午前三時の小さな冒険

新巻へもん

音声はミュートで

 ヴゥン。微かな音のような違和感を感じて目が覚めた。しばらく暗闇の中で目をしばたいていると部屋の中の暗さに目が慣れてくる。遮光カーテンの隙間から洩れる光で透かし見ると私の左手で妻が規則正しい寝息を立てていた。浅黒い端正な顔立ちをしばらく観察する。


 静謐の中をピーポーという音が近づいて離れていく。国道を救急車がサイレンを鳴らして走りぬけて行ったのだろう。ゴールデンウィークの最中というのにご苦労様。頭の中で見知らぬ救急隊員に呼びかける。視線を妻に戻すと気温が上がったせいか布団の上掛けを押しのけているせいで、呼吸のたびに胸が上下するのが良く見える。


 結婚して10年以上になるが妻はいまだに魅力的だ。たまらなくなって手を伸ばそうとしたが、先週のことを思い出して手が急停止した。妻は眠りを妨げられると機嫌が悪い。半分寝ぼけている状態で繰り出されたパンチは私の顎をとらえ、翌日出勤する際にはマスクをつけなければならなかった。ようやく消えた痣をまた付けたくはない。


 しばらく妻の寝顔を見ていた。ひょっとすると目が覚めないかという期待はかなうことない。私は頭をかくと仕方なくベッドから起きだして、私を目覚めさせた違和感の正体を確かめることにした。そっと寝室の扉を音をさせないようにして開く。廊下に顔を出すとリビングの方から明かりが漏れていた。


 私は音をたてずにひそりと笑う。ははん、なるほど。1パーセントほどは物取りの可能性がなくはないがまず間違いなく犯人はあいつだろう。もうあいつもいい歳だからな。私はそおっと足音を殺しながら廊下を進んでリビングの入り口まで進むと静かに床に腹ばいになる。


 じわじわと首を伸ばしてソファの影から覗き込むと小学校6年生になる息子の後ろ姿の向こうから液晶モニターの明かりが漏れていた。液晶モニターの中では肌色の塊が激しく動いているのが見て取れる。その瞬間、息子がぱっと振り向いたが視線は上の方に向かっていて床すれすれのところにいる私には気づかない。


 ほっとした表情をすると息子は前に向き直る。マウスのクリック音がしてモニターの中の画像が切り替わった。私は想像通りだったことに満足してゆっくりと後ずさると立ち上がり忍び足で寝室に戻る。


 昔から私は家電製品に通電したことが離れたところからでも分かる体質だった。今度何かのときに息子にさりげなく話してやらなくてはな。父さんは寝ていてもパソコンの電源が入ったら目が醒めちゃうんだ。きっとさりげない表情を装いつつも目を泳がせるだろう息子の顔を思い浮かべながら、寝室のドアをそっと閉める。


 ベッドに入って枕に頭を沈めるとにゅっと手が伸びてくる。頬に軽く柔らかいものが押し当てられたと思うと耳元に囁き声が聞こえた。

「おい。気持ち悪い笑いを張り付けて一体どこに行ってたんだい?」

「ちょっと目が覚めてさ。リビングで物音がした気がして」


「ん? 空き巣じゃないだろうな?」

「いや。大丈夫だ」

「アタシも見てこよう」

 そう言って起きだそうとする妻の手をとらえて抱き寄せ唇をふさぐ。


 妻はしょうがない奴だなという目をしていたが、すぐに舌が私の唇を割って差し込まれる。しばらくして少し顔を話すと息を弾ませながら妻が言う。

「まったく、こんな深夜に」

「どうせ明日も休みだろ」


 ふふん。鼻を鳴らすと妻が私の上に馬乗りになった。

「それじゃあ、覚悟するんだね。もう若くないんだ。アタシに火をつけたことを後悔させてやる」

「後悔なんてしないさ」


 ベッドサイドの引き出しに手を伸ばして小さな箱を探り、妻の胸元に顔を寄せた。弾力のある温もり包まれながら頭の片隅で呼びかける。息子よ、武士の情けだ。こっそりそういう冒険をしたい年頃だろうが気をつけろよ。母親にAV鑑賞しているところを見られたら……死にたくなるってもんじゃすまないぜ。

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