これからの彼ら
扉を開けると、すでにそこそこの人数が集まっていた。
僕に気づいたソウタくんが、「ミナセさん!」と駆け寄ってくる。
「来てくれたんですね」
「もちろん。席だけ取って、来ないわけないよ」
僕は笑って答える。
ソウタくんが、僕の隣に立つ女性を見上げたので、「ああ、この人は僕の彼女。取っておいてもらった席は、彼女に座ってもらおうと思って」と、紹介した。
「こんにちは。ミナセくんが、出演したいとか、席取っておいてほしいとか、色々わがまま言ったみたいで、ごめんね?」
膝に手をついてソウタくんに目線を合わせた彼女の言葉に、ソウタくんは、首を振って言った。「見てくれる人が、一人でも多い方が、嬉しいから」
彼女が、僕を見る。
「本当に、大人っぽい子だね……」
「ね、言った通りでしょ?」
ソウタくんが案内してくれた席へ彼女を座らせ、隣の席がまだ空いていたので、僕はそこに座る。彼女は物珍しそうに、キョロキョロと店内を見回した。
「すごいね。普段はカフェなんだよね? ここ」
会場は、アヤノさんのブックカフェだった。テーブルはすべて、バックヤードへと片付けられ、広くなった店内に、椅子が、普段飾られている小さな絵が外された白い壁に向くように並べられている。そこに、映画を写し出すのだろう。
普段のブックカフェの内装を知っていると、より一層、普段の姿とのギャップに、不思議な気持ちになる。
「寒くない?」
「こんなに着込んでるんだから平気だよ」
彼女は、着ている少し季節外れな厚手のセーターを示すようにしながら、笑って言った。
「ミナセくんは、何役なの?」
「プラネタリウムの解説員」
「まんまじゃん!」
「おかげで自然な演技が出来ました」
僕がおどけるように言ってみせると、彼女は小さく笑った。
「まったく、突然『映画に出演するから、見たければ外出許可を取れるように治療に精を出したまえ』とか言い出すんだもん。本当にビックリしたよ……」
下手な僕の物真似を交えながら彼女が言ったので、「僕の名演技が見たくて、本当に外出許可を取ってみせたくせに」と笑ってから、彼女の細い左手を優しくとって、僕の手の中に握り込んだ。彼女の手は、ひんやりとしていた。
今日は、久しぶりのデートだ。それも、うんと特別な。
*****
「……マジか」
女性と二人で入ってきたかと思えば、手を繋いで仲睦まじそうに話をしているミナセさんを見て、私が呟くと、隣に座っていたアキラが私の肩に手をポンと置き、「……ドンマイ」と慰めた。その手を優しくどけながら、「本当にそういうんじゃないから」と言うと、アキラはキョトンとした顔で、「何でちょっと嬉しそうなの?」と言った。べっつに~? と返しながらも、アキラの見えない角度で、思わず小さなガッツポーズを作ってしまう。
「一応共演者のよしみとして挨拶しに行くけど、アキラも行く?」
「え、私は、いいや」
「そ」
一人ミナセさんの元へと向かい、挨拶をした。ミナセさんは相変わらずの爽やかスマイルのまま、「お疲れさま。撮影、楽しかったね」と返してくれる。その間もずっと、隣に座った女性の手を握ったままだ。
ニコニコしながら、「彼女さんですか?」と聞くと、案の定、「そうだよ」との答え。心の中で再度ガッツポーズを作った。彼女さんが挨拶をしてくれたので、私もニコニコ顔のまま、愛想よく挨拶を返した。
「お似合いですね」
「ありがとう。ハルカちゃんもね」
「? 私、彼氏いないですよ」
「そうじゃなくて」
ミナセさんは、私にだけ聞こえるように、小さな声で、「アキラちゃん」とだけ、囁いた。
驚きに目を見開きながら、「……なんで?」と返すと、「いや、かなり分かりやすかったよ? それに」と言ってから、ウインクをして、「日々、愛とは何かについて、考えているからね」
気障なセリフにウインクを重ねて、それが様になっているものだから、何故だかすごくイラッとしてしまった。ドン引きした体を装って、「……うっす」とだけ返すと、彼女さんが小さな可愛らしい声を上げて笑った。
*****
「よお」
