最近読んだネット小説のおすすめ5作品をつらつらと語るだけ
『メルカトルワールド』 作者 ドラ・焼キ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893730329
『14. 正しくなれない②:ローナの堪忍袋の緒』読了。人間関係の不和が先立ち過ぎて、もはや実地試験どころではない気がしてきた。
前々から感じていたことですが、ドラ・焼キさんはキャラの書き分けも然ることながら性別の書き分けが巧い。特にツイッターで引用した部分は、紛うことなき男あるあるである。やや言葉遊びめいた表現だけれど、男と女が揉めているときは本当に男と女が揉めているし、女と女が揉めているときは本当に女と女が揉めているのである。
この手の異世界ファンタジーでこういった対人関係の不和にフォーカスする展開は、ともすれば「早く話を進めてくれ」と外野からツッコミを受けそうなものなのだけれど、件の作品の場合、むしろこれでガンガン進んでいる──と私は思うので。
そういったところも含めて、つよい。
性別の書き分けと云えば以前にこんな回を書いているので、ご興味のある方はどうぞ。
男女の書き分けが難しいとお嘆きのあなたを救いたい①【進化心理学】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054898064125
『電動骨董紙。―エレクトリックパピルス・オンライン―』 作者 五水井ラグ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054935889518
『1-03.』読了。本降りに至るまで、ある程度行儀よく雲行きが怪しくなるのだろうな──と勝手に踏んでいたら、スコールに晒された。でもって、ひたひたしている。そんな読後感。
何故に「ある程度行儀よく雲行きが怪しくなる」と踏んだのかと訊かれたら、単純に連載小説だったので。短編という形式ならまだしも。タグにある「毒親」「虐待」といった要素はじわじわ小出しにされてゆくのだろうなぁ──と。かと思えば『1-03.』にして、早くも堰を切る様が描かれたわけで。それゆえ、「もうこれを書いてしまうのか」と惹きつけられるものがありました。
『ストロベリーポップキャンディー。』を読んだときから思っていたのだけれど、荒れ模様が似合う作家さんだと思う。「雨を表現するのが巧いよね」とかそういう月並みなニュアンスとはまた違って、荒れ模様が似合う。解釈は任せる。
『死霊』 作者 辰井圭斗
https://kakuyomu.jp/works/16816452219728218771
十代の頃戦っていた敵は何か──と問われたら、言語化は可能だし、なんなら今そういうテイストの話を書いているのだけれど。
それでもやはりこの年になると、あの頃何と戦っていたのかなんて「よくわかんねぇ」のである。わりかし詳細に憶えている方だとは思うのだけれど、あくまで解った気がしているだけに留まると云うか。
よって、創作世界の十代が「よくわかんねぇ敵」と戦いがち(というより戦わされがち)なのはある種宿命だったりする。
余談だが、拙作『黒ノ都』は青少年が「よくわかんねぇ敵」に存在を脅かされるからこそ面白いのであって、敵の素性がオープンになったら途端に陳腐化するのでは? と戦々恐々している。
『黒ノ都』 作者 姫乃 只紫
https://kakuyomu.jp/works/1177354054919328175
脱線御免。
港田くんがあそこでバグらなければ、「テストオワったわ」と笑えるような人間なら、それは果たして今しなければならない質問なのかと自問しつつ、あれは鹿山がやったのか、どうやっているのかと聞ける人間だったら(そして鹿山さんが美人で、テスト当日に英単語を詰め込まなくても済むタイプの人間だったら)。あるいは何かが変わったのかもしれないけれど、そのいずれかがクリアできた時点で、それはもう港田くんと鹿山さんではないと思うので。この二人だからこそ、漕ぎつけたエンディング感はある。
そう考えると、特別“らしい”要素がなくたって人は誰でも主人公になれる! というすこぶるポジティブなメッセージを含んだ作品に思えてきたのですが、いかがか。
『コンビニとルーティン』 作者 山田湖
https://kakuyomu.jp/works/1177354054919301361
当初「同じような感じがした」からとはいえ、一度コンビニで顔を合わせたことのある相手にここまで云いづらい情報を開示できるだろうか──とやや違和を覚えたものの、その点については他ならぬ“俺”も「転んだか自転車か車とぶつかったといった答えが返ってくるかと思った」といった反応を予想しており、それを裏切られる形と相成ったわけなので。
“俺”にとって女子高生の「他とは違う感」が増した、まさにボーイミーツガール的話運びだなぁと(考えてみれば今後顔を合わせる機会があるかどうか、確証の持てない相手だからこそ打ち明けられる胸の内──というのもあるでしょうて)。
とどのつまりは、良きボーイミーツガールだったと云いたい。
劇中、あくまで“俺”と女子高生は「お互いの名前も知らない関係」を貫き、そこに恋愛感情が介在しているかどうかは読者に委ねる──という幕引きだったのだけれど。
“俺”と女子高生の関係を「希望と行動によって結ばれた人たち」と捉えた読者もいれば、飛躍して「愛によって結ばれた人たち」と捉えた読者もいるかもわからんし、その解釈を委ねるというスタンスをアンドレ・マルローの名言に忍ばせるあたり粋だなぁなどと思った。
『首吊りいふか』 作者 辰井圭斗
https://kakuyomu.jp/works/16816452219155939800
『最終話』読了。以下、感想──というより、ほぼほぼ独りごととしてさらり流してもらえたらこれ幸い。
「たった一人に喜んでもらうために書くのはお遊びで、たくさんの人に喜んでもらいたくて書くのは遊びじゃない」みたいな台詞を某自作で書いたのだけれど。
「書きたいものを書く」ではなく「本当は然して面白いとも思っていないが、需要があるから書く」というスタンス、至極賢明だとは思う反面、それを“助言”として口外し出すと途端にダサくなるよなぁと。
自分はまだ本気でしてないだけ、真に書きたいものを書いたら皆が目を
そう考えると、私書きたいものを書いてますと前面に押し出すスタイルってある意味その逃げ口上を断ってると云えるのかもなぁと。だから──この云い方はちょっとアレなのだけれど「書きたいものを書く」ってそこに評価されるされないという微々たる違いはあれど「自分はこれと共に死ぬ」というある種の決意表明なのかもなどと思った。
とどのつまり、かっこいいものを書くなぁ──と読み終わって思った。
何遍か読み返してみたけど、伝えたい言葉としてはそれで足りるかなと。
「フローリングの床を成人男子の重みが移動してきて」とか「深夜の最後の空気」とか、ひたすら独自性にフォーカスした描写から漂う「未踏の地にたどり着きたい感」が好き。
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