第46話 面会

 倉本と一緒に逮捕された野村婦警は、事情聴取を受けた末に監察事案の対象となり、直ちに懲戒免職となった。

 更に監察事案では珍しく起訴処分となり、数々の機密情報や個人情報を反社会的勢力へ漏洩した罪で、求刑通り執行猶予なしの懲役ニ年という実刑判決が確定した。執行猶予なしは厳しい判決だったけれど、社会に与えた影響が極めて大きいことや、手口や経緯に情状酌量の余地が一切ないことを判断されての結果だった。

 倉本は同じく殺人未遂や逮捕監禁罪で起訴され、これは併合罪適用で量刑が重くなり、懲役八年の実刑判決となった。

 これで倉本はしばらく表へ出てこれなくなり、倉本組は若頭だった桜木が倉本の意思を汲んで組長へ就任、倉本は獄中でその世界を引退するという、業界では稀な展開となった。

 犯行内容が明らかで証拠も十分揃っていたこと、そして本人が起訴事実を認めていたことから、全てが逮捕後二ヶ月以内で確定した。つまりどちらも、二度目の公判で判決が言い渡されたのだ。

 判決確定後、倉本は拘置所から東京都の府中刑務所へ収監された。

 倉本が会ってくれる自信はなかったけれど、僕は佐伯と一緒に刑務所へ出向き倉本へ面会を求めた。自分たちは倉本の親族ではなく、しかも被害者側の人間であったため、面会は弁護士に骨を折ってもらうことで許可された。