耳に馴染んだ低い声に振り向き、「来たか」と笑みを返した。友人は、「お前と店の外で会うなんて、何十年ぶりだろうな」と大袈裟なことを言いながら、私の隣の席にどさりと腰を落とした。
「お前、休みの日でもずっと店の中にいるだろう。根っこが生えちまうぞ」
「大丈夫だよ、毎日体操をして体を動かしているから」
「そういう問題じゃねえんだがな」
友人は、頭髪が少なくなり潔く丸めた頭を、手のひらで撫でた。
「にしても、この商店街を舞台にした映画が出来るってだけでも驚いたのに、お前の店がそれに出るなんてな。こんな歳になりゃぁ驚くことなんてそうないと思っていたが、今回ばかりは、流石に驚いた」
「私も驚いたよ。でも、それ以上にとても嬉しかった。私の店を、記録に残せるなんてね」
「お前の、”命よりも大切”な、店だもんな」
友人はニヤリと笑って言った。
映画の撮影が開始される際、コバヤシくん達から聞いた店での撮影予定日を、壁にかけたカレンダーに書き留めた。普段は、”納品”の予定くらいしか書き込むことのないカレンダーに、”撮影”だなんて、長い人生で初めて書き込んだものだから、なんだかとても面白くなり、仏前で妻に話して聞かせた。
撮影の日、私は外に出ているか、二階の住居部分に引っ込んでいましょうか、と申し出たが、撮影現場にいても構わない、と言ってもらえたので、お言葉に甘え、カメラの画角に入らないよう気を配りながら、少し離れた場所から撮影の様子を見学した。
カメラの前で、些かの緊張も滲ませず、普段の彼と全く同じ調子で台詞を流ちょうに述べていくオオモリくんに、私は感心したが、監督であるコバヤシくんはそう一筋縄ではいかないらしく、納得するまで何度も撮り直し、都度細かい指示を投げていた。オオモリくんはそれらにも嫌そうな顔を一切見せることなく、監督の求めに応じていた。
撮影終了後には、涼しい顔をしたオオモリくんとは対照的に、コバヤシくんは疲労困憊の様子だった。心配して声をかけると、「監督スイッチを、切ると、一気に疲れが、来るんですよね……」と、息も絶え絶えに言った。
皆にお茶と菓子を出すと、ひとしきり恐縮していたが、いざ手をつけ始めるとペロリと平らげた。気持ちの良い食べっぷりだったので、次回の撮影日の前には、より多くの菓子を買って準備をした。買い物籠に詰めた私の珍しい購入品に、馴染みの店主は少しだけ目を見開いてから、「タカナシさん、とうとうボケちまったのかよ?」と悲しそうな顔をした。
映画が完成したので、是非試写会に来てほしいと連絡をくれたマエカワくんは、「お世話になった人達を招待しているけど、少し席が余りそうなので、誰か、ご家族とかお友達とか、誘ってもらっても大丈夫です」と教えてくれた。
子宝には恵まれなかったので、妻を亡くした今、私に家族はいない。商店街の皆さんとは仲良くさせてもらっているが、友人というよりは顔馴染みという表現が近いように思う。友人は元々多くはないし、この年になると、元気にやっている友人の方が少ない。
そして、当日を迎えた試写会に、私は商売仲間であり、古くからの友人であり、今や唯一と言っても良い友人と、隣り合って座っている。
「この試写会が終わったら、店に寄るだろう? その時に、話したいことがあるんだ」
私がそう言うと、友人は、「……なんだか、良い話じゃない予感がするんだが」と渋面を作った。流石に古くからの付き合いだけあって、私の様子に
「確かに、”商売仲間”としては、あまり嬉しい話じゃないかもしれないね」
それを聞いた友人は、渋面を更に強めた。
ここ数年はずっと、店をいつ閉めるべきか、そのことばかり考えてきたが、映画の話が来た時、今なんじゃないか、と感じたことを思い出す。私と妻の大事な店が、ここに確かにあったんだということを、記録に、そして映画を見た人の記憶に残してから、店を閉じることが出来るのだとしたら、この上なく最良の機会ではないだろうか。
店を閉じたら、あの少年、オオモリくんに店をあげると約束した。彼がそれを覚えているか、本気で捉えているかは分からない。だが、やりきった気持ちで一杯の今は、別にどちらでも構わないとすら思える。
