オセロで野犬を倒して旅館から脱出するお話
海月くらげ
第1話
わたしは文芸部の合宿で岡山県にやって来ました。実のところこれは合宿を口実にしたただの旅行で、読書会がある以外は特に文芸部らしいことをしません。一日目は旅館に着き次第各自休憩、二日目は自由行動、三日目はみんなで美観地区観光という予定になっています。宿は鷲羽山の麓に建っていて、窓からは瀬戸内の海が見えました。このホテルには小さなビーチもついているようです。
夕食までに3時間ほど暇があるのでわたしは海に行ってみようと思いました。押し寄せた波がザザーンと音を立てて砂浜を濡らします。砂浜で小さな蟹を追いかけ回しているとどこからか白い犬がトコトコ歩いてきました。岡山県で白い犬と言えば桃太郎の使いです。
「よしよしかわいいわんちゃんだね。きびだんご、おひとついかが?」
わたしは小分けに包装されているチョコマシュマロをカバンから一つ取り出してわんちゃんにあげました。わんちゃんは包装袋の端を器用に咥えて頭をブンブン振りました。きっとありがとうと言っているのでしょう。わんちゃんは随分丁寧にお礼を言った後どこかに歩いていってしまいました。
それからわたしは海にジャブジャブと入りました。服を着ているので海には膝までしか浸かれません。海に膝まで浸かって海岸を行ったり来たりしていると後ろでガサッと音がしました。さっきのわんちゃんが戻ってきたのかしら。そう思ってふりかえってみるとそこには血まみれの後輩が立っていました。
「ど、どうしたの!?」
私はびっくりしてしまいました。
「山の中を歩いていたら藍色をした変な犬にいきなり襲われて」
それはもしかして岡山県の児島地域にのみ生息する野犬DNMでは無いでしょうか。その真っ赤な目に一度映り込んでしまうと、すごい勢いで追いかけてきて肌がデニムの色になるまで血を吸うと言われている恐ろしい犬です。血まみれになったとはいえ、生きて帰ってこれたことは奇跡と言えるでしょう。
「大丈夫? かっとばんあるよ。いっぱいあるよ」
わたしは財布の外ポケットからカットバンを出していっぱいあげました。
***
翌朝。ぼんやりと立ち上がり、障子戸を開けると朝日が妙に高い位置でギラギラと照っていました。陽の光が海に反射してキラキラ光っています。大きな船がゆったりと横切って行きました。お部屋には四角い布団が4枚きっちりと並んでいるだけでわたし以外誰もいませんでした。枕元に手を伸ばしていつも朝起きるとそうするようにスマートフォンを見ます。11時18分。ホーム画面の時計にはそう大きく表示されています。
「大変! 寝過ごしちゃった!」
わたしは飛び起きました。急いで着替えてロビーに行くとえるもが待っていて「おはよう」と言いました。
さて、わたしたちはどうしたらよいのでしょう。宿があるのは山の麓と言っても海側の麓なので街に行くためには山を超えなくてはなりません。駅まで行くための送迎バスはとっくに出てしまっていました。バスがなくては歩いて山を超えるしか街へ行く方法がありません。野犬DNMのいるあの山を。今日はせっかくの自由行動なのにわたし達は宿で時間を潰すしかないのでしょうか。
「バス、行っちゃったね」
わたしはしょんぼりしました。
「歩いて街まで行けばいいんじゃない?」
えるもは普通の顔でそう言いました。
「歩いて山を超えたらわんちゃんに噛まれちゃうよ」
「野犬に見つからないように気をつければ大丈夫じゃない?」
「そっか」
私はにっこりしました。そういうわけでわたし達あの恐ろしい野犬DNMがいる山を歩いて超えることになったのです。
山道は静かでした。細くうねうねした道は車が通れるように舗装されてこそいるもののちっとも車は走ってきません。鳥の声でもするかと思いましたが、それもやっぱりしませんでした。どんどん進むわたしの後をえるもはスマホを見ながらついてきました。
わたしはもともと歩くことが好きです。さらに良いことに今日はとても素敵な服を着ているのです。つばの広い帽子と丈の長いワンピースはどちらも真っ白で、今日のわたしはきっと避暑に来たどこかのご令嬢に見えることでしょう。私はご機嫌で山道を歩いていきました。
しばらく行くと、ちょうどカーブに差し掛かったあたりの木ががさがさ鳴って1匹の野犬が飛び出してきました。その真っ赤な目で真っ直ぐ私たちを睨みながら野犬はウーッとうなります。わたしはデニム色になったわたしの死体を想像して怖くなった後、デニム色のえるもを想像してちょっと笑いました。こんなのってク〇キーモ……ごほ、ごほ。
ワンワンッ! 野犬は大きな声で吠えるとまっすぐこっちに向かって走ってきます。ダメだ。もう死んじゃう。私はぎゅっと目を瞑りました。せめて最後に鯖寿司が食べたかったよう。
「…………」
なんだかとても静かです。天国というのはこんなに静かなものなのでしょうか。よく注意して聞いてみるとなんだか足元の方から荒い呼吸をしているような音が聞こえる気がします。私はそーっと目を開けて足元を見ました。
