61食目 終わりへの旅路
晴天が心地よく広がる朝、商店街の店が始まる時間に合わせて私とノエルは買い物に出ていた。清々しい空気と人々の賑わいを感じられて自然と元気が出てくる、この時間は私の大切な時間の一つだ。
何度も繰り返したおかげで買い物にも随分慣れた。国民の金銭感覚を知っておくのは王女として重要な素養だと私は改めて思う。物の価値や人の生活が一番わかる市場はよく勉強しておかなくては。
「これくらいで大丈夫よね、王都まではもうすぐでしょう?」
私は買い物袋を覗き込んで言った。中身はほとんどが食料で、およそ三日分。甘味がないことだけは寂しいが、手持ちの資金があまり多くないので仕方がない。
「はい。しかし……本当に徒歩で行かれるおつもりですか?」
「ええ。荷馬車の乗り合いが安くて早いのはわかってるけど、安全ではないでしょう?」
またお金目当てに襲われても嫌だものね。わかってたつもりだったけど……実際にそういう目に合うとより怖かった。
「賢明なご判断です。そういえば雑貨屋で買い物はされないのですか?」
「雑貨屋で? そうねぇ……」
焚き火に使う燃焼材もまだあるし、王都までは遠くない。買いすぎても荷物になるから特に買うものはないと思う。しかしそこでハッとした。
もしかして私がネモのお店に行く口実をくれているの? だけど……。
「大丈夫よ、出発のことはマーガレットさんに伝言してあるもの」
彼女に会いたくないわけではない。ネモは友人として仲良くしてくれている。でもどこか線引きをしてしまう自分が嫌で、なんとなく会いにくさを感じているというのが本音だった。
「はい、かしこまりました。でしたら戻って支度をしましょう」
ノエルは柔らかく微笑んで答えた。
こうやっていつも優しく笑ってくれるから安心して王都へ向かえるのよね。感謝しなくちゃ。
「ええ、早く出発しなくちゃね!」
私達はまた二人で並んで街を歩き始めた。こうして人々に紛れて歩いていると自分がとても平和な世界にいるような気がしてくる。
これからどんな扱いが待っているかわからないのに、先のことは見えないくらい幸せな気持ちになる。
一歩一歩を噛み締めるように歩き、あっという間にマーガレットの店に着いた。
荷支度といっても、もう鞄に入れてしまうだけだったのですぐに用意が出来てしまう。まだお店も準備中で、来客のない店先でマーガレットとジルが見送りをしてくれることになった。
「レティシアちゃん、またいつでも遊びにきてね」
マーガレットが名残惜しそうに私を抱き締めてくれた。
「はい、必ず遊びに来ます! その時はまたジルの新作を楽しみにしてるわ」
そう言ってマーガレットから離れてジルを見ると、珍しいことに穏やかな無表情をしていた。無表情なのに穏やか、というのもおかしいかもしれないが彼の標準的表情が不機嫌そうな顔なので尚更そう感じてしまった。
「……いいから、さっさと行ってこいよ」
「もう、ジル君!」
ジルの無愛想な言葉にマーガレットが一喝する。まぁ彼の無愛想はいつものことなので気にしない。
「レティシアちゃん、道中は本当に気を付けてね。ノエルさんがいるから大丈夫だと思うけど……」
「ご安心ください。この身に代えてもレティシア様のことはお守りします」
「ありがとう、でもノエルに頼ってばかりはいられないわ。私もやる時はやるから大丈夫よ!」
頼りになるからといって、寄りかかってばかりいたくない。ノエルは少し寂しげに笑い、それを見たマーガレットも微笑ましそうに笑みを溢した。
「マーガレットさん、お世話になった恩は必ず返します。だから、待っていてください」
「気にしなくていいって昨日の夜も言ったでしょ。私は、家族が戻ってきてくれたみたいでとっても楽しかったのよ」