店を閉じたら、”妻に会いに行く”という夢を、叶えるつもりだ。
友人が、何かを言おうと口を開いた瞬間、コバヤシくんとソウタくんが、皆の視線の先に歩み出た。
唇の前に人差し指を立て、「幕が上がる。話は後にしよう」と小さな声で告げた。
友人は何かを言いたそうな顔をしたが、不承不承といった体で、腕を組んで前に向き直ると、荒い鼻息を吐いた。
*****
そうして幕は上がる。
人は銀幕に夢を見る。
上げた幕は、いつか必ず、下ろさねばならない。
*****
拍手が鳴りやんで、席を立とうとすると、「アキラごめん、ちょっと待ってて」とハルカが言って、ミナセさんの元へと行ってしまった。「あ、うん」と返した言葉が、届いたかどうかも怪しい。
ミナセさんと談笑するハルカを見て、ぼんやりと考える。
映画が始まる前、ハルカは私に、ミナセさんに一緒に挨拶しに行くか、と聞いた。顔には出なかったと思うけれど、ちょっとだけ驚いた。いつものハルカなら、多分、私には来るなと言って、一人でミナセさんの元に行ったと思う。なんとなくだけれど。
私とハルカはしょっちゅう一緒にいた。バイト先は違うけれど、大学の学科は一緒だし、サークルはお互いに入っていない。バイト、睡眠を除いた時間の内、体感で7割方は一緒にいたんじゃないかと思うほどだ。
だが、撮影が始まってから、撮影にはハルカは一人で出かけて行った。ついて行きたかったけど、拒否されたので仕方がない。一人の時間を過ごしながら、今頃どんなシーンでどんなセリフを口にしているのだろうか、と、考えてもしょうがない思想を巡らせた。
7割方一緒にいた時間が、5割ぐらいに減って、それでも十分すぎるほど一緒にいるはずなのに、その減ってしまった2割がなんだか勿体なくて、私の知らないハルカを見ている人がいることがちょっとだけ悔しくて、ハルカについて一番詳しいのは私だと、誰にともなく主張したくなって。撮影期間は、なんだか、自分の気持ちがモヤモヤとする日々だった。
私って、こんなに束縛の強いやつだったのか? 心の中で、小さく首を傾げる。
「お待たせ~」
ハルカが戻ってくる。「じゃ、行こっか」と言って、ハルカは笑った。
撮影は終わった。また、二人だけで過ごせる時間が増えるだろう。そう考えて、私も口角を上げた。
*****
互いに挨拶を交わしたり、談笑したり、出口へ足を向けたりと、決して広くはない店内で人々が思い思いに動き、混み合っていた。
少し落ち着いてから動こうと思い、暫く座ったままで待っていると、「タカナシさん」と、声をかけられた。見ると、コバヤシくんたち高校生組と、ソウタくんだった。改めて、店を貸したことへのお礼を述べられる。
「お役に立てて良かったです。映画、面白かったですよ」
そういうと、コバヤシくんもイズミくんもソウタくんも、ホッとした様子だった。主演を務めたはずのオオモリくんは、特に表情は変えなかった。
映画には明るくないが、良い映画だったと、私は思う。店が映った時には、撮影現場に立ち会っていたのに、何故だか感慨深い気持ちになった。
私の、”命より大切”な店の締めくくりに、相応しいと、そう思えた。
「タカナシさんのお店、今後も長く続くことを願ってます」
イズミくんの言葉への
小学生に屈託のない笑顔で言われると、私も曖昧に笑いながら頷くしかなかった。まさかここで、閉店のお知らせと、まして私の夢の話をするような、野暮な人間ではないつもりだ。
イズミくんが、ソウタくんの肩に手を置きながら、補足を入れる。
「今回のプロジェクトは、ソウタくんの発案で始まったんですけど、映画を作るだけじゃなくて、その後の聖地巡礼による効果も期待しているんです。だから、お店が出来るだけ長く続いてくれると、嬉しいんです」
聖地巡礼の話は、映画撮影の依頼を受けた際にも聞いていた。なるほど確かに、映画を見て気に入ってくれた人が、この商店街に、そして私の店に来てくれるのは、とても、とても嬉しい。
