世界、不適合者

鯰屋

回遊魚

AM11:30


 目が覚めて、直感的にあるいは本能的に遅刻したと気づく。

 目覚まし時計は完全に私を起こすことを諦め、ただカチカチと秒針を震わせていた。半袖で出歩くには涼しすぎるが、掛け布団の煩わしい夏の終わりのことだ。

 恐る恐る、枕元でうるさい時計を手に取る。文字盤を見るまでもなく、短針は頂へと重なろうとしていた。

 全身から力が抜けていくのがわかった。やはり遅刻だ。


 一限目は現代国語げんこくだっただろうか、間に合うはずもない。これまで馬鹿正直に目指せ皆勤賞だった私ならば、飛び起きて寝癖を撫で付けるのもほどほどに家を飛び出す──はずだった。

 馬鹿正直な大学生こと私の心に、新たな感情が生じようとしていた。それは、そう褒められたものではない。


 迫り上がるような焦燥はもちろんあった。しかしそれ以上に、同級生たちが机に向かって一心不乱に勉学に励む中、大学生協紹介の安アパートで微睡んでいることに対する得も言えぬ背徳感。

 禁断の味であった──これが、サボりか。


 臓器の浮く浮遊感にも似た高揚だ。まるで、人生最後の一日でもあるかのように、全てが赦されるような気にさえなった。

 このままもう一度眠ってしまうのも気持ちいいだろうが、この高揚を無駄にはしたくなかった。茹だるような空気とともに布団を蹴り上げ、昨日見たカンフー映画の如く跳ね起きようとした。が、腰を強打するに終わった。


 私はふらふらと寝床から立ち上がり、寝起きの口のむにゃむにゃと戦いながら洗面所へと歩いた。足の裏に広がる冷たいフローリングの感触が、蒸された部屋の中での唯一の救いであった。


 洗面所でバシャバシャと顔を洗い、そのまま髪の毛まで濡らして乾かして強引に寝癖を直す。絞りすぎて捻れた歯磨き粉のチューブへさらに力を加えて最後の一絞り。歯を磨いた。

 ハサミでも持ってきてチューブを切ればさらに限界まで使い切ることができるのだろうが、寝起きの頭はそれを良しとしない。面倒くさいのだ。

 卓袱台の上に転がしておいた烏龍茶を手に取り、目覚め切らない握力で「ぱきり」とキャップを捻った。カラカラの喉へ温くなった茶を流し込む。


 一応のこと、日本の義務教育と高等教育を、惰性ではあるものの群れから逸脱することなくこなしてきた身としては──要するに、サボりを知らない人間はこの程度でも興奮冷めやらぬのだ。我ながら、童貞くさいと自嘲する。

 悪い遊びとまではいかないまでも、もう少し人生経験を積んでくるべきだったろうか。まさか、学校教育の線路から外れて悟ることがあったとは。


 意外と悪くないのかもしれない。いや、確実に良くはない。

 しかし、サボり方の一つも知らぬままに社会に出てしまっては、それはそれで不利益があるのではないだろうか。もしかすると、今まで馬鹿だと見下してきた連中の方が、世渡りの技術においては私よりも遥かに秀でているのではないか。


 ──それならば、煙草の一本くらい吸えた方が良いのかもしれない。


 今まで気付かずに捨てていた駄菓子の当たりくじを見つけたような気分だった。それは、一言で表すとすれば「もったいない」という感情であった。


 今まで私は、一体いくつの当たりくじを、包み紙とともに捨ててきた?


 こうしてはいられない。高揚は一気に煮立って焦燥へと変わった。

 思考中半開きだった口と烏龍茶のキャップを閉めて、私は立ち上がった。跳ね起きでこそなかったが、その勢いは昨日のカンフー映画に引けを取らないであろう。


 とにかく外へ出よう。本来ならば机に向かう時間、顔を上げて景色を眺めてみよう。そこから始めよう。

 すっきりと冴えた頭を抱えて、リュックにノートパソコンと筆記用具、財布とキーケースを突っ込んだ──おおっと危ない、こうやって家を出る前にキーケースをリュックに突っ込むから鍵をかけ忘れるのだ。


 スニーカーの踵を潰して履き、家を出ようとしたまさに瞬間。私の鼓膜は、大袈裟に手を叩いて笑うマダムの声を捉えた。近所でも有名なお喋り好きなマダムである。こんな時間に出会おうものならば、二時間は悠々と消し飛ばされるに違いない。