「ありがとうございます。私も……おこがましいかもしれませんけど、マーガレットさんを母みたいに思ってます。次に会う時までどうか元気でいてくださいね」
「レティシアちゃん……。ええ、もちろんよ!」
マーガレットが薄く涙を浮かべているように見えて、私も込み上げるものがあった。しかし時間は有限だ、もう行かなくてはならない。
「それじゃ……ノエル。行きましょうか」
「はい、レティシア様。皆様、此度はありがとうございました。失礼いたします」
お辞儀をするノエルに合わせて私も頭を下げて、店を後に歩き始めた。そして少し歩いた時だ。
「おい!」
ジルの大きな声に振り向くと同時に何かが私に向かって投げられた。
「わぁっ!?」
胸の辺りでそれを何とか受け止めると、握りこぶしくらいの大きさの袋だとわかった。
「栄養が偏ると痩せねぇぞ! あと……あんたはこっちに来るなよ、俺が迎えに行くから王都で待っとけよな!」
ジルは乱暴に声を張り上げそう言った。
「……ええ、待ってるわ!」
私は嬉しくなって大きく手を降ったが、ジルはすぐに店の中へ戻って行ってしまった。代わりに、マーガレットがちょっと驚いた顔をした後に笑顔でこちらに手を降り返してくれた。
それを見て私とノエルはお互いに目を合わせて、街道へ向けて歩き始めた。
「……やっぱり、ちょっと寂しいわね」
「そうですね。ですが、これで最後ではありませんから」
「うん……」
私はさっき渡された小袋を握りしめた。
「レティシア様、そちらの受け取られた物は何でしょうか? 生ものでないといいのですが」
「そうねぇ、確認してみましょ」
私は立ち止まって袋を結んでいる紐をほどいた。すると、中にはころころとした黒い玉のようなものが入っていた。大きさは銅貨より少し小さく、食べ物のようだが黒く艶がある。一つ取り出して見ると黒いものから甘い香りと木の実の香ばしい香りがする。
「何かしら、食べ物みたいだけど……いい香りで美味しそう」
「私が毒味をしてみましょう」
ノエルはそう言うと少し屈んで、私が摘まんでいるそれを手で寄せて食べてしまった。
「っ……!」
ノエルが私の指を食べてる……!
一瞬のことだったが、手を優しく握ったまま私の指を軽く咥えるような形になってしまった。程よい温かさと湿り気が直接指から伝わって私は手を素早く引っ込めた。
ノエルは気にする様子もなく、咀嚼しながら少し考えている。
「……なるほど。ムスペル国原産のショコレを木の実に薄く塗り付けてあるようです。毒はありません」
「そ、そう。すごく的確にわかるのね」
鼓動がばくばくと早くて苦しい。ノエルの感想もあまり耳に入らなかった。熱っぽくなった指を撫でながら、私だけ気にしているみたいで恥ずかしくなる。
「レティシア様、今召し上がりますか?」
「いいえ、結構よ……」
「……? そうですか、では鞄に入れておきましょう」
ノエルは小袋を鞄にしまう。私は少し溜め息をついてまた歩き始めた。王都までの道は馬車で行けば一日で到着するほど短いが、歩くとなるとそれなりの時間がかかる。今回ばかりは確実に、安全に王都へ向かいたい。
足早になる私にノエルは着いてきてくれ、何となく口数は少ない。
ほんと、ノエルだけこういうこと気にしてないのよね、いつもそうだけど……。男性と接触を控えるように言われた割には、本人はこんな感じなのよね……。
私は深呼吸をして気持ちを切り替える。今考えるべきことは一つだけだ。
「王都へはこっちの方でいいのよね、この街を歩くことが少なかったからよくわからないわ」
「大丈夫です。情報は集めております。この道を真っ直ぐ進んで、農場を横に通りすぎると王都への街道に続きます。様子を見て安全ならそのまま行きましょう」
「農場……。ええ、わかったわ」
そういえば、ラナの家業が農場だったわね。もし姿が見えたら挨拶だけでもしなくちゃ。