 面会室でアクリル板の向こう側に倉本が姿を現したときには、流石に緊張した。

 受刑者服に身を包み、いつもポマードで固められていた髪は五分刈りで短くなっている。しかしその方が精悍せいかんで凄みが増していた。

 透明ボードの向こう側に座った彼は、いきなり「こんなふうになった俺を笑いにきたのか?」と、低い声で静かに言った。

 目付きは鋭く、そう言った口元が片側だけ僅かに上がる皮肉っぽい笑いを彼は見せた。

 倉本が本気でそんなことを言ったのではないと分かっていながら、僕は「違います」と即座に否定した。

「一度直接お話ししたかったんです。同級生たちがしでかしたことで、どうしても直接お詫びを言いたかったんです」

 彼は顔を歪ませて舌打ちした。

「いくら詫びてもらっても、和夫は生き返らない」

「その通りです。彼が生き返ることはありません。許してもらおうとも思っていません。あの事件がそんなに簡単なことではないくらい、理解しているつもりです」

 倉本はふてぶてしい態度のまま、どすの効いた低い声で言った。

「だったら、なんでわざわざこんなところへ来たんだ」

「それでもお詫びしたかったんです」

「ふん、お前の自己満足に付き合うほど暇じゃないと言いたいが、生憎ここでは時間が余るほどあるんだよな」

 彼はそう言って、また皮肉っぽい笑みを見せる。

「自己満足かもしれませんが、あなたの家族に関わることを許して頂きたい」

 倉本は意外そうな目をこちらに向けた。

「俺はもう、お前らに何もできない。つまり点数稼ぎなんてしなくていいんだ」

「点数稼ぎじゃありません。最初から言うようにお詫びです。あなたの母親が望むなら、僕たちは彼女をできるだけ助けたい。それを了承してもらいたいんです」

「あの人がいいんだったら俺は関係ない。好きにすればいい」

「ありがとうございます。もう一つお願いがあります。彼女が幸せになることを許して頂きたい」

 僕は佐伯の背中に手を添えた。

 倉本は突き刺すような視線を、佐伯にじっと向ける。それがしばらく続いた。妙な空白の時間だったけれど、倉本自身がその沈黙を破った。

「それもお前たちの勝手だと思うが」

「いや、あなたは彼女に、不幸になるのが嫌なら死ねと言いました。その言葉は僕たちの中でまだ生きています」

 付き添いの管理官が、死ねという言葉に反応して顔を上げる。

 倉本は落ち着いた態度を崩さず、ため息混じりの小さな笑いを漏らした。

「あんた意外に真面目なんだね。あんたみたいなのが和夫の友達だったら、あいつの人生も少しは変わったかもしれないな」

 ここで倉本は言葉を切り、俯いて少し黙り込んだ。何かを思案しているようにも見える。

「うちの母親がな、あんたたち二人のことをえらく褒めてたよ。母親の目が節穴でないことを祈ってるけどな。まあ、幸せになりたかったら好きにすればいい。俺はもうそんなことはどうでもよくなったんだ。もっとも、幸せになりたくても幸せになれるとは限らないけどな」

 倉本の言い方はぶっきらぼうでも、不思議ととげは感じられなかった。何かが吹っ切れたのか、自分が死んでも相手を追い詰めるといったかつての気迫は失せている。ヤクザの世界から足を洗うというのも、彼の復習への執着が消滅したせいかもしれない。

 僕は頭を下げて、「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。

「話はそれだけか? もしそうなら俺も作業があるんだ、面会はこれで勘弁してくれ」

 倉本が腰を上げかけたところで、僕は言った。

「済みません、もう一つだけお伝えしたいことがあります」

 倉本は露骨に眉間へ皺を寄せたけれど、渋々浮かした腰を椅子へ戻した。

「実は、篠原君の最後の言葉があるんです。僕たちも最近になってそのことを知りました。倉本三千代さんには伝えていません。おそらくこれは、見せない方がいいと思っています」

 僕がそう言って佐伯を促すと、倉本は怪訝な顔をする。

 佐伯は自分のハンドバックから一枚の紙を取り出し、それを倉本が見えるようにアクリル板へ貼り付けた。

 それを見た倉本の顔色が変わる。

 紙は篠原和夫が死ぬ直前に書いた手紙だったからだ。

 自筆だから、筆跡を見れば本物だということが分かるだろう。

 彼は海の家から紙とペンを借り、沖のブイへ泳ぐ前に手紙をしたため、それを瓶に入れて泳いだ先から海へ流していたのだ。

 それが長い間海を漂い、砂浜に打ち上げられて放置されていた。それを地元の小学生の女の子が拾い上げ、中身を母親に見せた。

 母親は手紙の内容を読み、直ぐ事の重大さに気付いた。そして手紙に書かれた名前を元に過去の新聞から篠原和夫の溺死を確認し、彼の最後のメッセージをそこに書かれた住所へ送付した。その手紙には、丁寧に拾った経緯も同封されていた。

 宛先は佐伯が以前住んでいた、白い瀟洒しょうしゃな豪邸の住所だった。

 あの豪邸は、既に人手へ渡っている。

 新しい住人は、佐伯家宛の手紙をいくつも受け取っていたのでさして気にも止めず、その手紙を机の引き出しにしまい込んだ。いつか渡す機会でもあればと、彼は手紙全てを保管していたのだ。

 先日東京へ帰る前、時間に余裕があったため、佐伯が前に住んでいた家がどうなったかを見たいと言った。そして何も変わらない以前の自宅を感慨深げに眺めているところを新しい主人に見つかり、前の住人で懐かしく思って家を眺めていたと正直に告げる羽目になった。

