夏の来客
@sake123
第1話
扉を開けると、その人は背筋を伸ばして立っておりました。
「こんにちは。どうぞ。」
と招きますと、大層恐縮したような面持ちで、「失礼致します。」と小さな声で呟きまして、我が家に足を踏み入れたのでございます。
「いや、こんなにも手厚く迎え入れていただくなんて。」
「いやいや、こちらこそもっと粗野な方がいらっしゃるのかと。」
虎屋の羊羹を出してやりましたが、お茶にすら手をつけず、ずっと下ばかりを向いております。
「どうぞ、お上がりください。」
「いえ、しかし…。」
「このご時世ですから、来客がありませんで。ようやくこの羊羹は日の目を見ました。食べてやってください。」
と申しますと、その人はおずおずと羊羹に手を伸ばしました。しかしながら、緊張からか、味もわからぬようでして、ひと口食べたきり再び俯いてしまいました。
「お隣さんからですか。」
「ご存じでしたか。」
「ええ。私の家にいらしたらよろしいのにと、ずっと思っておりましたので。」
客人は、えっ、と息を漏らし私の方へ顔を向けます。
「あちらの奥さん、もうずっと熱が出ているでしょう。」
「はい。私が言うのも何ですが、お医者様に行かなくては…」
「行けないのです。」
私がピシャリと申しますと、相手は気まずそうに目をそらしました。
「人とは難儀な生き物なのですね。」
「怖がりで、そのくせ、つまらぬ見栄を張りますから。」
「この町はもう、7月だというのに、同業者があまりにいなくて驚きました。」
「それが誇りなのです。一部の人にとっては。」
客人は再び押し黙ります。やがて口を開くと、
「貴方、私がいてはさぞ難儀するでしょう。」
と気遣わしげにおっしゃいました。私はなるべく何でもない風を装い、凛と声を張りまして、
「そうでしょうね。でも、私は独り身ですから構わんのです。私がこの町の一人目となって名乗りを上げれば、お隣さんが病院に行ける。とても気のいい方なんです。早く元気になって欲しい。」
と、お返事致しますと相手は小さくなって、すみませんと繰り返します。噂よりもずっと慎ましく、気弱なその様に憐憫の情さえも覚えたのですが、どうしても「お気になさらず。」と言ってやる気にはなれぬのでした。
「それでは…そろそろ…」
やがて、客人が時計をチラリとみやりながら気不味そうに促しますので、私は「はいはい。」と答えまして、自身をソファに横たえます。
「お手柔らかに頼みますよ。オリンピックは観たいので。」
「善処しますが、いかんせん体との兼ね合いがございますから。」
「そうですか。」
「そうなのです。」
終始、眉尻を下げていたその人は一礼致しますと、するすると溶けていきました。その様子に比例するかの如く、私は夏の所為ではない、うだるような熱を胸のうちに感じはじめたのでございます。
夏の来客 @sake123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます