62食目 光のある方へ

 何の変哲もない道中は名残惜しささえ感じるほど、平和で順調だった。ほんの二日目にして到着した王都の門前にはたくさんの人が行列を成して、私とノエルはその行列の一部となって順番を待つ。


「レティシア様、もうすぐ検問です。よろしいですか?」

「ええ。大丈夫」


 私は眼前に迫る大きな門を見上げた。無駄のない造りで鉄格子や施錠部品などの一つ一つが頑丈に出来ているのがわかる。強固な守りに加えて街を取り囲む塀はどこまでも続いている。この王都がどれほど大きいのか想像に容易い。


 これだけ警備がしっかりしていると不法侵入する人もいないでしょうね。


 私が辺りを見回していると検問をしている警備兵と目が合った。すると、他の警備兵に目配せをして何か言葉を交わしたようだ。


「……まずいですね」


 ノエルもその動きに感づいたようだ。


「やっぱり、まずい感じよね」


 一応私達は極悪人の指名手配というほどではないが追われている身だ。どうやらここの警備兵にも情報が伝わっているらしく、兵はこちらに近づいてくる。


「―――レティシア様、失礼いたします」

「え、ええ―――ひゃぁ!?」


 返事をするや否やノエルは私を横抱きにして塀に沿って走り出した。その速さはとても荷物と私という巨体を抱えて出せるようなものではなく、鍛えられた兵士すら圧倒的に後方へやってしまうほどだった。

 私は振り落とされないよう必死にノエルにしがみつく。


「待て! これ以上逃げれば投獄するぞ!」


 遠くから兵士の声が聞こえるがノエルはそれを無視してどんどん走っていく。当然私も返事などしないのだが兵士の声が段々と悲壮感を増してくるので少しだけ可哀想になる。


「ノエル! 森に逃げましょう!」


 壁に沿って走っていると近くまで森が迫っているところへやってきた。ここなら目眩ましになるだろう。


「良いご提案ですが、それでは王都の中へ入れません。―――こうしましょう」


 ノエルの言葉と共に轟音が響き渡る。後方へ向けて何かしら魔法を打ち込んだようだ。そして大きな土煙が辺りに広がり、それは走ってくる兵士をすっぽりと包んでしまった。

 ノエルが土煙から私を庇ったと思うと、突然強い重力と浮遊感に襲われる。


「えっ!? と、飛んでる!?」

「口を閉じてください。舌を噛みます」


 人間の跳躍力を度外視したあり得ないほどの飛躍であっという間に塀の上に着地した。足がすくむほど高いそこから今度は何をするつもりか想像しなくてもわかる。


「うぅぅぅ!?」


 必死に口を閉じて舌を噛まないよう努力してもくぐもった悲鳴は押さえられなかった。私達は塀から王都の中へ颯爽と飛び降りたのだ。着地の軽い衝撃の後、ノエルが私をそっと地面へ降ろした。


「お怪我はありませんか?」

「な、ないけど……急に飛び上がるなんて。はぁ、びっくりしたわ」


 こんな高い塀を飛び越えちゃうなんて……ノエルの異常さは今に始まったことではないけどやっぱり驚くわよ。


 私は塀を見上げた。塀の向こうからは慌ただしく私達を探す声が小さく聞こえてくる。どうやら、森へ逃げ込んだと思われてるらしい。


 普通は上に飛んだなんて思わないわよね……。


「ノエル、早くここを離れましょう。見つかったら面倒だわ」

「はい」


 私達は足早にその場を去り、影の落ちる路地を進んでいく。


「これからどうしたらいいのかしら……きっと私達の風貌は知られているわよね。無闇に出歩いてたら投獄されてしまいそうだわ」

「詳しいところまではわかっていないと思いますが、このローブは特徴的なので……どこかの店で買い取って貰いましょう」

「そうね……結構気に入っていたから寂しいけどそうした方が良さそうね」

「では、あちらの店に寄りましょう。他に何か役立つものがあればそれと交換して貰いましょう」

「ええ」


 私達は近くで雑貨屋の看板がかかった店に入った。陽は僅かに射し込むだけで、店内は薄暗い。人の気配がない室内を歩くと床が軋んだ音を立てた。ノエルが店の奥に向かって声をかける。


