4. Say Goodbye to Mr.World

 車の止まる音で目が覚めた。


 支給された腕時計を見ると、横になってから五時間が経っていた。目頭を押さえて欠伸を噛み殺し、のそのそとテントから出る。

 テントは崩れかかった建物の中に張ってあった。元は銀行だったものだが今はただの瓦礫だ。寝ている間に地震でもあったら一気に崩れ落ちるだろう。幸い俺が寝ている間には起こらなかった。地震は最近、多い。


 湿った空気が頬を撫でる。外では雨が降っていた。放射能を含んだ雨は十年の年月でだいぶ薄くなってきているとはいえ、まだ有害だ。所々にできた雨漏りを慎重に避けながら、建物の中に止まっているジープに近寄る。

 中の男に交代の旨を伝えると、俺より頭ひとつ高い男は疲れきった顔を緩ませて、ライフルを渡した。暗視装置と狙撃用スコープが付いている、軍用ライフル。弾倉を確認してから受け取り、肩にかける。


「無線がいかれた。取り敢えず一旦、本部に戻ってくれ」

「了解」

「本部には今、客が来てるらしいぜ。何と元官房長官どのだ」

「へぇ、また女連れで観光か?」

 嫌味っぽく言った俺の言葉に男はにやりと笑った。

「七十歳を軽く超えてんのに、まだお国のために働いてくれてんだ。泣ける話じゃねえか」

「涙と一緒に反吐がでそうだよ」

「せいぜい尻尾を振っておいたらどうだ、彰文」

「冗談」


 吐き捨てるように言うと男は小気味よく笑った。そしてハンドルの上に挟んであった一枚の写真を抜き取り、片手を軽く振りさっきまで俺が仮眠していたテントに向かう。運転席に乗り込み、エンジンをかける。ガタが来ているのか、三回目でやっとかかった。ジジイを接待する金があるならこっちに回せといいたい。

 さっきのは、家族の写真だろう。あの災害で亡くなった彼の息子と妻。何度か一緒の仕事をしたことがある彼の境遇は、一度聞いたことがあった。珍しい話じゃない。ほとんどの者がそうだ。

 ジープを建物から出すと、すぐに雨の音が車内に響く。一面の瓦礫に囲まれた中の唯一の道を辿りながら、さっき見た夢を思い返す。もう何度となく見た夢だ。この六年間、何度も。


 あの後、俺たちは海に辿りつけなかった。





「世界は人間の手以外で、滅ぶものじゃないと思う」




 彼女は正しかった。そして彼女がしていた発想の逆転を、世界を回す人間もしていたのだ。

 彼らは考えた。世界が終わる前に、終わらせてしまえばいい。

 言葉にすると同じようだが前者は規模が制限できず、後者はできるというところが大きな違いだろうか。狂った話だ、いま思えば。しかし六年前はそうではなかった。世界規模で狂っていたのだ。

  あの日、世界中で同時に核爆発が起こった。つまりはそういうことだった。制限できる、予想できる範囲の崩壊を自作自演したのだ。そうは言ってもダメージは勿論かなりあった。

 落とされた水素爆弾は、そのほとんどが東京を含む各国家の首都。先進国では首都の他にも二つ、核ではないがミサイルによる爆撃地が選ばれ、発展途上国では最低一カ国にひとつの爆撃が行われたと聞いているが、実際は定かではない。情報の流通はあの日以降、もはや一部の人間らの間でしか行き来しないからだ。

 しかしおおよそは正しいのだろう。少なくとも前者は。東京の他に選ばれた二つの爆撃地の内、ひとつは俺たちの街だった。なぜ俺たちの街だったのかは、もはや知る由もない。特に重要性もなく、どこにでもあるような田舎だったからかもしれない。