 すると主人は佐伯さんかい? と言って、それまで溜まっていた手紙の束を佐伯に渡してくれたのだ。

 多くは督促の手紙で、佐伯は手紙の束を困惑しながら受け取り東京へ持ち帰った。そしてアパートでようやく篠原の手紙に気付いて驚いたのだ。


 篠原和夫の手紙は、彼の遺書だった。

『この手紙を拾った方は、次の住所に住む佐伯加奈子さんへ、これを送付して下さい。

盛岡市○○○丁目○番○号


佐伯さん

 今日はたくさん話をしてくれてありがとう。本当に楽しかった。それに僕を庇ってくれたことも嬉しかった。

 でもごめんなさい。僕はもう疲れました。

 僕は死んで海に流されることにします。

 死にたい理由は今日のことだけではありません。最近気付けば、いつでも死に場所を探していたのです。

 たまたま今日、都合の良い死に場所を見つけたということです。幸い死ぬ前に、あなたとたくさん話もできました。もう思い残すことはありません。

 この手紙があなたの元へ届くかどうか分かりません。運が良ければ届くでしょうし、悪ければどこかのゴミに埋もれてしまうでしょう。

 でもどちらでもいいのです。僕はただ、自ら死を選んだことを不確かな方法でも誰かに残しておきたかったのです。

 こんな遺書の宛名をあなたにしてしまい済みません。

 しかし僕にとって、この最後の手紙の宛名はあなたが一番相応しいのです。

 最後の自分の我儘をお許し下さい。 

 篠原和夫』


 顔面を蒼白にし、時間が止まったようにアクリル板越しの手紙に釘付けになった倉田へ、僕は言った。

「これが真実だと思います。だからといって、自分たちは悪くないと言うつもりはありません。彼を海へ誘ったメンバーは日頃の行いも含めて確実に悪かったんです。ただあなたには、真実を知ってもらいたかった。彼の最後の言葉を知っておいて欲しかった。これをあなたへ知らせることに、何も意図はありません。これが彼女の手元に届いたことは奇跡的なことです。篠原君の執念が宿っているようにも思いました。だからこの手紙は僕たちが大切に保管しておきます。宛名が佐伯である以上、そうした方がいいと思います。僕たちの要件はこれで全てです」

