拝啓、最後のキミへ
氷堂 凛
拝啓、最後のキミへ
「あと一週間かな、残りの時を大切にしな」
お医者さんは僕にそういった。俗にいう余命宣告というやつだ。
「そうですか……」
とうとう僕にもお迎えがくるのか、人生なんてアッという間だったな。
落ち込むわけでもなく、素直に受け入れられた、しかし横で彼女は泣いていた。
「そんな……宗ちゃん……」
彼女とは高校の時からの付き合いだ。今はお互い大学3回生。友人関係6年、内恋人関係3年の長い付き合いだ。
僕は、先生にお辞儀をして、彼女と病室へ戻った。
僕の病室は、個室で窓から綺麗に咲く桜の木が見える。今日のように晴れている日は、近くの公園で子供たちが元気に遊んでいる姿も伺える。そんな横で、彼女はまだ泣いていた。
「そう、落ち込まないでよ。僕は一週間でくたばったりはしないよ」
「だって、だって……」
ハァと、ため息をつく。そんな悲しい顔をしないでほしい。
「それよりさ、楽しい話をしようよ。そうだなぁ、高校時代の話なんてどうだい?」
返答は帰ってこない。
しばらく放置しておこう。と思って、僕はしばらく窓の外を眺めていた。
「どうだい。落ち着いたかい?」
彼女は目を腫らし、ヒックヒックとまるで小学生のように無様な姿をしている。
「ハハ、まるで君は変わらないね~。高校時代もすぐそうやって泣いていたよね」
彼女は、高校時代からよく泣いていた。部活の大会で負けた時、テストで欠点を取った時、そして、僕に告白されたとき。
「まぁまぁ。可愛い顔が台無しだよ?」
横でベッドに腰かけている彼女の顔に手を回す。そして、彼女の視線をこちらへ向けた。まだ、涙をこらえているのが分かる。でも、この宣告は彼女も計算済みだったはずだ。
僕は、大学2回生の冬、講義終わりに立ち上がった時、急な眩暈を感じ倒れた。その後、病院に搬送され、脳腫瘍が発見された。
手術不可能なほどに腫れあがった腫瘍は、僕の命の期限を決めた。
搬送された日、彼女は午後の講義をほっぽり出して、駆けつけてくれた。その時は、先は長くないとだけ言われ、明確な期日は言われなかった。
それでもまさか、あの日から三か月しかもたなかったなんてね……
「ねぇ、宗ちゃん……」
やっと、喋れるようになった彼女に返答する。
「なんだい?」
膝の上の彼女の拳は先ほどより強く握られたのが分かった。
「怖くないの?」
余命宣告をされた人間とは思えない程、落ちついた様子の僕をみてそう思うのは至極まともだろう。
「そりゃ、怖いさ」
もちろん、怖くないのかと聞かれたら、怖いに決まっている。死後の世界なんてどうなっているのか分からない。突然この世界から放りだされるんだ。
「寂しくないの?」
「寂しいかな……でも、あっちにはお母さんもいるし」
僕の母親は、高校生の時に他界した。早すぎる別れだった。
「私と会えなくなるんだよ?」
「そうだなぁ、それだけが心配かな……」
「心配?」
先ほどの泣いていた顔からは一変して、キョトンと頭の上にハテナマークをつけている。
「泣き虫さんがずーっと泣いて、僕の事を忘れなくて、一生独り身でいるんだぁ~!とか叫びださないか、心配で夜しか眠れないよ」
アハハと笑って、なんとか雰囲気をあかるくしようとする。
「私は泣き虫じゃないもん……それに宗ちゃん一筋なんだもん」
彼女が少し強がる。ほんとに変わらないな、この娘は。いつだって強がって、自分を苦しめるんだ。強がりな弱虫だよ。
「それは嬉しいね。でも、君は幸せにならなくちゃだめなんだよ」
「宗ちゃんを想えるだけで幸せだからいいんです!!」
彼女が腫らした顔でベーっと舌を出す。
「ハイハイっと、この後午後の講義があるんだろ?そろそろいきなよ。付き合ってくれてありがとうね」
「行かない。宗ちゃんといる」
ほんとにこの娘には困ったものだ。ポリポリと頭を掻く。
「行きなよ。僕はここにいる。でも教授は待ってくれないよ?」
「大学なんて知らない」
「ハァ。せっかく勉強して入った大学だろ?そんなんじゃ単位落としちまうぞ?」
「別にいいよ。単位なんて」
「もうわかったよ。好きにしろ」
彼女を説得するなんて無理な話だ。こんな頑固姫をどうこうできる技量は僕にはない。
そして、特に何を話すわけでもなく。時が過ぎた。
自分のリミットが近づいている。そう思うと、時間というのは速く流れる。
