九月になればきっと

小石原淳

九月になればきっと

 真夏の暑さがまだ残る夜七時過ぎ。参加人数わずかに三名、男ばかりのオンライン飲み会が始まっていた。

 三人は学生時代からの友達で、五十に差し掛かろうかという年齢。それぞれ会社員、自転車販売と修理、古本屋をやっている。

「うちはまだましだよ。閉めなくてもいいもん」

 自転車屋の斉田さいたが言った。

「三密になりにくいし、少ないながらも一定の需要がある。パンクして自転車屋に来たのにって閉じてたら困るだろうから」

「その点、こっちは完全に商売あがったりだ」

 古書店の福山ふくやまが言った。

「常連が来たときだけ開ける。大学の先生とかが定期的に来て、特定ジャンルの物を買って行くんだ。もちろん可能な限り窓や扉は開けきって、来るであろうお客さんに合った物をワゴンにきれいに並べて、店の前に出す。立ち読みお断り、手に取るのも買うときだけにしてくれと張り紙で頼んでる」

「苦労してんな。俺んとこは何があっても上が責任を取る」

 会社員の的辺まとべが言った。

「無論、先行きは不安だぜ。それに、俺がいなくても仕事はうまく行くなんてことになったらたまらん。テレワークだと若いのに後れを取ってる気がするし」

「責任は上と言ったって、もし感染したら本人がとやかく言われるんだろう?」

 尋ねる斉田は会社勤めの経験がない。

「恐らく。出社してる奴は感染しても言い訳が立つ。むしろ我が社のために身体を張るのは素晴らしい、となるかもしれん。テレワーク組が万が一にも感染したら滅茶苦茶に叩かれる。たるんでる、注意不足だってね」

「海外では、医療従事者とその家族が一般市民から攻撃されるなんて話も聞くが、その点日本はまだましと言えるな」

「どうだか。今度の新型コロナ渦の報道で俺が意外だったのは、いわゆるいい話ってのが案外少ないこと。有名人は色んな思惑も絡むだろうから除くとして、一般人のいい話となると、小さい子がマスクを手作りしたぐらいしか印象にない」

「言われてみれば。地震や台風といった災害時は、いい話がわんさかあふれていた印象がある」

 斉田が応じたあと、福山もしきりに頷いてから同調する。

「今は逆に悪い話の方が多くないか。自粛要請があってもどこ吹く風という店が一定の割合であるし、イベントも客を入れての開催がしばらく続いたし、デマは何種類も流れて実際に悪影響が出たし、旅行を取り止めない人が大勢いたようだし」

「旅行で思い出した」

 的辺が人差し指をぴんと立て、話の段取りを確認する風に何度か頷く。

「親戚の女の子、あいっていう小学生の話だ。クラスにライバル的な女子がいて、何かと張り合ってるんだな。そのライバルが去年、豪華客船の旅に出掛けたことを夏休み明けに自慢してきた。愛は悔しい~ってなって、親に頼み込んで春休みに似たようなクルーズ旅行をすることになって、行く前から自慢していたようなんだが」

「あ、感染症のせいで」

「旅行は中止。不可抗力だが愛にとっては自慢していた手前、恥ずかしい。しばらくは学校がなかったから顔を合わせずに済んでいたが、部分的に再開された。聞いた限りではライバルの子もひどいんだ。旅行が中止になったことを、『あんたみたいなのが豪華客船に乗ろうとするのが間違いの素よ』なんて言ったみたいで」

「えげつない。金持ちの子か?」

「愛ちゃん、怒ったろ」

「『そっちこそコロナに巻き込まれればよかったのに!』と言い返し、取っ組み合いの喧嘩に」

「うわ」

「とりあえず三密が守れん」

「今は一応仲直りしたとさ。でも冷戦状態ってやつだろうな」

 苦笑気味の笑いが広がったところでしばし静かになった。が、的辺がまた口を開いた。

「俺、正直言ってほっとした」

「何だいきなり」

「災害の度に報道があるじゃない。義援金や物資を贈ったり炊き出ししたり。ボランティアで片付けを手伝ったり。俺が自発的にやるとしたらせいぜい寄付だ。それも全然たいしたことない額。

 でも今度の感染症ではそういったいい話が少なく、悪い話の露出が多い。マスクの高額転売とか詐欺とか、亡くなった有名人の身内を騙るってのもあった。ボランティア精神の薄い俺なんかはほっとした訳だが、実態はどうなんだろうな。まじで悪い話の方が多いのか」

「俺らに聞いたって分からんよ」

「そうだな。分からないと言えば近頃の若い奴らと来たら」

「無理のあるつなぎ方をして、まーた始まったよ。お互い様だってのに」

 福山が自らの額を叩いた。だが当の的辺は止まらない。

「三月頃、格闘技の強行開催が批判されたろ。あれに対する批判的な意見をテレビで見ていたら、『イベントをやる会社なら病が流行ればこうなると分かっていたはず。危機に備えていなかったのが悪い。自業自得』ってな感じのことを言ってるのがいた。呆れたよ。対面客商売のほとんどが当てはまるんじゃないか? イベントとか関係ない。で、仕入れ等のつながりで対面客商売じゃない企業にも悪影響が出て、どんどん倒れる。全部の企業が自業自得だってか? 浅慮もたいがいにしろよ」

