脳内プロットは君とともに

傘木咲華

脳内プロットは君とともに

 もう、あれから何年の月日が流れたのだろう。

 顔に刻まれるしわは単なる加齢によるものなのか、それとも心の傷のせいなのか。真実を述べるのならばきっと、「どっちも」と答えるのが正解なのかも知れない。


 霧山きりやま秋一あきひとの職業は小説家だ。いや、小説家だった――と言った方が良いだろうか。あの出来事があってから、秋一は小説と向き合えない日々を送っている。Web連載のエッセイを書くのがやっとで、長らく自分の中の世界を物語に託せていない。

「脳内プロット、ねぇ……」

 今日は秋一の誕生日。

 年を取るだけで何でもない日のはずだったが、秋一の視線の先にはプレゼントが転がっていた。送り主は担当編集。正直プレゼントなんてとんでもない。「ブツ」と呼ぶ方がお似合いだろう。

「これを使ったら書けるようになる……という訳でもないだろうに」

 ぶつくさと文句を言いながらも、秋一はずっと避け続けていたブツを取り出す。見た目はVRゴーグルと何ら変わらないが、どうやらこれを使えばいつの間にかプロットが完成するらしい。そんな馬鹿なと一蹴しつつ、秋一はゴーグルを睨み付ける。

「まぁ、物は試しか」

 眉間にしわを寄せながらも、送り付けられてしまったのだから仕方ないと言わんばかりに呟く。暇つぶしにはなるだろう。そんな軽い気持ちで、秋一はゴーグルを装着した。


***


 真っ白い空間の中に、ぽつりと一人の少女が立っていた。

 黒髪のおさげの三つ編みに、銀縁眼鏡。身を包むセーラー服は、肌寒くなってきた今の季節に似合わず半袖だった。

 秋一は咄嗟に少女から視線を逸らし、

(何だ、俺は夏の話が書きたいのか……?)

 などと現実逃避をする。

 でも、違うのだ。本当は、少女の容姿に既視感を覚えている。頭が痛くなって何も考えたくなくなってしまい、よもや小説のプロットを考えるような状態ではない。

(は、はは……やっぱり、復帰なんて無理なんだよな……)

 秋一はため息を吐き、すぐさまゴーグルを外そうとした。

「おい、ちょっと待てよ」

 ――気のせいだろうか。

 目の前にいるのは気弱そうな少女だ。なのに、零れ落ちた口調は想像の斜め上を行く荒っぽさだった。始まってもいないのにキャラ崩壊が起こってしまったような、妙な感覚にとらわれる。もしかしてこれは、自分の頭が混乱しているせいなのだろうか。

「あんた、あたしの話を書いてくれるんじゃないのかよ?」

 少女は腰に手を当て、こちらを睨み付けてきた。やはり容姿はそっくりだ。睨まれても迫力がないタレ目がすべてを物語っている。

 秋一はしばらく唖然とした。思わず「お前を呼んだ覚えはないのだが」と言いたくなるが、ゴーグルを使ったのは秋一自身だ。「物は試し」とか言いながらも、心のどこかでは書けるようになるのを期待していた。その結果が、胸が痛むだけで何も変わらなかったという訳だ。

「悪かった。君を呼んだのはちょっとした間違いなんだ。このことは忘れてくれ」

 秋一は観念して頭を下げて、今度こそこの空間からログアウトしようとした。しかし、

「二〇二〇年の夏」

「……っ」

 急に発せられた少女の言葉に、秋一は一瞬で身動きが取れなくなる。

 何故。どうして。意味がわからなすぎて、秋一は錯乱する。いや、本当はわかるのだ。ここは秋一の頭の中。物語のプロットを作るための空間なのだから、目に見える光景はすべて秋一が考えていることだ。

 だからこそ、目を逸らしたくなってしまう。

「…………君があの日亡くなった娘の姿をしているのは、もしかして」

 少女の姿を見られないまま、秋一は恐る恐る訊ねる。

 やっと理解したのか。そう言わんばかりに、少女は眉間にしわを寄せる。

「ああ、そうだよ。つまり、あんたの頭の中は何年経ってもそいつのことでいっぱいだってことだ。ホント、迷惑な話だよ」

「…………」

 少女につられるように、秋一は自分の顔が強張るのを感じた。事情がわかったのなら、素直に身を引いてくれたって良いのに。自分の頭の中で構成されつつあるはずの少女は、秋一とまったく逆の感情を抱いている。

 やはりどうしたって、意味がわからない。

 ――だったら、知ろうとすれば良いのではないか?