「さぁ、帰りなよ。そろそろ病院の面会時間も終わるころだ」
「うん……明日も来るね」
「負担のならない範囲でね」
彼女は最後に無理やり作った笑顔で手を振って、病室を出て行った。
「はぁ……一週間か……」
よるのとばりが落ちた外を眺め、そう呟いた。
翌日、彼女は面会時間の一番初めにきた。
「宗ちゃん~~!」
「今日はえらく元気だね」
「さ、楽しいお話をしようよ」
気を使ってくれてるんだな。その笑顔が僕は好きだ。
それから高校時代の想い出を振り返り、大学の教授の話、大好きなアーティストの話などとりとめのない話をした。
「やっぱり、宗ちゃんほど私と合う人はいないよ」
「奇遇だね、僕もそう思ったところだ」
昨日同様ベッドに腰かけている。横にいる彼女に僕はそっと抱き着いた。
「あったかい」
「そりゃそうだよ。僕はまだ生きてるんだから」
「そうだねアハハ」
彼女は楽しそうに笑う。僕もそれにつられて笑う。こんな日々がこれからも、ずっと、ずっと続けばいいのに。
そう思いつつも、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「そろそろ帰るね」
「うん、今日もありがとう」
「こちらこそ」
普通のカップルではしないような別れの挨拶を交わす。もしかしたら明日にはもう会えないかもしれない。そんな状態だから……
そして三日がたった。
彼女は毎日欠かさず、この病室に来た。大学をサボッているのはバレバレだが、言及しないことにしておく。
毎日通ってくれるほどの彼女を持つことができて僕は幸せ者だ。
「宗ちゃん~~!」
今日も彼女はきっちり面会開始の10時にきた。
「誰ですか~」
と敢えて窓から外を眺めたまま返答する。
「宗ちゃんの彼女の水沢瑞樹です♪」
「知らんな」
「ひっどーい!」
お互いにこらえきれなくなって笑ってしまう。
いつもの体勢になろうと、頭をあげ、ベッドからでようとすると、瑞樹が飛んできた。
「あの。一応病人なんですが……」
重い。
「それ以前に、宗ちゃんは私の恋人です」
そりゃそうだ。だが重い。女の子にこういうのもなんだが。
「今日はこうさせて」
甘えん坊な一面があるのは重々承知だが、それにしても異様というかなんというか。個人的には求められることはすごく嬉しいのだが。
「今日は何曜日だ?」
いろいろと意識しちゃいそうなので、話をズラす。
「金曜日だよ~病院生活でそこも分からなくなった?おバカさんだなぁ~」
「そっか、金曜日。あと48時間かぁ~」
先生に告げられたのは、月曜日だった。つまり僕の命は日曜日に尽きる。
「もうその話やめようよ」
悲しげに彼女が言う。これ以上言うと泣きだしそうなので、僕は話を切り上げた。
それから、いつも通りの雰囲気で、いつも通りの話をした。特別なことはしない。そうすれば、又明日もいつもと変わらない日になるから。
「ねぇ宗ちゃん。聖徳太子の奥さんの話知ってる」
「聖徳太子の奥さん?生憎理系学生なもんでね。文系さんよ教えてくださいな」
「知らないならいいや。私たちにそっくりだなってそう思っただけだよ」
「そっか……彼ほどの能力が僕にはないけどね」
そりゃそうだ。と彼女は笑った。
「さてと、また一日が終っちゃったね」
「まだ5時間ある」
「宗ちゃんといる時間以外は時間としての価値はないのです」
「そうですか」
彼女の時間を僕はどれだけ奪ってしまったのだろうか。罪深い男だな。
「じゃあね!宗ちゃん、大好きだよ!ありがとう!」
昨日の彼女とは違って、彼女の目には涙が浮かんでいた。
「うん。ありがとう。また明日」
手を振って、彼女は病室を出て行った。
最後の涙が、何かに引っかかって脳裏を走る。
窓の外から見える正面玄関を眺める。いつまでたっても、彼女の姿は確認できなかった。
「裏口から出たか」
なんとなく寂しくなったが、また明日会えると思い、19時というなんとも早い時間だが、僕は眠りについた。
翌日、元気のいい雀の鳴き声で僕は目覚めた。
「9時50分か……」
彼女がくるまであと10分。まだ寝ぼけている脳を起こし、看護師さんが運んできてくれていた朝食を手早く済ませる。
時刻は10時になった。しかし、彼女は現れなかった。
「そっか」
彼女が10時に来るなんて保証はどこにもない。どこかで、彼女は10時に僕のところに来る。という思い込みをしていた。