「買い取りを願いたい、どなたかおられるか?」


 すると、奥から物音がして男性が出てくる。店の佇まいとは違い身綺麗で髪を整髪剤でぴっちり整えていた。


「……新顔ですね」


 涼やかな声でそう言うと私とノエルを交互に見てくる。彼の品定めするような鋭い視線は、初めて来店する客に警戒しているように見えた。


「ローブの買い取りを。私と彼女のだ。いくらになる?」


 ノエルは自分のローブを脱ぐと男性に放り投げた。いつもは丁寧な仕草をする彼のひりついた空気に驚いてしまうが、こういうところでは舐められないほうが良いのかもしれない。

 男性は不快な顔一つせずにローブを受け取ると両手に乗せて目を細めた。


「これは……一般的な店では売られていない品物のようですね。汚れていても生地の良さがわかる。それに刺繍も丁寧だ」


 思いの外悪くない評価をしてもらえたことに安堵したのも束の間、男性はローブをぱさっとこちらに放り投げた。


「―――故に、買い取ることはできない」

「ど、どうしてですか!?」


 納得のいかない言葉に私は反射的に食って掛かる。


「品がいいなら買い取ればいい値段で売れるでしょう?」

「……娘さん、ここは学校じゃない。お勉強がしたければ王立学校で習ってくるんだな」


 人を下に見た言葉を浴びせられて私も少しばかりだがムッとして男性を睨む。そんな私を制するようにノエルが前に一歩出た。


「レティシア様、特注品は買い取ってもらえないこともあります。たとえ品物が良くても商売の腕がなければ、盗品かどうか見極めるのは難しいのです。そしてそれを売る力量も必要なのです」


 ノエルの言葉に今度は男性のほうが顔をしかめた。私はピンとノエルの意図を感じて、彼に続いて話す。


「そうよね……これは一級品だもの。他の腕利きの商人さんに任せたほうがいいわね。こんな小さなお店では小銭を出すのも難しいわね。ローブが可哀想だわ」


 ちょっと意地悪が過ぎたかしら?


 ふと男性を見ると、彼はこちらを蛇のような鋭い眼光で睨み付けてきていた。あまりの気迫にぎょっとしていると、男性は溜め息をついた。


「まったく、とんでもない侮辱を受けたものだ。うちは確かに小さい店だが、顔も広いし目利きも一流だ。……あんたのような世間知らずの娘さんに煽られちゃ……こちらも出るとこ出るぞ」


 語尾を強めた彼は机の下に手を伸ばした。刃物でも出そうとしたのかと思い身構えるが、彼の手には重々しい茶色の袋が握られていた。

 がちゃんと音を立て、それを机に乱暴に置いた。


「俺は一流商人としてこの店をやってんだ。目利きの腕を馬鹿にされるなんてのは許せないわけだよ。盗品ってわけじゃなさそうだ、高く高く買い取って差し上げますよ。娘さん」


 男性は嫌みたらしく言うとにやりと笑った。


「あ、ありがとう……」


 意地悪なんてするものじゃないわね、後がこんなに怖いなんて。


 私はローブを脱いで手渡し、お金の入った袋を素早く取ると、男性の視線から逃げるようにノエルの後ろに下がった。


「レティシア様、買いたいものがあるので少しお待ちいただけますか?」

「ええ、わかったわ。私は……あっちの隅のほうで待ってるわね」


 出来るだけあの男性から遠ざかりたくて、私は店の隅っこへ寄って待つことにした。ノエルが男性と小さな声で話をしているので内容は聞こえなかった。ただ、彼らの様子はどこか緊張感の漂う怪しげなものだった。