「気持ちは分かるが、その一人を若者代表みたいに扱うのは感心せんよ、的辺」

 斉田が意見すると、そこへ福山が割って入った。

「昔、珍しく新しい若い客が来たなと思ったら万引きされたことがあった。幸い、気付いてすぐ捕まえたが」

「ほらみろ」

 勝ち誇ったように言う的辺に対し、福山は「さてどうだろうね」と返す。

「今まで古本屋やって来て、万引きを何度か見付けた。比率で言えばわずかに若いのが多いけれども、5.5:4.5ぐらいじゃないかね。大差はない。それに捕まえた数イコール万引き客ではない。巧妙に商品をかすめ取って持ち去ることに成功している奴が何人かいる。そいつら全員、いい年した大人だって場合もないとは言えない」

「大人の方が知恵が働くから、隠し方や盗み方がより巧妙になるってか。うー、そこは認めてもいいが、やっぱり若い連中の方が俺には理解できない」

「だからそれは年齢だよ。自分がどのカテゴリに属すかで決まってくるもんさね」

「的辺はお子さんに手を焼いているんだっけ。その影響も受けてるんじゃないか?」

 斉田が意見を述べると、的辺は苦々しい表情を隠そうともせず、酒を一杯呷った。

「ご名答だよ。若い連中の何が分からないかって、我が息子の考えが一番分からんよ」

「前にもぼやいていたな。高三の夏だってのに進路をはっきり決められずにいるんだって? 遊びに行けないからストレスたまって、家庭菜園始めたとか」

「そうそう、それ。ぶっさいくなトウモロコシができたんだが、『癒やされるわ~』『見た目歯抜けのブスだけと甘っ』とかいってご満悦だよ。必死さが足りないんじゃないかと。そこそこ優秀なくせして、やりたいこと一つ決められないのは情けない」

「そう言ってやるなって。学校も異常事態なんだから」

「しかしだな異常事態だからこそ、本人が自覚を持って」

 的辺が力説を始めたところで、彼の携帯端末が音を立てた。画面を見ると電話だった。

「すまん、ちょい離脱する」

「ごゆっくり」

「どちらさん?」

「それが息子からだ。あいつ、家にいると思ってたのに、電話してくるってことは出掛けてるのか。ちゃんとした用事があってのことなんだろうな」

 ぶつくさ言いながらWebカメラの視界を外れ、部屋の隅っこに移動。こんな時刻にいい加減な理由で出歩いているのなら一発がつんと叱ってやる、と思惑を秘めつつ電話に出た。

「はいもしもし。晃良あきらか」

「そうだよ。昨日はごめん」

 いきなり謝られてもぴんと来ない。口論程度なら連日やっているが、昨日は謝られるような展開だったっけな?

「それよりおまえ、どこにいるんだ」

「どこって、家だよ」

「はあ? じゃあ何で電話してきた。直に会いに来い。顔を見るのも嫌か」

「父さん、落ち着いて。直に行けなかったのは、そっちが飲み会してるからだよ」

 その指摘に的辺は勇み足を恥じるも、己の非を完全には認めはしない。

「気遣うのもいいが、ちょっとした用事ならドアを開けて入って来りゃいいんだよ。そのくらい誰も気にせん」

「僕が気にするんだよ。姿が向こうに見えるじゃん。そういうの嫌なんだ。見られたら見られたで、無言で立ち去れないから、挨拶しなきゃ行けないって。もう、面倒臭い」

「そういうことでは大人になれんぞ――まあいい。二人を待たせてるから、用件を早く言いなさい」

「あ、進路決めた」

「何? ど、どう決めた」

 そのまま電話を切られるんじゃないかと心配になり、どもりながら引き留める。

「決めたばかりでどこの大学が合いそうかまではまだ絞れていない。農学部か園芸学部で、遺伝子研究の進んでいるところがいい」

「農学部ってまさか、トウモロコシを作ってみて決めたのか」

「ははは、それも関係ないとは言わないけど、違うよ。九月にきれいに咲く桜を産み出したいなと思ってさ」

「九月に桜だと?」

 息子の笑い声を聞くのが久しぶりでそれだけでも驚いたところへ、さらに九月に桜云々と聞かされて混乱した。

「どうしてそんな妙なことを」

「ほら、本決まりになったじゃんか。九月と言えば」

「……もしかして九月入学のことか」

「ああ。九月入学のニュースを聞いたとき、真っ先に思ったのが満開の桜並木の下を通って入学する光景が消えるんだな、惜しいなって。調べてみても、九月に満開になるような桜はないみたいだし、温度調節で開花時期をコントロールするのにも多額の費用が掛かる。ならば自分の手で作ってみようと思い付いた」

「……」

「ん? 父さん聞こえてるか。だめかな?」

「いいんじゃないか」

 そのあとも会話は少し続き、「母さんがほどほどにしてくださいねって言ってたぞ」と息子から忠告を受け取ったところで通話を終えた。

 若い連中も捨てたもんじゃない。

 的辺はにやにやを押し隠して、Webカメラの前に戻って腰を据えた。このあと、息子自慢をどう繰り広げようか考えながら。


 終

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九月になればきっと 小石原淳 @koIshiara-Jun

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