなに自慢してますけどね」

「あなた逞しいわね……ま、お互い頑張りましょう」


 その時、高等部校舎からチャイムの音がかすかに聞こえてきた。


「あっ、お姉さま方も授業が終わりました。じゃあ私はこれで失礼します」

「ええ、また存分に語らいましょう」


 にこやかに生徒指導室を出て行く雛子を見送った後、真琴は椅子の背もたれに背中を預け、天井を仰ぎ見た。

「私ももっと頑張らなきゃ……あの人に私をちゃんと見てもらえるように」

 

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