 倉田は言葉を出せなかった。先程まで手紙の前で見開いていた目は閉じられ、握られた拳が小刻みに震えている。

「今日は会ってもらいありがとうございました」

 僕たちは立ち上がり、ドアの方へと歩き出した。その背中へ、倉本の声が届いた。

「新宿では済まなかったな。それと……、その手紙はおふくろに見せないでくれ」

 彼は半ば立ち上がって、アクリルボードに相変わらず険しい顔を近付けていた。険しいのに今にも泣きそうに見えることで、彼の胸のうちが理解できたような気がした。

「分かっています」

 僕たちはそんな倉本にもう一度深くお辞儀をし、その部屋を後にした。


 刑務所を後にすると、佐伯が僕の手を取った。いつも手を繋ぐわけではないから、彼女にも何か感じるものがあったのだろう。

 二人で手を繋いで歩きながら、僕は仙台で佐伯と出会ってから起こった様々なことを思い出していた。

 結局佐伯は何も悪くなかったのだ。それでも彼女は、辛い境遇によく耐えてきたものだ。

 そう思うと彼女の健気さが愛おしくなり、繋いだ手に思わず力が入る。

 それで彼女が僕を見た。

 彼女は、どうしたの? という顔をしている。

「ようやく終わった気がする」

 その言葉に佐伯はただ微笑んだ。

 しばらく歩いてから、今度は彼女が言った。

「ねえ、私のことは加奈子って、名前で呼んで欲しいの」

「え? 突然どうしたの?」

「だって佐伯、佐伯って、何か他人行儀じゃない」

 直ぐそこに武蔵野線の北府中駅が見えている。そこから西国分寺まで行き中央線に乗り換えれば中野は近い。

「それが希望ならそうするけど、何か恥ずかしいな」

「大丈夫よ、直ぐに慣れるから。ねえ、お願い、和也君」

 いきなり名前で呼ばれて、僕はやっぱり恥ずかしくなった。僕にとって佐伯はいつまでも女王様で、その人と下の名前で呼び合うことなど恐れ多いことなのだ。

「う、うん、頑張ってみるよ、か、加奈子」

「どうしてどもっちゃうのよ。普通に加奈子でいいじゃない。ほら、もう一回言ってみて」

「か、加奈子」

 佐伯は僕の様子に楽しそうに笑った。

「まあ、慣れるまで仕方ないか。ねえ和也君、今日はバイトをさぼってデートしようよ。夕食は外で食べよう」

「真面目な佐伯が珍しいね」

「また佐伯って言った。加奈子でしょ」

「ご、ごめん、でもさ、二人でさぼったら井上が怒るよ」

 佐伯は嬉しそうに微笑んでいた。

「大丈夫よ、新しい戦力が増えたんだから。ね、いいでしょう? 直ぐに井上くんへ連絡して。この時間に連絡したら、彼ならどうにでもするから」

 盛岡から後藤恭子が居酒屋に合流して三週間が経つ。もう店に慣れてきた頃だった。

 彼女と同棲していた新保は仙台に戻ったようだ。後藤は一緒に仙台へ来ないかと誘われたようだけれど、それをきっぱり断り、行き先を告げずに東京へ出てきたと言った。

 井上は、ヤクザ男との関係をきっぱり断ち、絶対に連絡を取り合わないという条件で彼女を受け入れた。そして陰で井上は、しばらくは自分たちの住所を彼女へ知られないように気をつけろと僕と佐伯に忠告した。

 しかし倉本組の連中も、僕たちの後ろにあの怖い一円連合がついていることを知っている。

 しかも事件が落着してから、坂田さんは大貫が率いる関西の佐川組に倉本組から手を引かせて大きな恩を売っているのだ。もっとも、陰でけしかけたのも坂田さんだけれど。

 倉本組の組長になった桜木は、再び高級和牛詰め合わせセットを持って、坂田さんの自宅へ挨拶に行ったというおまけまでついている。

 桜木は以前の非礼を詫び、佐川組への口利きで礼を述べていったようだ。そんな倉本組が自分たちにちょっかいを出すとは思えない。

 井上も同じ考えだけれど、念には念を入れてということだと彼はしれっと言った。

 その井上に今日は二人でバイトをさぼると連絡を入れたら、まあどうにかなるよと気のない返事だった。

「井上がね、二人がいなくても大丈夫だって」

 いつも感情を爆発させない佐伯が、珍しく「やったあ」とはしゃぐ。

 彼女の中にあったつっかえが、ようやく外れてくれたのかもしれない。

 中央線に乗り換えたところで、腹の虫が鳴った。夕食の前に昼食を考えなければならない。

 電車の中は静かで平穏だった。サラリーマンや学生がまばらに立っていて、各々が呆然と揺られている。

 混んでもいない電車の中で、僕たちはドアの近くに立っていた。佐伯は僕に身体をぴたりとつけて寄り添いながら、窓の外を流れる景色を眺めている。

 幸せになりたくても幸せになれるとは限らないという、倉本の言葉が頭の中で繰り返されていた。彼は自分や弟のことを言ったのかもしれない。あるいは彼の母親のことを示唆したのかもしれない。

 全くその通りだ。

 幸せになりたいと願うだけで幸せになれるなら世話はない。幸せになる努力をしても、それが第三者の手によって壊されることもある。

 しかし少なくとも佐伯が、幸せを目指す資格を取り戻したことは確かだ。

 幸せを築く努力をし、幸せが壊れたら修復すればいい。

 あとは自分たち次第ということだ。そう思うと手放しで喜ぶべきことではないのかもしれないが、可能性は広がっている。

 彼女を救いたいという願いは、一先ずクリアできた。

 この願いは、言い換えれば彼女を幸せにしたいということになる。そしてそのことは、変わらず自分の原点として生き続ける。いや、確信を持ってそうしたいと思っている。

 その願いの終結は、果てなく遠い先にあるのかもしれない。しかし原点を忘れなければ、人が道に迷うことはないはずだ。僕はもう一度それを肝に銘じる。

 僕たちはそれから意気揚々と、血を流して死にそうな目に遭った、思い出深い新宿へと繰り出した。

(了)

 





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ターミネーション 秋野大地 @akidai

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