 しばらくするとノエルが戻ってきていつものように微笑んだ。


「お待たせ致しました。これから城下町の方へ参りましょう」

「城下町? そんなところへ行っても大丈夫なの?」

「灯台もと暗し、と言うものですよ。少し歩きますがそれまで色々とお話しするのがちょうど良いかと。店でゆっくり話すのは逆に目立つのです」


 なるほど。人の賑わったところで歩きながら話せば、盗み聞きもされにくいということね。


「わかったわ。……でも、少しお腹を満たしておきたいわ。力が抜けてきちゃって……」


 実のところ、門で待っていた頃からずっとお腹は減っていた。遂に目指す場所に来たというのに、呑気に空腹を訴えるのは恥ずかしかったのだ。


「ふふ、では道すがら何か食べましょう。祭ではありませんが露店もそこそこありますよ」

「それは嬉しいわ! ノエルは王都のこともよく知ってるのね、さすがだわ」


 私が褒めるとノエルは照れ臭そうな笑みを浮かべた。


「少し覚えがある程度ですよ。どの街も刻々と変化してますから昔とは違うことも多いですよ。これも人々の生きる力があってこそです」


 そう言って微笑むノエルに救われつつ店を後にした。日陰の道をしぱらく歩き、建物に挟まれた細い道を進んでいく。中心部から離れた場所だというのに荒んだ雰囲気はなく、舗装の行き届いた場所が殆どだった。


「さすが王都ね、どの建造物も立派だし綺麗だわ」

「そうですね。昨今は特に治安が守られて様々な場所の整備が行われているようです。先程の商人から聞きましたが……新しい宰相の影響が大きいそうです」

「へぇ、新しい宰相さんは優秀なのね」


 私が呑気に褒めるのとは反対にノエルの表情は厳しかった。


「その宰相も怪しいものです。若くして宰相にまで登り詰め、聡明さと慈愛に溢れた人柄で城の家臣達からの信頼も早々に得たとか。レティシア様の存在も知っているに違いないのです。本当に聡明な者であるなら、レティシア様をこのように追い詰めたりしないはずです」


 確かにお尋ね者扱いされるのは気持ちのいいものではない。追いかけられたり、危険な目に逢ったりもした。


「でも、この国の人々を大切に想っている人だと思うわ。その人の陰を追うより、光を見てあげなくちゃ。もし光がなくても与えてあげればいいのよ」

「……」


 ノエルが珍しくしおしおと目尻を下げる。まるで頼りなさげな子犬のようで、そこまで強く指摘したつもりはないのでちょっと焦ってしまう。


「ご、ごめんなさい。落ち込まないで、ノエルの言うとおり危機管理はしなくちゃだものね! ノエルが正しいわ」

「いえ、レティシア様のおっしゃることが正しいのです。……やはり、お母上とよく似ておられます」

「そ、そうなの……?」


 母上は物心がつく前に亡くなっている。ノエルは母上と会ったことがあるらしいけど、少しは親しかったのかしら。


 母とノエルには繋がりがある。そう思うと胸の中に小さな木片が刺さったような痛みが走った。それが、羨ましいという感情だとすぐ気が付いたがどうしてそう感じるのだろう。


「父上に会ったら、母上のことも聞いてみなくちゃね。ノエルが似てるって言うんだから、きっと似ているに違いないわ。まぁ……私みたいに太ましくはないでしょうけど」


 私が苦笑いをすると少し前を歩くノエルが足を止めた。いつの間にか、水路を跨ぐ小さな橋の上に来ていて太陽も眩しく降り注いでいた。今は他に人の気配はない静かな場所だ。


「―――レティシア様」


 ノエルがゆっくりこちらに振り向いた。ノエル越しの太陽が眩しくて、私は目を細めて返事をする。


「っん……どうしたの?」


 答えの変わりにノエルが目の前で片膝をついて、ゆっくりと瞬きをすると宝石のような瞳が私を捕まえる。


「……私は、レティシア様の慈愛に満ちたその御心を誰よりも愛しく思っています。もし貴方が全てを失っても、どうか御側で貴方の全てを守らせてください」

「えっ……!?」


 急に何を言い出すのかと、驚きで心臓が弾けて霧散しそうになる。同時に、その言葉の意味がぐるぐると頭の中を回って身体中に熱を与えていく。彼の言う愛は、従者が主に抱く敬愛とは違うように思えた。

