|境界域| 『手記』

【作品情報】

『手記』 作者 私は柴犬になりたい

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054921777298


【紹介文】

 なし


 相も変わらず、一体どこを歩かせるのかと思う(褒め言葉)。

『ミステリーの書き方』にて、伊坂幸太郎先生が「ドアを開けたら象がいた」みたいな冒頭より「五丁目のコンビニから『ロード・オブ・ザ・リング』の世界に入っていく」みたいな冒頭の方が僕は好き──という感じの話をしている。「現実と奇抜な設定が、いつの間にか溶けて混じり合って、しかも自然だったらいいな」とのこと。


 伊坂幸太郎先生の「書き出し考」については、以下の記事でも触れております👇


 可惜夜にあなた お誂え向きですね 『希う』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054913437262


 件の作品、たとえるなら右半身が五丁目のコンビニにあって、左半身は『ロード・オブ・ザ・リング』の世界にある。


 いや、自分でも何を書いているのかよくわからんのですが──。とどのつまり、読者は「境界域」を歩むことになる。

「境界域」という言葉がピンとこない方のために説明させていただきますと、たとえばあなたの目の前に一枚の白紙があったとして。私が、その紙面に線を引いたとしましょう。この分割線が「境界」を創り出す線となります。


 加えて、紙面上に引かれたそれが幅のある太い線であったならば、二つの領域の間には境界としての領域、すなわち「境界域」が創り出されるのでござい。


 だから、いつの間にか現実からほど遠い、どこかへ迷い込んじゃったね──というよりは、終始あちら側でもこちら側でもない場所を歩かせられ(しかもその"白線"を外れることはそう難しくない。むしろ容易いのだ)、終点についた読者は来た道を振り返り、「はて、私はどこを歩いていたのか」と首を傾げる。


 そんな──読後感に浸るのである。


 蛇足。思えば「私は柴犬になりたい」というHNがすでに境界を彷彿させる。


 これは文化人類学者・山口昌男氏の境界考だが、「人間とその他の動物との区別は、人間と動物の双方の属性を帯びたものの排除やしるしづけによって成立する。したがって、そうした属性を帯びた人間あるいは動物が両者の『境界』を物語ることになる」とのこと。


 件の作品はおろか、何よりも作者自身が「境界」を体現している──?(ナ、ナンダッテー!)

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