 派手に足払いを喰らった気分だ。ドアノブにかけていた手をゆっくりと離す。静かに後退り。スニーカーから飛び出したかかとに段ボール箱が当たった。

 届いたまま放ったらかしにしていた、実家からの仕送りの品々だ。そういえば朝食がまだだった。そんなことを思い出した途端、腹が鳴った。


 外の世界へと羽ばたくのは、また別の機会にしよう。


 私はスニーカーを脱ぎ、靴下までも脱ぎ捨ててダンボールを抱えた。ほとんど境目の曖昧な玄関からリビングへと戻り、仕送り品たちと対面する。

 米が三キロ、中華乾麺が二袋、缶詰がいくつか。玉手箱のそれであった。これだけの宝の山を放ったらかしにしていたのか、ストレスで一気に老いていきそうだ。


 乾麺にはタレが付いているようだった。備え付けのキッチンへと目を向ける。

 料理長のやる気を削いでやまない散らかり放題の流し台。即席モノのカップが散乱し、いくつも割り箸が詰め込まれている。食器らしい食器はマグカップくらいのものだった。


 私は反射的に目を細めながらひとつひとつ手掴みして、生協のビニール袋へと押し込んだ。長い長い戦いであった。袋の口を固結びして、ひとまず狭いベランダへとゴミたちを出す。

 新たなる生態系でも築かれていそうなほどの汚れ具合であったが、いざ手をつけてみると、その勝利はあっさりとしたものだった。


 私の怠惰な生活の地層を切り崩してみると、その下からはオレンジ色の食器用洗剤が発掘された。こんなものが我が家に存在していたのか。

 そう思うのも無理からぬ話だ。開封の痕跡こそあるものの、それは引っ越してきた当初に母親が片付けをして置いて行ったからであろう。私が使った記憶も事実もない。

 まさかこの食器用洗剤も、自分がハンドソープ代わりに使われるとは思っていなかっただろう。情けなさに頭が痒くなった。


 流し台の下を開けると、水道の管が大きく中央を縦断し、手鍋と平たく底の深い皿が数枚積んであった。初対面である。


 ここで気付く──水は出るのか?


 近所のコンビニでカップラーメンを買ってきた際は、その場で湯を入れて早足で帰ってくるものだから、我が家の蛇口を捻った記憶がない。

 風呂は近所の銭湯で済ませているから……


 手鍋を抱えたまま、古い壁紙としばらく睨めっこした。

 いや、大丈夫だ。トイレの水は流れているから、我が家のインフラは生きている。しかし、トイレの為だけに水道代を払っていたのかと思うと(私が支払っているわけではないが)無性にやるせなくなった。


 ──蛇口を捻る。出た。

 不自然に汚れていないコンロへと水を張った手鍋を置く。圧電素子から数回火花が散ったのち、ガスの匂いとともに青い火が点いた。全くもって使用してこなかったガス代に関しては言及しない。


 くつくつ、と沸騰する湯へ乾麺を入れる。どんな阿呆でも、ここまでの工程は説明書なしで到達できるであろう。心配されるのはここからだ。

 広くなった台所へ乾麺の袋を広げ、作り方を眺める。沸騰したお湯で一分半ほどほぐしてください、とのこと。なるほど、箸は?


 泡の立つ手鍋の中、麺が揺れる。


 流し台の下の扉を再び開く。もちろん無い。さては、先ほどベランダに出したゴミ袋の中ではないだろうか。

 それもそのはず、実家を出てから『自分の箸』が必要な状況というものに行き合ったことがない。同居人や睦じい女性がいないという切ない理由ではなく、コンビニにて毎回割り箸を貰って帰ってくるからである。私個人の消費で樹木を一、二本切り倒しているに違いない。


 泡の立つ手鍋の中、麺が揺れる。


 そうだ。この時間帯の食事のことは「あさごはん」と「おひるごはん」を掛け合わせて──あひるご飯としよう。ふと、そんなことを思いついた。

 なにゆえ、こんな緊急事態に限ってどうでもいいことに思考は逸れていくのか。素手で熱湯へ手を突っ込むわけにもいかないから、箸ないし代替品を探さなくてはならない。


 泡の立つ手鍋の中、麺が揺れる。


 狭い部屋に視線を巡らす。何か、何かないか。代わりになればそれでいい。流石にシャープペンシルはダメだ。卓袱台、買ってきた烏龍茶、それが入っていたビニール袋──

 不本意ながら、ビニール袋へ使わずに入っていた割り箸を見つけた瞬間の、私の瞬発力を例えるにはゴキブリが最も適当だろう。早かった。卓袱台へと駆け寄り、割り箸を取り出す。


 泡の立つ手鍋に揺蕩う中華麺を割り箸でほぐす。幸いにも、鍋底にくっつくようなことはなかった。一度火を止めればここまで焦ることはなかったのではないか、と事が過ぎてから冷静になる。

