第4話 持つべきは

「大宮坂とかどう? 確か高校以来行ってないって言ってたよね」

「ごめんなさい、別のところでもいいかしら」

「そう? イルミネーションとか、暁の趣味に合いそうだけど」

「それはそうなのだけれど――」


   ◆


大変なことを思い出してしまった。


三次方程式や漸化式について思い出すことを早々に放棄した僕は、暁のことを考えていた。

体感時間で昨日にあたるプロポーズの何がいけなかったのかという反省から始まり、この時代の暁は何をしているのだろうという疑問に至った。


僕と暁が出会ったのは2011年で、この頃は互いをまだ知らない。

だけど、彼女が話してくれた過去の断片的なエピソードを記憶から拾い上げてきたら、今日が大変な日であることが分かった。


2005年10月20日は暁の誕生日だ。

しかも、誕生日記念で遊びに出かけた大宮坂で中学の同級生と偶然再会し、それをきっかけに後日交際することになる。


以前に大宮坂をデートコースに提案した際、昔の交際相手との出会いの場だからと拒まれたのを思い出したのだ。


途端に落ち着かなくなった。貧乏ゆすりを何度か先生に注意された。もうテストどころじゃない。一刻も早く終われと願いながら時計の針をずっと睨み付けていた。


暁に会える。


この時代の暁に干渉すべきじゃないのかもしれない。

過去を変えてはならない――マンガや小説で良く見る設定だ。

でも会いたかった。この日に遡ってきたのも偶然とは思えない。


チャイムが鳴る。


後ろから解答欄を埋めたテスト用紙が回ってきて、ろくに答えちゃいない自分のテスト用紙を重ねて前席に送った。


各列最前席の生徒がのんびりとテスト用紙を先生に渡していく。先生は枚数が合っているかをのろのろと一枚ずつ確認していく。紙束をトントンと机に立てて揃えていく。


ああああああもう早くしてくれ。


もう筆記具もしまった。あとは帰るだけなのに。


あー、とか、えー、とか、そういうのいい。早く終わらせてくれ。


商談に出かける間際に上司に呼び出しを食らった気分だ。


無限にも感じられる時間を拘束した中年のオッサンが、ようやく出て行った。

僕は慌てて鞄を持って立ち上がった。


「あれ、どっか行くん?」


その矢先、広川に呼び止められた。

僕は彼の方を振り返って早口に答えた。


「そう大宮坂。急用で」


今日暁が大宮坂を訪れるのは確かだけれど、滞在時間までは把握していない。

早く着ければ早いほどいい。


「大宮坂? 随分遠出すんね」

「そうなんだよだから早く行きたいんだ」

「でも赤月、今月もう金ないって言ってなかったっけ?」

「え」


ピシッという音をたたて、逸る心にヒビが入る。


そういえば、高校の頃は小遣いをその日のうちに本に変えてしまっていた。アルバイトは校則で禁止されていて財布は常に逼迫していた。


財布を開いてみれば五百円しか入っていない。キャッシュカードもクレジットカードの類も持っていない。慌てて携帯電話で乗換案内を検索すると――ああああガラケー使いにくいし遅い!――片道でさえ千円弱。


「マジかよ……」


自分の無計画さに目の前が暗くなる。

広川に感謝だ。ここで確認していなかったら、駅で途方に暮れるところだった。

感謝ついでに、僕は営業で鍛えあげた姿勢で広川に頭を下げた。


「ごめん! 必ず返すから金貸してくれ!」

「おわ、いや頭上げろよ恥ずかしいなっ」


慌てて僕の肩を掴んだ広川に身体を起こされる。

顔を上げた瞬間から、僕は真剣な眼差しでまっすぐに広川を見据える。目で訴える。口を引き結んで、広川の言葉を待つ。


クレーム案件で取引先に謝る時と全く同じ方法だったりする。

広川は嘆息して肩をすくめた。


「いくら?」

「助かる! 二千――いや、三千円借りていいか?」

「はいよ、ちゃんと返せよ?」

「そこは必ず! 十年かかってでも」

「かけすぎだろ」


笑いながら差し出してくれた三千円を、僕はしっかりと受け取った。

今日は広川に感謝しっぱなしだ。


必ず返すとも。十年たっても。もし未来に帰れたなら久々に連絡を取ろう。

そうしたらこの金の利子分で、一杯奢らせてくれ。


教室を出た僕は駅まで思い切り走った。


そのまま改札に駆け込もうとして、ふと思い立ってコンビニに寄った。

ワックスを買って、トイレを借りて鏡の前に立つ。


二十七歳の僕にするよりも多少ハネさせるよう意識して、若さ相応の髪型を作った。

よし。


改札をくぐる。


電車に乗りこむ。


僕は暁に会いに行く。

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ジュブナイルには遅すぎる 【セント】ral_island @central_island

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