リアリティの壁(紛うことなきラブコメ) 『誘夜』

【作品情報】

『誘夜』 作者 縋 十夏

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054918547736


【紹介文】

 僕は生きようなんて思っちゃいない。だって、そうだろう。この美しい世界に僕は要らないのだから。

 ※フィクション作品です。この作品は自殺・自傷又は住居侵入等如何なる犯罪行為を推奨するものではありません。

 

 読み終えて「リアリティの壁だよなぁ」と独りごちたのですよ。

 ええ、毎度のごとく何云ってるかワケわかんないと思うので、どうか続きに耳を傾けて(というより目を遊ばせて)いただきたく。


 ──なに? 日本語の使い方がおかしい? もっと遊び心に囚われてどうぞ。


「リアリティのある作品=巧い」みたいな風潮あるじゃないですか。ともすれば「語尾に『かしら』を使う女なんていない」とか、スパダリ然り「こんな最適解ばかり出せる男はあり得ない」とか、そういう──いかにもまともっぽいご指摘。

 これに対して「いや、俺はこういう女性をリアルで知っている」とか、「このキャラにはちゃんと実在するモデルがいるんです」とかいう反論、気持ちわからなくはないのだけれど、論点としては若干ズレておりまして。

 ご指摘している側は何も「自分の認識している限りの現実にこんなヤツはいない」と主張しているのではなく、「"小説"にこんなリアリティの欠如したヤツが登場するのは許せない。指摘してやらねば」と意気込んでおるわけですから。

 そこに「いや、私の知り合いに事実こういう人いるんですよ」みたいな意見ぶつけたところで「はぁ? 知らんがな」とぶつけ返される他なく。


 結果、不毛極まりないループに陥りがちなのですよ。


 じゃあ、私ら物書きの端くれは総じてリアリティの追求に粉骨砕身するべきなのかというと、私はそうではないと思っていて。もちろん、好きでリアリティ追求する分にはイイと思うのですよ。ただ、それだけが小説の巧さなんだという信仰心を周りに押しつけてほしくないだけで。


 結局、大事なのは隙のない──読み手を納得させるための"雰囲気づくり"ではないかなぁと。


「語尾に『かしら』を使う女なんて」「こんな最適解ばかり出せる男なんて」でも、何だかんだ云って「この世界にならまあ居てもいいかな」と思わせてくれる、そんな徹底された雰囲気づくり。

 件の作品、読み終えた直後に「いや、こんな女いるぅ?」と思ったのですよ。こういう思考の浮上ばかりは避けられないじゃないですか。でも、すぐに「まあ、でもこの世界ならいてもおかしくないわな」とすんなり腑に落ちた。溶けて、ほどけていった。

 そうした"世界観への没入"に重きを置いたエンターテイメント性を踏まえると、成程これは紛うことなきラブコメであった。 

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