けれど、そんな日が本当に来るか、すぐに来るかは分からない。それまでの間、経営が保てるかも、少し、自信がない。目の前の若者達のように、未来を希望のこもった目で見れない、自分の老いを自覚する。
一先ず、「頑張ります」とだけ言って、お茶を濁そうと思って口を開いた時、先に「それに」と声を上げたのは、オオモリくんだった。
多人数で話している時に彼が発言するのは、珍しく感じた。皆の視線が彼に集まったが、彼は少しも臆した風もなく、「あの店を、貰う約束をした。その時まで、なくなられたら困る」と言ってのけた。
「えっ、オオモリくん、そんな約束してたの?」
驚くコバヤシくんに、オオモリくんが黙って頷く。私の隣で黙って話を聞いていた友人が、私をじとりと睨んだのが分かったが、気付かないふりをした。
「あの店の、雰囲気が、好きだから」
「あ、それは分かるかも。なんか、時間の流れがゆったりしてるよね」
「ああ」
「それに、あの店にオオモリくんって、似合ってるかもね。オオモリくんがあの畳のところに座って、隣で犬が寝てるところを想像したらさ、すごいしっくりきた」
「犬」
コバヤシくんの言葉に、オオモリくんが少しだけ目を丸くした後、自分も同じ様を思い浮かべたのだろうか、「それ、最高だな」と言って、大きな笑みを浮かべた。
私が今までに見たオオモリくんの表情の中で、一番良い表情だった。
束の間のお喋りを楽しんだ後、店内の人の動きが少し落ち着いた頃合いを見計らって、暇を告げた。
友人と並んで、店に向かって歩く。友人が、「……で? お前の店で、何の話をするってんだよ」と、聞いた。
暫く黙っていた私を、友人は急かしはしなかった。ただ黙って、隣を歩いてくれた。長い時間考え込んでから、私は
「……向こう10年は、店を潰す訳にはいかなくなった。作戦会議に、付き合ってくれないか」
友人はそれを聞くと、ニヤリと歯を見せて、「そうこなくちゃな!」と言って、私の背を強く叩いた。
強く叩かれたせいで、暫く背中がじんじんと痛んだ。
*****
とっくにどうしようもないことなのに、試写会が無事に終わって、なんだかとてもホッとした。思わず大きく息を吐きながら、椅子の上でずるずると体を滑らせた。隣に座るヨシノが、「お疲れ、脚本家殿」と言って、肩をぽんぽんと叩いた。
「意味もなく緊張した……脚本を完成させたのは、ずっと前だってのに……」
「お前、自分が書いた作品を他人に見せるの、苦手だからじゃね?」
「ああ、そうかも……」
椅子に浅く腰掛け、溶けきった姿勢のまま天井を見つめて、「……終わっちゃったかぁ……」と漏らした。ヨシノがこっちを見たので、「就活……再開させないと……」とぼやいた。試写会が終わるまではそれだけに集中しようと、心の中で言い訳をして、結局、就職活動は休止したままだった。ヨシノが申し訳なさそうな顔をして口を開きかけたので、「謝ったら殺す」と先に言うと、「……おう」とだけ、返ってきた。ちなみに、ヨシノは早々に内定をもらい、就職活動を終了している。話を聞くと、中小企業ながら安定していて福利厚生も厚い、なんともヨシノらしい会社だった。
「まあ、執筆の時間が無くなった分、バイトの時間も増やせるようになったし、生きてくだけならなんとかなるだろ」
能天気にそう言ったが、背後から聞こえたアヤノさんの「マツダくん、出世払いのこと、忘れたらあかんで」という言葉に、思わず固まった。ギシリと首を回し向けながら、「……モチロン ワスレテ ナイ デスヨ?」と返す。
アヤノさんは腰に手を当て、「トイチ、なんて意地悪なことは言わへんから、生存確認も兼ねて、これからもたまには顔出してな」と言った。小さな声で、心配してんねんで、とも付け加えられる。
「すみません、マツダがご迷惑をお掛けしてるみたいで」
ヨシノがアヤノさんへと頭を下げたので、すかさず「おい待て誰のせいだと思ってんだ」とツッコミを入れた。だが、アヤノさんはそんなの聞こえていないように、「いやいや、日々やつれていくマツダくんを見てたら、今、恩を着せておくのもアリやな、って思っただけやから」と、顔の前で手を振った。
