かげろう

阿畑笑窪

かげろう

キスが嫌い




生理的に受け付けない、という訳ではない


それが彼氏でも、セフレでも、そうでなくても






「・・・で、また別れたわけ?」


「そう」




淡泊、というより無関心に近い言い方だった。まるで他人の話をしているように見えるが、つい先日まで仲睦まじく付き合っていたカップルが、こうもあっさりと破局している現状。


これに付け加えていうなら、『また』だ。




「でもさ、セックスまでしてるわけでしょ?仲だって良かったじゃん」


「はいはい、そうだよ」




声のボリューム下げて、と言わんばかりのジェスチャー。


確かに喫茶店で話す内容ではない。何だったらこの後自宅にいく予定だし、その場で聞いてもいいのだが。




まぁ、人間好き嫌いで生きているのだから、そういう行為までしている関係ってもう割と心のかなり近い部分にいると思うのだけれど。


人によって距離感って違うから、自分の価値観をはじめからこの子に指摘するのも気が引ける。




「あれか、また最中にキス嫌がったとかそういう感じ?」


「んー」




潔癖、という感性が分からないわけではない。好きな相手となら自分はするけど、好きでもその部分はできないって人は多いと思う。サークル内でも同じように男女関係を悩ましている女の子はいる。




「いや、したよ?」


「・・・あぁ、そうなんだ」




いや、したよ、じゃないが。


叫びたい衝動、ここが喫茶店でなく、大学のカフェテリアなら叫んでいたかもしれない。


良い感じに付き合って、セックスもして、キスもした。


いや、逆だったかもしれないけど、順番。




前はこの彼氏からのキスを頑なに嫌がったという理由で別れてるから、今回もそのレベルの話だと思っていた。だから、この返しは私からしてみればかなり衝撃的だった。




「え、キスしたんなら別れる理由とかなくない?なに、口臭いとかいっちゃったわけ?」


「そんな酷いこといわないよ」




それあんたがいうなよ。


どうしても心の中で叫んでしまう。割とそういう当たり前に酷いと思う感性はあるのだと、安心するべきなのだろうか。




ただ、それは楽観的な捉え方でしかなかった。




「煙草」


「タバコ?」




そうか、煙草かと納得した。確かに煙草を相手が吸っていたら、慣れていないとちょっと嫌なのかもしれない。ましてや潔癖っぽい子にはきついのだろう。




「煙草か~、私も高校の時の先輩吸ってたから、あれは慣れなかったな」


「そうなの、先輩が?」




「そうだよ、煙草の匂い制服につくし。そのせいで一回特別指導受けちゃったことあるんだよね、バカしたよホント」


「へぇー・・・そうなんだ。私も吸う時、気を付けよ」




「そうだよ、あんたも大学生だからって・・・」




あれ、なんか話が噛み合ってないような気がしたな。


目の前では悠長にアイスコーヒーを飲んでいる、目はくりくりとして無害そうな顔をしている。逆に今の私にはそれが恐ろしく見えてしまう。




「確認してもいい?」


「うん」




「煙草吸ってんの?」


「うん」




「いつから?」


「今彼と付き合った時だよ、あ、元彼か~」




いや、いいからそういう訂正。


というより、この子が煙草を吸っていて別れる理由が彼氏ではなく、この子だというのであれば、正しておくことが色々あるのではないか。


他人の価値観を否定するわけではないけれど、あまりにも話が見えてこない。




「正直、なんで別れたの、どっちから別れ切り出したの?」




少し前のめりの姿勢になってしまう。


喉も変に乾くし、頼んだアイスのカフェラテも若干水っぽくなっている。




「えーと、話は元彼むこうからかな。なんでキスした後すぐ煙草吸うの?って、臭いなら口臭治すし、キスが嫌ならしないよって。でも私が別にキスが嫌じゃないけどっていったら、なら煙草やめて欲しいんだって」


「だから、じゃあ別れよっかって感じ」




「・・・」




別れよっか、この一言はかなりきつい。それ以上に元彼そのこが可哀そう過ぎて仕方がないのだけれど、何か前世でやらかしたのか。あまりのも理不尽な理由に、同性であってもなかなか共感できない。


つまりは、相手からしたら受け入れられているはずなのに、目の前でその行為と好意を拒絶されているような、本当に好きなのか、好きでいて一緒にいるのか分からなくなってしまう。明らかに拒絶されるより、こっちのほうがよっぽど残酷な気がする。




「あー何というかさ、キスが嫌ならいつもみたいに初めから断っておいたほうが良くないかな。あんたがそれで今は良いのかもしれないけど、相手も嫌な思いするし、その内面倒なことになりかねないし」


