文字で描いたタンカ 『波羅蜜』

【作品情報】

『波羅蜜』 作者 私は柴犬になりたい

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054934874452


【紹介文】

 なし


 カメレオン俳優ならぬカメレオン作家だな──とつくづく思いまして。


 書き出して早々他の作品に触れるのも何ですが、たとえば同作者の『蔦と宿木は絡み合う』──あちらで用いられている表現は、"当時"のエス小説なのですよ。


「廊下のワックスの匂い」なんてまさにそれで、実際少女小説をお読みになったことのある方ならお分かりでしょうが、「そんなところ書きます?」と云いたくなるくらい些末に言及するのですよ。

 この点に関して「かつての文芸家は現代人より感覚が繊細だったんやろうなぁ」と捉える人が偶におりますが、個人的には今みたく手軽に書いた文字を消せない=走り出した物語を迂闊に引っ込められないという背景も少なからずあったのではないかなぁ──というふうに思うております。異論は認める。


 さて、次いで触れますのは同作者による『あなたとわたしの時間が止まるまでは』なのですが──こちらで用いれている表現の数々は、まさしく"現代"の百合小説なのですよ。


 夏に聴きたくなるJ-POPの歌詞なのですよ。

 

 たとえるなら作品毎にあらかじめ使うことのできる絵具が決まっていて、それのみを頼りに作品を描きあげているような、そんなストイックさをひしひしと感じるのです。


 件の作品、「白魚の指」という表現が挿し込まれているのですが、これには私控えめに云って舌を大車輪させまして(舌を巻くの最上級くらいの解釈でお願いします)。と云いますのも、お読みになっている皆々様にお尋ねしたいのですが、「白魚の指」という表現──使うことに抵抗覚えません?

 あまりにも、手垢に塗れているじゃあありませんか。

 そう、ベタな表現って使うのに勇気が要るのですよ。私なら、怖くてまず手をつけません。もちろんその辺りが些か鈍ければ、挿し入れること自体は甚だ容易でしょうが、その場合「白魚の指」は概して浮きがちなのですよ。

 ところが──ところがですね。

 件の作品における「白魚の指」はまさしく到彼岸を彩るひとひらなのですよ。読み手に何ら違和を与えることなく、ただタンカの如き絢爛さを彩なすひと筆としてそこにあるのですよ。


 だから、これは文字で描いたタンカ。


 目に痛いほど鮮やかで、なまなましい彼方。

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