「ちょっとアヤノさん! こいつが、こいつが”あの”ヨシノですよ!? こいつがすべての元凶なんですよ!」
「ヨシノくんも悪い思うけど、マツダくんが意地張りすぎたんも悪い」
「なんと!?」
アヤノさんは俺の味方だと、何故か当然のように思い込んでいたので、必死の訴えをバッサリと切り捨てられて、俺は慌てふためいた。ヨシノはボソリと、「……俺は一応、就活はしろって、忠告したぞ」と呟いた。
「あんなタイミングで言われて、素直に聞ける訳ないだろ!」
「だからそれが意地の張りすぎゆうてんねんで」
「そんなぁ~……アヤノさぁ~ん……」
大岡越前よろしく、俺とヨシノの訴えを平等に聞くアヤノさんに、俺は一介の農民よろしく、ああだこうだと言い訳のような主張をひたすら繰り返した。
そんなやり取りをしていた時だった。
「君が、マツダくん?」
突然のその問いかけに、アヤノさんやヨシノとの会話を止めて振り返ると、オオシマさん――の隣に立つ、オオシマさんと同年代くらいの男性だった。
「はあ」と気の抜けた返事をすると、「初めまして。私、こういうものです」と名刺を差し出される。受け取り、手の中のそれを見ると、知らない出版社の名前。オオシマさんが、横から補足を入れる。
「こいつ、大学のサークルの同期。僕が招待したんだよ。撮影のやり方とか、忘れていることが多かったから、こいつに色々聞いたりしてたんだよね」
「あ、はじめ、まして。マツダです」
慌てて挨拶を返す。学生ながら急に大人の会話に放り込まれたのを察して、緩み切っていた背筋を伸ばした。
「映画、面白かったよ。あれ、君が脚本書いたんでしょ?」
「あ、はい、まあ、そう、です」
久しぶりに、全くの初対面の人と話したので、なんだか口が上手く回らない。
「映画の脚本、前にも書いたことあるの?」
「あ、いえ、脚本、は、初めてです。文学サークルなんで、小説は、書いたこと、あったんですけど」
「へえ、そうなんだ。どうだった? 難しかった?」
執筆の期間のことを思い出しながら、言葉を選びつつ答える。
「難しいというか……まあ、初めてのことなんで、分からないことは多かったです。けど、元々文章を書くこと自体は好きなんで、調べたり、教えてもらったりしながら、なんとか、完成まで……って感じ、ですか、ね」
「楽しかった?」
予想外の質問に、一瞬戸惑いながらも、答える。
「最初は、正直ちょっと辛かったですけど……飢え死にしそうになったらご飯食べさせてくれる人はいたし、心が折れかけたら励ましてくれる人もいたし、で、なんとか続けられて……後半は、段々、楽しくなってきた、気が、します」
ヨシノとアヤノさんが顔を見合わせたのが分かったが、恥ずかしいので、そちらは見ないようにした。
「そっかそっか、それは良かった」
その人は何故か、ニコニコと嬉しそうにした。なんでこんなことを聞くのだろうと思っていると、
「うちの出版社、名前も知らないでしょ? すごく小さな会社で、人数も少なくてさ。今ちょっと人手が足りなくて、雑用から何から手伝ってくれる、若い子を探してて。最初は体力的にキツいかもしれないし、アルバイトではあるんだけど、もし興味があれば、手伝ってくれないかな? そこら辺のアルバイトより少しは実入りが良いと思うし、頑張り次第では、正社員への道もあるよ」
ポカンとしていると、慌てて付け足すように、「あ、ただ一応、面接はさせてもらうけどね。まあ、話だけでも聞いてもらえれば」
後で連絡をさせてもらう約束をして、詳しい話はその時に聞くことにした。
オオシマさんと一緒に去っていく後ろ姿を呆然と見つめていると、ヨシノとアヤノさんが口々に、おめでとうと祝ってくれた。その祝いの言葉と、二人にバシバシと叩かれる背中や肩の痛みで、ようやく現実感が湧いてきて、徐々に口許に笑みが抑えられなくなってくるのを感じた。
アヤノさんが俺の肩に顎を載せるようにして、俺が手にしたままの名刺を覗き込んだ。焼きたてのパンの匂いに似た、なんだか美味しそうな良い匂いが鼻孔をくすぐった。アヤノさんが、「東京かぁ」とぼやく。