 当初は、核よりもウイルスの方がその後の復興の手間が省けるのでは、という意見もあったらしい。確かにウイルスを使えば、少なくとも建造物の再築には手を掛けずに済む。

 候補として上がっていたのは、20世紀中盤に流行した天然痘や、コレラ。感染すれば百パーセント発症する病だ。世界崩壊前にはまだ、アメリカとロシアがそのウイルスを保存していた。WHOが撲滅宣言を出したときからワクチンは造られていないが、すでに治療法は確立している。適当な数の滅亡が演出できた後で、ワクチンをくばればいい。


 しかしながら、ひとつ問題があった。ウイルスの変貌についてへの懸念だ。ほんの少しの環境――温度や湿度、感染した者の遺伝的特質――などからウイルスが未知の、そして手に負えないものに変化する危険は充分に予想された。そんなことになれば本末転倒だ。

 可能な限りのスピードで研究は進められていたようだが、結局間に合わなかったらしい。そして最終的には手っ取り早い方法が取られた。

 つまりは、わかりやすい滅亡を。




 その後、世界は約二年ほど放射能と、大気に充満した放射線を多分に含む雨や塵などの降下物による被害に、表面状の機能を停止した。現在の人口はそれ以前の半分以下となっている。

 とはいえ、あれだけの崩壊に関わらずのこの結果は上々と言えるだろう。その後の対応も素早いものだった。当然だ。脚本も、監督も、役者すら、自作自演の三流SF映画なのだから。原作者は天上から、さぞがっかりしたことだろう。

 最低限の首都機能は事前に各地に移しておいたこともあり、被爆地に近い県では極めて迅速に市民のシェルターへの護送が行われた。医療品や食料は国が充分確保していたので、まず飢えで死ぬ者は殆ど居なかったし、軽度の被爆者の治療も迅速だった。


 あの日を生き残った人間の七割強は、その後も何とか生き延びている。俺を含めて。

 爆発のあと運良く生き残った俺はその後、復興作業を続ける軍に入り、今は瓦礫の山の東京に置かれた本部に居る。後遺症は残りながらも。


 俺の左腕はない。爆風に飛ばされて瓦礫の下敷きになったとき潰れ、そのまま切断したのだ。これじゃオリンピックどころか、犬掻きすら出来やしない。しかしどちらにせよ、俺が生きている間には水泳なんてすることはないだろう。海は汚染されているし、プールなんて贅沢な娯楽もここには無い。




 あの時。あの場所で、俺だけが助かったのはただ単にトイレに行ったからだった。

 先輩と拓郎が歩いてくる光景は、穏やかで眩しくて羨ましくて、それですぐ後ろの公衆トイレに入った。 少し気分を落ち着かせようと思っただけだった。そしてその後すぐに爆撃音が押し寄せた。いくら壁があったとはいえ、よく生き残ったと思う。半死だったが運があったとしか思えない。

 俺たちの街の被害は、もはや見る影もない東京やその他の都市に比べるとマシな方だった。被爆の恐れがなかっただけでもまだ良かった。それでも死傷者は、大勢でたのだ。


 果たして俺はツイてるのか?

 あの時死んだ連中の方がツイていないか?

 だってそうだろう、拓郎と先輩は今頃仲良く一緒に居るのだ。

 先輩は神を信じていなかったし、もはやあの世という概念すらあやふやな世界になってしまったが、俺はあの二人が一緒にいるのだろうと確信していた。先輩は好きな時にピアノを弾き、その足元に拓郎は犬のようにしゃがんでいる。そして気の向いたときにセックスでもしているに違いない。

 それに彼女はきっと神の存在を信じていた。

 たぶん、誰よりも誠実に。





 一旦ジープを止め、備え付けの灰皿を探ってまだ長めの煙草をつまんで火を点けた。左腕がないことに不便を覚えるのはこういうときだ。運転しながらほかの事ができない。



 ――百害あって一利無しって煙草のためにある言葉だろ。

 ――一利はあるぜ。ストレス解消。



 確かにそうだな、拓郎。これほど楽なストレス解消はないさ。百害はあるけどな。出来る事なら一生、手は出したくなかったもんだが、もう別に人生の残りに興味がないことを思えば問題はない。