「あれ? 白いわんちゃん?」
わんちゃんはくりくりの黒いおめめでこちらをじっと見つめています。わたしは昨晩旅館の売店で買っておいたきびだんごをリュックから1つ取り出してわんちゃんにあげました。
「きびだんごをあげたんだからちゃんと鬼退治してね」
「わんっ」
わたしはその白いわんちゃんにシロ241と名付けて一緒に旅をすることにしました。
それにしてもシロ241はどうして白い色になったのでしょうか。飛び出してきた時は確かにジーンズの色をしていたはずです。私は首をひねりました。
答えを探して振り返るとスマホを見ているエルモがいました。
「なにみてるん」
「ツイッター」
私はツイッターを起動して野犬なうと呟きました。
しばらく行くとまた木がガサガサと鳴って野犬が飛び出してきました。しかも今度は2匹もいます。
「いけ! シロ君に決めた」
シロ241はすごい勢いで駆けていき、ワンワンッと大きな声で吠えました。シロ241はまっすぐ向かっていって、二匹の野犬のちょうど真ん中あたりに突進します。その時です。シロ241の色がパッと変わりました。
「わわわ、やばいやばい。シロ241が野犬DNMに戻っちゃった!」
3匹の野犬は私を睨みつけながらジリジリとにじり寄ってきます。絶体絶命です。ふりかえるとスマホを見ているえるもが見えました。
その時ビューンっと強い風が吹きました。わたしのお嬢様帽子が飛んでいってしまいました。
「あーっわたしの大事なお嬢様帽子が」
お嬢様帽子は野犬の上を超えて向こう側の道路に落ちました。
帽子が着地した瞬間。野犬DNM達はぱっと白くなりました。シロ241も恐ろしい野犬の姿から可愛い白犬に戻っています。
わたしは新しく仲間になったわんちゃんにそれぞれ犬吉、ワン太と名付けて旅を続けました。
しばらく行くとまたまた木ががさがさ鳴って野犬が現れました。
その視線の先にはいつの間にかわたしを追い越していたえるも。えるもは相変わらずスマホを見ていて野犬に気づいていません。わわ、やばい。えるもが噛まれちゃう。
シロ241が勇ましく吠えながら野犬の背中側に回った途端。野犬はぱっと白い犬に変わりました。
わたしはうーんと唸りました。飛び出してきた怖い野犬が急に可愛いわんちゃんになるのは一体どういう仕組みなのでしょう。
野犬にであってしまったかと思うと知らぬ間に可愛いわんちゃんに変わっているのです。
かと思うと反対に可愛いわんちゃんが恐ろしい野犬にいきなり変わってしまったりするのです。紺色の野犬、白い犬、紺色、白色、紺、白、紺、白、紺白紺白。ん? わたしはその仕組みに気づいてしまったかもしれません。
「もしかして、これはオセロでは」
考えてみればシロ241が野犬DNMに変わってしまったのはちょうど二匹の野犬に挟まれた時でした。さらに、三匹の野犬が白いわんちゃんに変わった時は白い帽子と白いワンピースを着たわたしに挟まれた時です。はじめにシロ241と会った時はシロ241を挟んだ向こう側に白いガードレールがありました。
「シロ241は白いガードレールと白いわたしの間に挟まれたから白いわんちゃんになったのね!」
わたしは少しスキップしました。そうとわかればもう野犬は怖くありません。白い仲間達と協力して野犬DNMをどんどん挟み撃ちにしてしまいましょう。
ラッキーなことに道の両端には白いガードレールがあります。端の列を抑えたわたし達はオセロにおいてとても有利でした。
その後も何度か野犬の群れに遭遇しましたが、わたし達は無事山を越えて街まで出ることが出来ました。街に来る頃には仲間のわんちゃんは10匹を越えちょっとした団体みたいになっています。
山を下り、駅を探してさまよっているうちにわたしたちはジーンズストリートにたどり着きました。ジーンズストリートとは地元メーカーのジーンズショップがたくさん集まっている商店街です。岡山の観光地の一つとも言えるでしょう。この町では屋根から屋根にひもを渡してたくさんのジーンズをぶら下げています。ジーンズたちは季節外れの鯉のぼりみたいにパタパタと風に揺られていました。
折角なのでわたしはちょっとジーンズショップに入ってみることにしました。そう広くない店内にはジーンズの棚がぎっしり建っています。右を向いてもジーンズ、左を向いてもジーンズ。入口付近の棚にはデニム製のバッグやポーチなんかも置いてありました。
「これとかどうかな。かっこいい?」
わたしは手近なスキニージーンズを腰に当てて鏡を覗きました。
「えっ」
なんということでしょう。鏡には頭のてっぺんからつま先まで全身デニム色になったわたしが映っていたのでした。
オセロで野犬を倒して旅館から脱出するお話 海月くらげ @umituki_kurage
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