寝坊かな?寝坊だったら拗ねてやろう。
時計の針は10時30分を指した。
病室の扉が開く。
僕はわざと窓の外をみて、拗ねる素振りをみせる。
「誰ですか?」
「大河内です」
そこにいたのは彼女ではなく、担当の先生だった。
「先生でしたか、これは失礼」
「お気になさらず。それはそうと、一緒に来てくれませんか?」
そして、僕は後ろにいた看護師さんに声をかける。
「女の子がきたらこの病室で待つように伝えてください」
「彼女は来ないよ」
大河内先生から、断言される。
そっか、もう死ぬような人間には面会させられない。というわけか。
彼女とはもう会えないということか。最後に思いっきり話をしたかったな。そして、思いっきり笑いあって、抱き締めたかったな。
「そうですか」
ただ一言だけ大河内先生に返答した。
先生は僕を五階へ案内した。基本的に僕の検査は病室と同じ三階で行っていたので、初めて来る場所だった。
「先生ここは?」
僕と同じタイプの個室病室だった。
「名前を見てみなさい」
いわれるがまま、部屋番号の下の名前をみた。
『水沢 瑞樹 様』
「瑞樹?先生、彼女が入院って病人でもなったんですか?それとも、僕といつでも近い所にいたいという理由の我儘だったり?」
「残念ながらどちらも外れだ」
どちらでもないという事はどういうことだ?読めない。
「さぁ……入りなさい」
僕はドアをそっと開けた。
そこには彼女のお母さんが、深々と僕に頭を下げていた。一体何が起きているのか分からず不審に思いながらベッドへと視線を移した。
そしてベッドには、白い布が顔に被さった長い黒髪の女の子がいた。
「早朝ね。息を引き取ったよ。最後まで君の名前を呼んでいたよ」
大河内先生が僕に告げる。
「え?これは誰ですか」
「君の愛した人だよ」
理解ができない。彼女は昨日まで、僕の病室で楽しそうにしていた。
「二日前に、運ばれてきてね、その時にはもう遅かった」
「二日前に……」
二日前。それどころか昨日だって、普通だったじゃないか。そんな混乱している僕に向かって、彼女のお母さんは口を開いた。
「瑞樹は、ダメだというのに、ここ二日、わざわざお出かけ用の服を着てあなたの病室に通ったんです。宗ちゃんには心配かけたくないからって」
瑞樹が、この病室からわざわざ僕の病室に通ったというのか?
「そんな馬鹿な……」
「まさか、こんなことになるとは、思わなかったよ。君は大丈夫か?」
「はい……」
体調面ではまだ、あの世へ行く雰囲気はなかった。でも、心はもうすっかり生きる気力をなくしていた。
「瑞樹……どうして、どうして……」
涙が溢れてしまった。自分が彼女をこの世界に一人にしてしまうと思っていたのに、まったくの逆な立場となってしまった。今日彼女に伝えるはずだった感謝の言葉、そして最後の別れの言葉も伝えられないまま、別れだけが思わぬ方向で突然やってきた。どうして……どうして……
僕は冷たくなっている彼女を抱きよせた。自分の胸の音を聞かせるように。
「体に障るといけない。君も病室へ戻ろう」
放心状態になりながら、大河内先生に操られるがまま、彼女のお母さんへ頭を下げ、瑞樹と別れ、病室を後にした。
部屋に戻った僕は、泣いた。ただひたすら泣いた。彼女と過ごしていないこの時間はすごく長く感じられた。一週間くらい泣いた気がした。でも、彼女の死から初めての夜が訪れただけであった。
悲しさから逃れるように、彼女の事を思い出した。二日前なにを話したのか……そして昨日何を話したのか。
「聖徳太子……」
乱雑に放置されていたスマホで『聖徳太子 妃』と調べた。
「なんだよ。分かってたのかよ……そのことを、僕に伝えてたのかよ……」
聖徳太子の妃の一人で、その中でも一番愛した人である膳部菩岐々美郎女は、病に苦しむ聖徳太子を一生懸命看病し、彼の死ぬ前日に息を引き取った。そして、今は同じ墓に埋葬され、死後の世界で幸せな日々を送っているという。
そんな事実を知りながらも、僕は泣き疲れてそのまま眠りについた。
そして、僕に朝が訪れることは無かった。
「宗ちゃん!!先に待ってたよ!」
「まったく……大好きだ」
拝啓、最後のキミへ 氷堂 凛 @HyodoLin
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