そうして二人でしばらく歩き、街の中心部が見えるところまでやって来た。賑やかに人が集まる広場、その中に一際人の集まる部分を見つけた。
すると、ノエルが私の視線を遮るように位置を変えた。
「レティシア様、あちらを見てはいけません」
「どうして?」
「あちらには……例の吟遊詩人がいます」
吟遊詩人と聞いて私は背筋がゾッとしてこの街に来る時に起こった荷馬車の出来事を思い出した。
「あの人……そう。わかったわ」
私はフードを深く被り直し、ノエルの影に隠れて歩いた。遠くから風に乗ってあの綺麗な歌声と弦楽器の音色と、観客達の拍手が聞こえる。
私を傷つけようとした人が、あんなに綺麗な歌声で人を喜ばせてる……。
どうして仲良く出来なかったのか。どうして傷つけあってしまったのか。人の強欲さを嫌というほど感じながら私は悲しくて歩を早めた。
「レティシア様……」
ノエルがつらそうに私の名前を呼んだ。彼は私の想いを考えてくれ、あの詩人のことを嫌悪しているだろう。でも私は誰のことも責めたくない。黒い感情に押し潰されてしまいたくない。
「大丈夫、大丈夫よ。行きましょう」
気がつけば私はノエルの手を握っていた。彼に触れている時は、不安や恐怖が和らぐ。
それからしばらくはぽつぽつと会話を重ねながら手を繋いで歩いた。
「―――本当にマーガレットさんの料理もジルのお菓子もとっても美味しかったわね。落ち着いたら私も勉強してみようかしら」
「それは良い案ですね。折角ならば食材の調達もご自分でされてみますか?」
「いいわね! 海で魚を釣ったり、野菜を育てたりしたいわ」
「森で兎や鳥などを狩られるのもいかがでしょう、運動にもなりますよ」
「そ、それは……もう少し勉強してからね……」
可愛い兎や鳥を仕留めるのはまだ私には時期尚早だ。もっと根性鍛えてからの方がよさそうだと思いつつ、ふと周りを見てみる。
「あら? もう街を抜けてしまいそうね」
いつの間にか建物は少なく、道も舗装がなく整った砂利道に変わっていた。小さな民家がぽつぽつとあるだけだ。野花の咲く道の先、広々とした野原と大きな小屋のようなものが見えてきた。
「ノエル、あの建物は何かわかる?」
「あれは農場でしょう、話しに聞いたとおりならこの道を行けば王都ですよ。よろしければ少し立ち寄ってみますか?」
「うーん……遠くから見てラナがいたら少し声をかけようかしら」
「かしこまりました」
まだ午前だし、お仕事の邪魔にならないようにしなくちゃ。
私達は暖かくなり始めた日差しの中、農場の近くまできた。低く響くような動物の鳴き声と何か作業をしている音が聞こえてくる。柵から様子を見ていると近くの小屋の中から女性が出てきた。
「おや、あんた達うちに用事かい? 肉はまだだけど乳なら準備出来てるよ」
女性は大きなかごを持ち上げてこちらに歩み寄って来た。
「こんにちは。私はレティシアと申します。ラナさんはいらっしゃいますか?」
「あぁラナの友達かい! ごめんね、朝早くから出掛けていてまだ戻って来てないんだよ」
女性は申し訳なさそうに言った。恐らく、この人がラナの母親だろうと察しがついた。顔だちがラナによく似ている。
「そうでしたか……わかりました。私はもう行かなくてはいけないので戻って来られたらよろしくお伝えください」
「もうすぐ帰って来ると思うんだけどねぇ。あの子ったら夢中になると周りが見えなくなるから困ったもんだよ。またいつでもおいでね」
「はい、それでは失礼し―――」
私が言いかけた時、小屋の向こうの森に人影が見えた。大きな荷物を背負った少女、ラナがこちらに手を振っている。
「ラナ!」
「おや、やっと帰って来た。ラナ! お友達だよ! 早く来なさい!」
ラナは荷物を背負っている割には軽快に走ってくる。近くに来て私は背中に背負ったものが何か気が付いてしまった。
あれって……鹿!?