 灰色の景色を眺めながら煙を吐き出した。口に咥えたまま、またジープを発進させる。ぼんやりと、モノクロの景色とガラスを打つ雨の音にまた意識が拡散していく。

 ある意味、これは賭けだったのだろう。全人類チップにした壮大な賭け。そして俺たちはそれに勝った。多大な損失と悲しみと、痛みとともに。

 神は、その後の裁きを下さなかったのだ。




――なんで神様は、人間に世界が終わる日を教えたんだろう。




 彼女の言葉を思い出す。今ならあのときよりもマシな答えを返せる。

 先輩、おそらく神様は試したかったんじゃないかと俺は思うんです。

 人間が滅びの瞬間にどうするのか。何を信じ、何を思って足掻くのか。

 それを試したかったんですよ。見たかった、とも言えるかもしれません。

 そして愚かにも自滅した俺たちを哀れんで、それ以上の裁きは下さなかった。

 俺はね、佐倉先輩。

 神様は最初から世界を終わらせる気なんてなかったんじゃないかと思うんです。

 だから神様にとっても、これは壮大な賭けだったんでしょう。

 冷や汗くらい掻いていたかもしれない。


 世界とは、と俺は考える。

 世界とは、繋がりだ。情報の繋がり、金の繋がり、人と想いの繋がり。

 確かに俺の世界はあの日終わった。

 大多数の人間にとっての世界は、あの日で終わったのだ。

 愛しい人間と共に。




 突然、地面が揺れた。

 急ブレーキをかけて、そのまましばらくじっとする。そんなに大きな地震じゃない。しかし終わった頃に遠くで瓦礫の崩れ落ちる、重量感のある音が響いた。テントの張っていた方向だ。

 ジープをまた発進させる。本部に進む道を辿りながら、あの建物が崩れたのかもしれないなと、他人事に思った。この辺で崩れることが出来る原型を保っているのは、あの元銀行の建物だけだ。咥えたままのフィルターを吸って、吐く。そして更にアクセルを踏んだ。

 そう、他人事だ。

 例えその下のテントが下敷きになっていようと、あの男が家族の写真と潰れていようと。


 世界崩壊の引き金を自ら引いた当時の政府―――それはすなわち現在の、とも言えるのだが―――僅かながらも叛意を抱く人々が居た。 レジスタンスとでも言うのだろうか、彼らはたびたびテロまがいの事件を起こし、現政府の手から指導権を人々に解放しようと世界規模で活動を続けている。

 軍の上層部から、さっきの男にスパイの容疑がかかっていると聞いたのは一昨日の事だ。証拠を掴むと同時に命令が下るのだろうと予想していたが、その手間も省けたかもしれない。


 俺はレジスタンス活動に興味は無かった。この疲れた世界で、なぜこれ以上疲れることをしなければならない? あの男がいま死にかけているとして、それはただ単に、あいつには運がなく、俺にはあったというだけの話だ。 あの日と同じように。あの日、俺だけが生き残り、二人が死んでしまったように。

 生き死にの話なんざ、そこら中に転がっている。誰だって自分が生きるので精一杯だ。

 その中で賢く生きていかなければならない。そんな時代になってしまった以上は。

 そうだろう? それが普通だ。



――アキフミは変わってるね。



 また、彼女の声が蘇る。

 しかし今度はもっと耳元で、まるで囁くように聞こえた。



「変わってるよ」



 全く、これだから初恋ってのは困る。俺も拓郎と同じ、彼女の忠犬だったらしい。

 短くなった煙草を窓から捨てハンドルを乱暴に回した。本部とは反対の一本道を進む。

 脳裏に浮かぶのはあの日の風景だ。


 青い空と緑の水田、そして赤いキャミソール。



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