便所ロワイヤル

煙 亜月

第1話

 梅雨のある日、九〇%に達しそうな湿度で自宅の便所のドアは膨張していた。もちろんドア枠も、だ。開け閉めのたびに「ガッ」とドアとドア枠がぶつかる鈍い音、インパクトの前にも(ゴゴゴゴ)と木の擦れる抵抗があった


 もし便所のドアが開閉できない程に湿気を含んだらどうなるか? ひとたび不安に感ずればおちおち用も足せない。すなわち便所に、便所自身によって監禁される可能性があるのだ。ああ、恐ろしい。

 気分転換だ。逆を考えよう。便所が便所自身によって閉じこもってしまう場合。便所内は無人とする。これはどうだ。急な差し込みに際しては、風呂場がある。原始的ながらも歴とした水洗便所である。そのうえウォシュレットも付いてある。まったく、最高の環境だ。


 最悪の環境が便所監禁だ。しかし待てよ? 用はいくらでも足せる。出し放題だ。この際ギガ単位で出してもよかろう。ギガ便所。

 われわれヒトは七日間は水のみで生存可能という風に作られている。割り切れば飲み水の心配はない。空腹時にはとりあえず便所紙でも食っとけ。茶腹もいっときにかけて便所紙もいっとき、とかそんな格言すらも浮かぼう。

 汗ばむ季節だが、ボディシートがある。しかも居住空間の掃除にも使用でき清拭清掃後には流せるのだ。何なら某RPGの怪鳥チョコボの啼き声を「クイッ、クイックル~」にしてもいい。実際そのように啼いている。ああ啼いている。それでもにおうならスプレー式の消臭剤がある。適宜ご使用ください、だ。そればかりでない。洗濯だってできる。洗剤も強力なものがあるし、水もため洗い、すすぎができる量が確保されている。タオルもあるので入浴も可能だ。


 待て。これはどういうことだ。心中に去来するある考えに違和感が生じてきた。

 もういっそ便所で暮らしたっていいんじゃないか――。

 そんな思いが首をもたげたが――。

 あら。煙草がない。便所は禁煙である。それが便所のあるべき姿であり、なんぴとたりとて破ってはならない取り決め、約定、協定だ。もちろん新聞雑誌書籍の類であっても持ち込んではならず、いわんや一服吹かすだなんて外道も外道、クソ野郎の極みである。みじめなクソ地獄で死ね。

 便所は、便所とは、一気呵成に用を足す静謐な空間。具体的には排尿の終了時にはすでに脱糞し終えてなくてはならぬ。便所喫煙はわたしのではなく、便所のポリシーに反する。


 では――便所に幽閉されないようにするにはどうすればいい?

 明瞭な解がある。ドアを締めなければよいのだ。ああ、この解放感。この風通し。風水的にも気の流れが良くなりそうだ。あなたはまだ知らないのかもしれない、玄関から股間まで、なんの隔たりもなく、一陣の風がノンストップで通り抜ける快感を。


 さあ、あなたもきょうから便所は屋外。近所に森があれば森林浴、海があれば海水浴もできる身分となった。ドアもなにもない、バリアフリーかつユニバーサルそしてフレンドリーデザインのあなたの便所は、無双。生活にきっと爽やかな風を吹き込むことでしょう。

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