そうやって、笑ってよ。

@sssss_

第1話 出会い

『 彼女は僕にとって ファム・ファタール の様な存在だった。ファム・ファタールは『運命の女』 『魔性の女』 という意味で使われる。どちらにも彼女は当てはまっていた。

名前を、仲澤咲子 という。初めてその名前を知った時、存外、平凡だなと思った。

彼女は作家を職業としていて、作家というものは派手な名前ばかりだと勘違いしていたのだ。

僕はあまり本を読まない性分だから、偏見によるイメージを持っていたことを謝りたい。


僕と彼女は何年にもわたる知り合いだが、まだ、友達という関係のまま。『運命の女』なのに?というような質問は控えて欲しい。

今から説明するよ。


彼女と出会ったのは今から何年も前の、冬の日だった。出会った、と言うより、話した、という表現の方があっているのかもしれない。

僕がまだ高校三年生の頃、通学途中の横断歩道で毎日毎日彼女とすれ違っていた。彼女もこの時既に僕のことを認知していただろう。

僕は一目見た時から運命の相手だと思っていた。しかし、この時まだファム・ファタールという言葉を知らないもんだから、それを彼女に当てはめていなかった。

運命の相手というものは、話さなくてもわかるんだな。そんな感覚だった。

初めて話した日は珍しく人通りが多かった気がする。冬でもポカポカした日で、そんな太陽の暖かさが人々を歩かせているんだろう。人の隙間を縫うようにして歩き、それがとても億劫で、下を向いていた。そのせいで、いや、そのおかげで彼女とぶつかったのだ。見えない赤い糸でも手繰り寄せたように。と、そんな馬鹿なことを考えた。

彼女の持っていた紙袋が地面に落ちて、中に入っていた物が飛び出る。人々はそれを避けるように、心底邪魔そうにして歩を進めていた。久々に冷たい視線だった。

「いや、あ、す、すみません。大丈夫ですか?」

僕は内心、色々なことに戸惑いながら謝る。初めて話すのが、こんな場面だなんて、とは思いつつ、こういうきっかけがない限り話す勇気もない。

「大丈夫です。その、こちらこそすみません。不注意で……」

飛び出た物を拾いながら彼女は答えた。僕も慌てて手伝う。よくよく見るとそれは原稿用紙と筆箱。

紙というものは拾いにくくはあるが、今の現状、いくつかにまとめられていて、そう時間はかからなかった。少し残念。

今更思うことだが、この時から彼女は作家を目指していたんだと気がついた。

「拾って頂いてありがとうございます……」

マフラーから覗く小さな口から発せられる、丁寧な言葉遣い。

「いえ、そんな。僕も悪いので」

この時、話してみて、運命の相手だと確信していた。けれど勇気と自信が無い僕は「では……」と早々に立ち去ろうとした。その時だった。

「あ、の、い、いつもこの道……通ってます、よね?」

「えっ」

変な声と同時に固まってしまう。彼女は少し照れ気味に、途切れ途切れにそう言ったのだ。

そう話しかけられたことが嬉しいと共に、僕から話しかけないでどうするんだという意地が、今更出てきた。

「そう、です。僕も気づいてました」

はっきりと、言ってやった。ずっとひっくり返されなかった、動かなかった砂時計が今、からりと音を立てた気がした。

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