キュンとするもの(芽を摘まない気勢) 『赤ずきんか狼か。』

【作品情報】

『赤ずきんか狼か。』 作者 縋 十夏

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054919158259


【紹介文】

 森には悪い狼が住んでいて。

 悪いことをしたらその狼に連れていかれてしまうのよ、とは子どもに語り聞かせる常套句。

 なんて、幸せそうな家族なんだろう。手を繋いで、あんなにも楽しそうな笑顔をうかべていて。

 きっとあの子は空腹を知らない。

 きっとあの子は哀しみを知らない。

 嗚呼、どうかあの子がこれからもそうあり続けますように。そうあってくれますように。

 星の瞬く夜。少女は祈りを捧げる。


 なまじ物書き歴だけが徒に長くなると、芽を摘む瞬間というものが少なからずあって。

「これもう誰かが似たようなもの書いとるやろ」と。端から決めつけて、そもそも物語として形を与える機を奪ってしまうのである。

 この「類似品がすでにあるだろうから形に起こすまでもないだろう」という思い込みは、中々に曲者で。未開のエリアへいざ行かんとする創作者の足を結構な度合で引っ張ったりする──ように思う。


 件の作品──正直なところ、紹介文を読み終えた時点である程度察しがついたのである。


 ああ、多分こういう方向性の話なのだろうなと。

 しかし、いざ蓋を開けてみればこの胸中はまさにキュンとしたしか云いようがなく。読者というものは、何も物語に予想を裏切り続けられることを本懐としていないし、予想通りであったところで色褪せぬものは色褪せぬのだよなぁ──と改めて思い知った次第である。


 物書きは「これもう誰かが似たようなもの書いとるやろ」と思い至るより早く、とりあえずそのキュンとしたものを、何か良いかもと感じ入れたものを、多少粗末でもいいから形にしてしまった方が良い。


 頭に浮かんだそれをそっくりそのまま落とし込むなどできないのだから。どうせ書いている途中で「あれ? こんな話にするつもりだったっけ?」となる。十中八九、良い意味でも悪い意味でも。


 誰かの予想に沿うものであったところで、面白いものは面白いのだから。


 それだけで魅力が損なわれしまうようであれば、それだけだったのだから。類似品がすでに存在しているだろうという憶測のみで、芽を摘んでしまうのはもったいない。

 縋十夏作品は、各所から「とても高校生が書いたとは思えない」と評されがちで、私もこと文体にフォーカスする限りはそのように思う節もあるのだが、物書きとしての"気勢"は、まさしく十代ならではのものだよなぁ──と甚だ思っている。


 縋十夏作品に対する(我ながら)ユニークな分析はこちら👇

 長四角の光る板 『疑心暗鬼の闇に 改訂版』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896176243/episodes/1177354054898812840

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