フィクションで「怖い人」を描くとき気を付けていること

 以前「#RTした人の小説を読みにいく」をきっかけにとあるノワール小説を読ませていただいたのですが──ぶっちゃけ何か惜しかったのである。ただ、何か惜しかったで締めくくってしまうのはあまりにも投げやりというか進歩がないので。具体的にどこをどう惜しいと感じたのかを再考してみる次第。

 

 件の作品の「怖い人」、間違いなく現実にいたら「怖い人」なのである。


 それはそう、平然と人の感覚器官を潰す輩なんて身近にいたらとてつもなく怖い。ただ、どうも「現実の怖い人」と「架空の怖い人」は必ずしもイコールではない気がする。

 たとえば、現実の怖い人をイメージしたとき真っ先に浮かんでくるのは、こちらに直接的な危害を加えてくる人物である。暴力イズジャスティス。兎にも角にも話が通じず力が強い。人間、生きてゆく以上痛いのは避けたい(マゾはマゾでも限度はある)ので、できることならお近づきにはなりたくない次第。


 ところが、架空の怖い人としてこの暴力イズジャスティスタイプが登場したとき、はたして怖いかと云われるとぶっちゃけそうでもない。


 いや、そうでもないは流石に云い過ぎなのですが(笑)

 兎角このタイプを「怖い人」としてプロデュースするのは案外難しかったりする。所詮媒体越しなので、読者が「うわぁコイツ厭だなぁ」と多少の嫌悪感を覚えるくらいのことはあっても、直接的な被害を受けたりはしないので。

 それゆえ、このタイプを作中屈指の「怖い人」として扱う際は、魅せ方が要求されるよなーと甚だ思う(正直、インテリヤクザ系はそこそこ手を抜いても何やら魅力的と云うか、怖い人の鑑みたくなってしまう気がする)。件の作品を惜しいと感じたのもキャラに欠陥があるというより、魅せ方に問題があったのではないかなぁと。


 出会って即平然と人体の急所を破壊するような輩がリアルにいたら怖いのは当たり前だが、ことフィクションとなると魅せ方によっては"萎える"のである。


 改めて「怖い人」を演出するって難しいよねーと思い知った次第。


 10『Xocolatl』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054919328175/episodes/16816452219067312069 


 ところで、姫乃只紫作品に頻出する「怖い人」は大体マニピュレータータイプ──常時顔色を窺うことを要求されるタイプである。

 視点人物(主人公)に対して振るう暴力(無論身体的以外のそれらを含む)は最小限であり、むしろ視点人物は寵愛されがち。基本周りがの人の暴力の捌け口を担うのだが──ふとした瞬間に自分に対しても優しさが消える。沸点が低いのではなく、逆鱗の在り処が掴めない。だから、常時顔色を窺わなければならない。でもって、人間というのは接触する回数──観察する回数が多い対象に、良くも悪くも心囚われてしまうので。いつの間にか彼の人のご機嫌をうかがうことが、ご機嫌を損ねないことが生きがいになっている──みたいな。

 俗に云うDVパートナーによくいるタイプ。自分にはメチャクチャ優しいけど、お店の人やタクシーの運転手にはやたらと高圧的──みたいなパートナーには注意されたし。その矛先はいつかほぼ確実にあなたの方を向くので。


 自分は「怖い人」を描くときこういうことに気をつけているよーという拘りをお持ちの方は、よければコメント頂けると幸いにござい。


 今回はそんな感じ。ではまた~。

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