「―――レティシアちゃん、こんにちは。今日はどうしたの?」
でかでかとした立派な鹿を背負いながらにこにこと笑顔で話しかけられるという現実に私は混乱していた。よく見れば彼女の衣服に赤い染みがいくつもある。大人しいラナの印象は一気に書き変わっていく。
「あ、その……今から王都へ出発するの」
「えっ!? もう行っちゃうんだね……寂しいな。また皆でお茶会したかったよ……」
ラナは重々しい鹿を地面に降ろして言った。視界から外せないそれを私は出来るだけ見ないように視線を逸らした。
「ラナ、あんたが早く帰って来ないからだよ。またそんな大きい獲物を取って来ちゃって!」
「ごめんなさい、お母さん。こんな大きな鹿を見かけたらつい……」
つい!? そんな気軽にこれは狩れないと思うけど!?
私は余計に混乱しつつ、ノエルを見た。彼は特に動じている雰囲気はないらしく涼しい顔で待っている。
「ラ、ラナって狩りが上手なのね……」
私の言葉にラナは目を輝かせた。私はちょっと踏んではいけないものを踏み抜いてしまった気がした。
「! よ、良かったら解体するところも見ていかない? 新鮮だからすぐに焼いて食べてもいいし生でもいけるよ!」
「え、遠慮しようかしら……先を急いでるの。ね、ノエル」
「そうですね。またの機会にいたしましょう」
ま、またの機会……ないといいな。
「そうかぁ、残念だなぁ。ごめんね、引き留めて……」
前のめりなラナの誘いを断ると、彼女は途端に萎れた花のようになってしまった。本当に申し訳ない。
「ううん、ラナに会えて良かったわ。私達はもう行かなくちゃ……ネモとメイにもよろしくね」
「うん。またね、レティシアちゃん」
「またラナに会いに来ておくれよ。私も楽しみに待ってるよ」
ラナの母が娘の肩を優しく引き寄せて、二人で笑顔を向けてくれた。二人の姿は微笑ましいはずなのに何故だか私の胸の奥はずきずきと痛みが走った。
私が持っていないもの。得られなかった愛がそこにあるのをありありと見せつけられたような気がして、鼓動が荒々しくなった。もちろん彼女にそんな意地悪をするつもりはないのはわかっている。だから平静を装う。
「はい、お母様もお元気で。……行きましょうノエル」
「はい」
軽く会釈をして砂利道を歩き始めた。少し歩いて振り返るとまだ見送ってくれてるようで手を振ってくれたので私も軽く振り返す。
何だか疲れちゃった……かも。
「レティシア様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。……少しね、母上がいたらあんな風に寄り添って過ごせる時間があったのかなぁって思っただけ」
感傷的だわ……こんなこと考えても仕方ないのに。
「レティシア様……」
「もしも母上がいてくれたら、色んなことが変わっていたのかしら。そうしたら……」
そう、そうであったなら―――
「―――きっと、こんな素晴らしい旅路はなかったわね」
私はノエルに精一杯笑いかけた。寂しさを吹き飛ばすように笑うとノエルもまた微笑み返してくれた。ノエルは鞄からあの甘味が入った袋を取り出すと私に手渡してくれる。
「私もレティシア様とこのような時間を過ごせてとても幸せです。これは舞い込むのを待っていては手に入らないものですね」
「ええ、そうね。幸せは歩いてこないもの。こっちから迎えに行くわ!」
私は袋から甘味を一つ取り口に放り込んだ。噛み砕くと木の実の香ばしさとショコレのとろけるような深い甘味が口に広がった。
「これ美味しいわね!」
「それは良かったです。この木の実は栄養もありますし、道中にぴったりですね」
「ショコレも確か痩身に良いって話しだったわよね。前に食べ損ねてたから嬉しいわ」
はしたないことだと思いつつも、私は歩きながら木の実ショコレを食べた。道の向こう、王都はもうすぐだ。
遠くまで広がる空は青く澄み、白い雲が揺蕩う。希望に満ちた未来が待っているのだと、そう思うには十分だった。
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