 

 作り方に記してあった時間分はおそらく茹でられているはずだ。茹で始めた時間を見ていなかったことに今更気づく。

 まあ、火が通っていればそれで問題あるまい。続いて踏むべき工程は湯切り。ザルがない。


 この部屋に引っ越してきた当初は、なんとなく形だけでも自炊しようと奮闘していたはず。その当時の自分は一体どうやっていたのだろうか。はっきりとは覚えていないが、今も昔も私ならば諦めている。


 蛇口を捻って水を出す。アルミ製のシンクをバタバタと落下する水流の下へ、麺の入った手鍋を持っていく。熱湯と冷水が混ざって白い湯気が立った。

 麺を冷水に曝している間に、手鍋と共に眠っていた平皿をシンク下の収納から取り出す。立ち上がると湯気は大方収まっていた。


 鍋の中で渦を作る、すっかりと冷えた麺の塊へ指を突っ込んでみる。適切だと思われるのは「にゅるり」という擬音。

 所々、冷え切らずに温いままの箇所があって、指の間へと絶妙な温度で抱き返してくるものだから、しばらく麺を揉んでいた。いつしか両手で揉み始めるほどには楽しかった。


 蛇口を固く絞る。きゅうと鳴った。

 水音と叩かれるアルミの音が止むと、日常に溶け込んでいた静寂が目新しく響いたような気がする。

 近所の騒音ならば、窓を閉じて耳を塞げば良い。しかし、静寂ばかりはどうしようもない。錆のような水道水の匂いと残響、ぴたぴたと水滴が垂れる。

 からん。

 風が吹いて外へと出したアルミ缶が崩れる音。ジィィと蛍光灯。


 わずかな時間であったが、自分は一応のこと生きているのだと実感した。


 歩き続けるからこそ、立ち止まることに違和を覚えるのであって、滞ったままでは何も感じない。回遊魚はこんな気持ちで泳いでいるのか。

 私が歩みを止めても、緩やかに回っていく。しかし潮の流れが凪いだとき、魚たちはどこへいくのだろう。


 耳鳴りと鼓動。息を吸って膨らむ腹、呑んだ唾が落ちていく。


 手を添えて鍋を傾けた。左手に麺がせき止められ、隙間から水が逃げていく。麺が数本落ちていった。拾うべきか一瞬迷って見なかったことにする。

 平皿へと麺をあけると、思っていたよりも多くの水が溜まった。右手を添えて皿から水分を落とす。付属していた傍らのタレを回しかけて、空になった袋を麺の入っていたビニールへと突っ込んだ。


 具は乗っていない。冷やし中華のパッケージとは随分と違っていることに、言葉にならない寂しさがあった。

 麺をほぐした割り箸を再利用し、流し台の前で平皿を持って立ったまま食べた。酢の匂いに遅れて麺がやってくる。


「ん、うまい」


 一人で作って一人で感想を述べる。普段、即席モノを食べた際に漏れる「おいしい」とは、ひとつ何かが違っているような気がした。気のせいだろう。

 麺が無くなった後、酸っぱいけれど何となくスープも飲んだ。初めて、勿体ないと純粋に思ったからかもしれない。


 すっかり空になった皿を流し台へと置いて、箸を重ねる。いただきますを忘れたから、ご馳走さまは口に出した。ほとんど吐息のような声にもならない音だった。



 AM11:58



 いつの間に──サボりの高揚感は、侘しさへと変わっていたのか。

 冷やし中華を食べる前は確か、外の世界へと赴いて机上ではできない経験に身を委ねようとしていたことを思い出した。

 そして、マダムの気配を察知して退避した流れだったはずだ。


 発掘された柑橘系の食器用洗剤で割り箸を含めた食器たちを洗い終え、平皿と鍋を流し台の傍らに伏せて、私は改めてスニーカーを履いた。


 特に意味はないが、リュックにノートパソコンと筆記用具、財布とキーケースを突っ込んだ──危ない。こうやって家を出る前にキーケースをリュックに突っ込むから鍵をかけ忘れるのだ。


 スニーカーの踵を潰して履き、玄関扉に鍵をかけて家を出る。カンカンとうるさい階段を降りて外の空気を深く吸った。

 人生こんな日があってもいいのだ。いつもならば、日本人らしい優柔不断さを発揮してマダムとの会話を打ちきれずにいるのだが、今日に限っては向こうが口を開く前に会釈で済ませることができた。



 私は、大きく一歩を踏み出した。──信号機は青だったはずだ。






AM??:??

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