「まぁ、そうだね」




分からないな、この子のこういうところ。多分分かってやってるんだろうけど。




「大体、キスした後すぐ煙草吸うってちょっと見た目的に危ない人よ?友達として、ちょっと距離感できちゃうわ」


「だって、着替えたら服に匂い付いちゃうじゃん、裸で吸ったほうがカッコよくない?」




その感性が謎だわ。




「あんた、出会った頃はまともだったのになぁ。どうしてこんなになっちゃったのかしら、トホホ・・・」


「えー、今でもまともだよ?」




どこからその言葉が出てくるのか謎でしかない。


友達付き合いは良いし、成績だって私より断然良い。性格も大人しそうに見えて明るく楽しいどこにでもいる、気持ちのいい友達だ。


普通の恋愛、私からしても何が正しいものなのかわからないけど、この子には普通に恋愛して欲しいと思ってしまう。


見ていて危なっかしいし。




「それにね、別にキスが嫌なわけじゃないよ」




まるで麻薬のような言葉だった。


そういうと残りのアイスコーヒーを飲もうと、グラスを大事そうに持ってストローを口に付ける。


何だかもったいぶるような仕草、男はこういう何気ないことでも可愛いって思うのだろう。


可愛いものほど、美しいものほど恐ろしいことを。


今、体感している。




「そうなの?今まで散々男と付き合うたび相談してきたじゃん、キスするのは嫌だって」


「そうだよ、でもキスする事が別に嫌なわけじゃないから今回はしてたんだよ」




何だか話が戻ってきているような、やっぱりこの子は不思議ちゃんだ。




「私はね」




「キスが嫌い、なの」




そうなのか、どういう事なんだろう。


最早、今までの話に意味があったのかさえ思えてしまう。カフェラテ代を請求したい気持ちで頭が一杯になってしまいそうだ。


ついに、無言になってしまった。私は何ていえばいいのだろうか。この子ってこんなにヘラってたっけ?




「あのさ、それってなにが違うの?」




最早呆れ半分で聞く。


そうだ、今更女子同士の話に中身なんて気にしていたらいけない。それは同性であってもそうだ、価値観が違うのだから。




「キスはしたいよ、でもちゃんと思うようにしてくれる人がいないの」


「それって皆下手だってこと?」




「んーそうじゃなくて」




どういう事だってばよ。




「初恋の味、覚えてる?」


「・・・」




初恋の、味。


今までにない答えずらい質問だった。それでも向かいの友達の表情は、真剣にこちらを見つめている。




「私はね、覚えてるんだ。別にその初恋の人じゃなきゃ嫌だってわけじゃないの。だから、今までもこれからも人と付き合ったらエッチもするし、キスもする」


「ただ、やっぱり違うんだよね」


「どうしても」




「そっか、難しいね」




恋愛観は人それぞれあると思うけど、これは俗にいう拗らせている考えだ。




「可笑しいとは思ってるんだけどね」


「なら、直す努力しなさいよ」




多分、この子は引きずってるんだろうな。


いつの初恋か、それを聞くのが正解なのだろうけど。




「そうだね・・・」




なんて、困ったようにはにかんで笑うんだ。


変わらない、笑顔で。




「初恋って、そんなに良いものだった?」




意地の悪い質問だろうか、あれだけ悩んでいる相手に。


初恋それじゃなくてもいい、そんな建前を置く相手に。




「まぁ」




ストローの口は噛む癖、グラスにはもう氷が溶けてるだけで、それ以上コーヒーはないのに。




「ずっと特別なもの、だと思う」


「・・・そっか」




最初っから質問も、それに対する回答も、はっきり言って要らないぐらいの堂々巡りのお話だ。


他人から見れば呆れてものもいえない、そんなレベル。




「最近、どこの喫茶店も分煙しているところないよね」


「知らないの?今じゃどこの建物いってもないんだよ、条例で」




肩身の狭い、若者がいう事でもないか。




「知ってるよ、そんなこと」


「なんだ、聞かないでもいいじゃん」




軽くあしらわれて顔を少し膨らませる。


窓から差し込んできた夕日に、目が若干細くなる。


講義が終わってから、もう夕方だ。




「煙草吸ってる人間からしたら不便でしょうがないね」


「ふふ、キスした時だけだよ」




なるほど、持ちネタにする分には中々面白い切り返しだった。




「それに、吸ってる人の言い方だよ、それじゃ」




お互いに会計を済ませようとレジに並ぶ。財布を取りだす前に、ちらっとそれを彼女に見せる。




「―――――――――」




それを一瞬だけ凝視すると、こっちの顔も見ずにレジに直った。




『¥660になります』




「まだ、吸ってたんだね」


「そういうこと。自由に吸えるのは、我が家だけってこと」




会計を済ませ、喫茶店を出る。ここは自宅からも近く、のんびりと家路に向かう。




「ま、課題はまだ余裕ありそうだし。ご飯でも食べて、ゆっくりしてけばいいよ」


「う、うん。ありがと」




「今日は煙草持ってきてる?」


「いや・・・ないけど」




夕焼けに染まるマンションが見える。


真っ赤に燃えるようで、世界全体が染められていく。




「今日は、いらないよ」

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