「…………そう、か……」

 確かに、最初は「物は試し」だった。

 でも、秋一は少女のことが少しずつ気になり始めている。何故、この少女はこんなにも強気なのか。もしかしたらこれは、自分の中の奥深くに隠れていた感情なのではないか、と。いつの間にか、秋一の心には少女に期待する気持ちが芽生えていたのかも知れない。視線を合わせると、少女はニヤリと微笑んだ。


「そっちの事情は関係ない。あたしはあたしの道を行く」


 気付けば、少女の瞳は刺々しくなって、眼鏡も消えてなくなっていた。

 それだけではない。髪は燃えるような深紅に染まり、三つ編みも解けてポニーテールに。セーラー服は鎧に代わり、手には仰々しい大剣が握られている。心なしか、身長も高くなったように見えた。

 秋一は何度も瞬きをする。

 まるで、ファンタジー世界の人物のようだ。今まで手を出したことのないジャンルで、秋一は思わず笑ってしまう。まさかこの歳になって新しいジャンルに挑戦することになるとは。本当に、人生何が起こるかわからないものだ。

「一人で悲しみに閉じこもってても仕方ないだろ? だからあたしはヒーローになる。たくさんの人の救ってやる。そんで、ついでにあんたも救えたら一石二鳥……って、思わないか?」

 清々しい程の笑顔で、少女は言い放つ。

 秋一はただまっすぐ、少女を見つめ返すことしかできなかった。さっきからずっと、少女の言葉がぐるぐると回っている。

 ――そっちの事情は関係ない。あたしはあたしの道を行く。

 そう言われた瞬間から、心の震えが止まらなかった。決して、「この子は何を言っているんだ」という否定的な感情ではない。「俺は今まで何をしてきたんだ」という後悔の気持ち……と言った方が良いだろう。いつまでも悲しみに暮れている自分には、もう物語なんて書けない。書いたとしても、悲しい物語にしかならない。秋一はずっとそう思い込んできて、物語から逃げてきた。

 でも、そうじゃない。

 嬉しかったのだ。ヒーローになる。たくさんの人を救う。ポジティブな言葉が、眩しいくらいに秋一の心を突き刺してくる。

「お、おい。大丈夫かよ、おじさん」

「……俺はおじさんじゃない。まだ四十代だ」

「やっぱりおじさんじゃん」

 表情を隠すようにして俯く秋一の耳に、少女のケラケラとした笑い声が響き渡る。強引で、男勝りで、よく笑う。少女と接すれば接する程に、この子は主人公に相応しい子なのだと実感する。すでに心はわくわくしていた。こんな感情、いったい何年振りなのだろうか。

「君、名前は何て言うんだ」

「はぁ? そんなの作者のあんたが決めないでどうするんだよ」

「…………あぁ、そうか」

 秋一は辺りを見回し、小さく呟く。

 今はまだ、主人公の形が定まってきただけの何もない空間だ。相変わらずの真っ白空間で、少女以外の登場人物もいない。

 これから、決めていく必要があるのだ。

「で、どうすんの? やんのかやんないのか、どっち」

 現実離れした瑠璃色の瞳を向けながら、少女はやはりニヤリと笑う。


 秋一はずっと逃げてきた。

 忘れもしない、二〇二〇年の夏。あの日の出来事があってから、自分の殻に閉じこもって生きてきた。辛い。悲しい。ただそれだけが自分に溢れる気持ちだと思い込んでいた。

 ――救われたい。あわよくば、もう一度物語で人を救ってみたい。

 自分のことなのに吐き気がするような、キラキラとした感情だ。でも、もう止まれそうにはなかった。

 何の迷いもなく、秋一は言い放つ。


「君の物語を書かせてくれないか?」


 そこにはやっぱり、眩しいくらいに輝く少女の笑みがあった。



                                    了

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