第7話
大公が、帝室をないがしろにする宰相と、おのれの楽しみにうつつを抜かし仁政を行わない皇帝とを、天に代わって誅する云々という大義名分を掲げて挙兵したのは、しごく当然のなりゆきだった。剛健かつ怜悧な彼のもとに各造反軍がどんどん吸収されて、彼は森の中をさまよい歩いていたころとはうってかわって、堂々たる大軍勢を従えて、大陸を駆け巡ったのである。
というわけで、二年後には新しい王朝と新しい皇帝が、広大で豊かな大陸を統治することになった。新しい皇帝というのはもちろん、女魔導士が恋した大公殿下である。
あの妙な歌は、森での陽動により大公を追手から遠ざける際、女魔導士がふと口ずさんだだけの歌だった。恋に落ちた人が浮かれて作った旋律だったが、それを知る者は誰もいない。
新王朝の初代皇帝は、それからずいぶんと長生きし、彼のつくった国も彼の死後ずいぶんと長く大陸を治めた。人の一生という限られた短い時間のなかで、なにかを破壊した量、それからなにかを造った量が計れるとしたら、大公はそのどちらも抜きんでて突出した人物のうちの一人になった。
皇帝となってからも、破壊と建設を繰り返すために大公はいろいろと忙しく、あの女魔導士のことを思い出すことはほとんどなかった。彼の時間は直進しつづけるのみで終生それは変わらなかった。
「あの逃亡の果ての森の中の時間をのぞいては」
皇帝は老いてひからびた自分の手を見て、やっとあの逃亡の時を思い出した。
ひたすらな前進は、いつか停止する。皇帝は老いて病を得て、死期が近いのを自覚した。
皇帝の死は宮殿の奥深くで迎えられることになった。彼が横たわる寝台の周りには后妃や皇子たち、貴族高官たちがその大往生を見届けようと集まっていた。偉大な皇帝の最後の言葉を彼らは聞きたがっていた。
いつの間にか夜が明けて、薄明が部屋を満たした。気づくと、どこから紛れ込んだのか、暗いすみれ色の蝶を彼は見たのである。小さな蝶はちらちらと今にも消えそうに横たわる皇帝の頭上を飛んだ。それはいかにも頼りなげで、ろうそくの炎のかすかな熱風にすらあおられていた。それでもその蝶は、彼の頭上を飛び続ける。
「もしかしておまえか」と一言言って、皇帝は死んだ。並みいる皇族や権臣たちは全て無視して、彼はそれだけしか言わなかった。
余談だが、大公の壊したもののなかには、古くから大陸で暗躍してきた魔道が含まれている。彼は皇帝に即位してすぐ、旧帝国の魔導士をひそかに招集した。そして新しい権力に寄生すべくのこのことやってきた彼らを後宮の離れに集めておいて、彼らを建物ごと焼き殺してしまった。
(終わり)
蛹の姫 摩頂みなみ @minahori
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