 けれど不確かなそれを、私は上手く手に取ることができない。


「……私は貴方の自由を奪うつもりはないわ。ノエルは多才で優秀だし素敵な人だから可能性に満ちてると思ってるし……」


 随分、的外れだわ。


 ばくばく、ばくばくと心臓が暴れ、思考は乱れて何を話したらいいのかわからなくなる。対照的にノエルは私の手を取って落ち着いた声で続けた。その手を取る動作さえ、紳士的でどこか物語の王子様がお姫様にする行為に似ていると思った。


―――私は物語のお姫様なんかになれない。


 たとえ本当に王女であっても、私は醜い。描かれた夢のような幸せを享受することは許されていない。


「私が貴方の側にいたいのです。いえ……貴方という光をいつまでも独占していたいのです。―――私だけが」


 真っ直ぐに、強くはっきりと告げられて、もうどこにも逃げられそうになかった。言い訳なんて許されていない。私は彼の強い意志を受け止めるほか選択肢がないのだ。

 私の側にいたい……今までに何度も言われた言葉のはずなのに今はいつもと違う気持ちが込められているような気がした。これはなんと形容すればいい、私のこの喜び浮かれた気持ちは何なのだろう。


「……貴方の人生を奪うなら今まで以上に対価が必要だわ。生涯雇用って高いんでしょう?」


 少し強がってそう言うと、彼は微笑を浮かべて真剣な眼差しが柔らかになる。


「ええ、勿論。対価は……レティシア様の身も心も全て―――強欲すぎでしょうか」


 軽く手の甲に口づけを落とし、ノエルは紫色の瞳だけこちらに向けて薄く笑った。


「ご、強欲すぎるわよ! おふざけはほどほどにしてっ……」


 私は手を振り払うように引っ込めた。口づけされたところが熱くて、そこから強い毒が回っていくようで怖い。


「おふざけですか……ご理解いただけるよう努めますね」


 嬉しそうに笑うとノエルは立ち上がって私に一歩近づいた。これ以上近づかれたら体がくっついてしまいそうだ。


「今日のノエルは……ちょっと変よ」

「何故でしょうね……少し寂しくなったのかもしれません」


 私の目の前は彼の体が作る陰で暗く、太陽なんか見えなくなる。自然と回された彼の腕が私を強く抱き締めると、全身を包み込む暖かさにただ身を任せた。


「レティシア様の御側にいたい気持ちに一片の嘘偽りなどございません。それだけは……どうか信じてください」

「何言ってるの、私はいつでもノエルを信じてるわ。いつか貴方の……さっきの、言葉も、えっと……」


 ノエルを信じてるならさっきの冗談ような言葉も信じる? いや、それはどう返したらいのか……。


 高速で自問自答しても明確な言葉は出なかった。ただ、私は無意識にノエルの背中に腕を回していた。彼の甘い花のような香りに満たされて、この時間が心地よくて永遠に続けばいいとさえ思う。

 そんな中、ノエルが静かに囁く。


「食事をしたら今晩は早めに宿を取りましょう。私に妙案がありますので、お体を休めておいてください」


 私は小さく頷いた。


「……休まるよう私も自制心を持って過ごします」

「?」


 最後のノエルの言葉はよくわからないまま、橋の向こうへ歩き出した。いつの間にか手を繋いでいたことに気がついたのは、すれ違う人の視線を感じてからのことだった。

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豚姫様とは呼ばせません! とうか さや @toukasaya

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