「ここに勤めることになったら、マツダくん、都内に引っ越すん?」
「そうですね。ここからだと結構時間かかっちゃうし、実家はもっと遠いし、近くて安い部屋を探して、引っ越しですかね」
「なんや寂しくなんなぁ」
「俺もちょっと寂しいですけど、大丈夫です、またすぐ来ますよ」
「ほんま?」
「はい! 初任給が入ったら、いの一番に借金返済に来ます!」
ようやく未来に希望が見えてきた嬉しさから、握った拳に力を込めて返事をすると、何故かアヤノさんは、寂しそうな微笑みを見せた。
「1回で返済せんでええねんで。少しずつ、少しずつ、長い時間かけて、じっくり返してくれれば」
「でも、いつまでも甘えっぱなしって訳には……」
「うちがそうしてほしいんやって。1回で返し終わったら、つまらんやん?」
「つまらない?」
「もうマツダくんのこと、ちょくちょくいじれんのか思たら、つまらんくて」
「返済が終わった後でも、時々遊びに来ますって」
「ほんまかな~」
「本当ですよ」
「やっぱり、1回の返済額に、上限を設けよかな。何度も遊びに来てもらえるよに」
「そんなことしなくても、ちゃんと全部返しますって」
「そこを心配してるんちゃうって」
「じゃあ何が心配なんです?」
「……」
俺とアヤノさんの会話を横で聞いていたヨシノが、愕然とした顔で、「マツダ……お前、本当そういうところだぞ……」と言った。
「何が?」と聞いたが、ヨシノはそれには答えず、アヤノさんを見て、「本当にいいんですか、こいつで」と聞いている。アヤノさんは、「でも、そういうとこも含めてやんなぁ」と、困ったように笑いながら答えた。
「ねえ、何が?」と再度聞いても、誰も教えてはくれなかった。
*****
「マツダくん、頑張り屋で良い子だから、よろしく頼むよ」
隣を歩く友人に言うと、「まあ、面接次第だけど、本当に働いてもらうことになったらちゃんと面倒見るから、安心しろよ」と、胸を張った。その姿が20年以上前と変わらなかったので、思わず、「不安だ……」と、本音が漏れた。
「何がだよ」
「いや、お前、サークルで”監督スイッチ”ぶりがすごかったから。もしかして、仕事でもそうなんじゃないかと思って」
「そんなことないって」
ヘラヘラ笑っている姿も、20年以上前と変わらない。あの頃も、”監督スイッチ”がオフの時には、こんな風にヘラヘラしている奴だった。なのに、オンになった瞬間に身に纏うオーラがガラリと変わり、メンバー全員息を呑んだものだ。うっかり、オンになっていることに気づかずに、オフの時と同じように話しかけてしまった者は、ドッと放たれた殺気に身を震わせた。
マツダくんが上京する前に、「何かあったらいつでも連絡して」と、連絡先を渡した方が良いかもしれない……と思いつつ、心の中でマツダくんに合掌した。
「それより、20年ぶりの再会を祝して、行くだろう?」
友人が、顔の前で盃を傾ける身振りとともに言う。
「あ~、良いんだけど、今、酒飲めないんだよ。ほら、今ダイエットしてて」
お腹を撫でて見せながら言った。夏の頃に比べれば、少しは締まってきた気もするが、まだまだ中年らしさを露呈している腹が、そこにはある。
「じゃあ、お前はノンアルでも良いから、うちのサークルのマドンナも、呼ぼうぜ」
ニヤニヤしながら、妻の名前を告げられる。
「……今は、ただのおばさんだよ」
「俺たちも、おじさんだけどな」
友人は笑って言った。……どのみち、店に寄るなら、家には連絡を入れなければならない。その時、ついでに来るかどうか聞いてみるのも、ありだろう。
渋々携帯電話を取り出していると、友人が妻の名を挙げながら、「まだ飲める口なの?」と聞いてきた。
そういえば、妻が飲酒している姿を暫く見ていないことに、そこで気が付いた。昔はそこそこ酒に強く、サークルの飲み会でも、ノリ良く、楽しそうに飲んでいたことを思い出す。……ある境界を越えて飲んでしまうと、手が付けられなくなるけども。
携帯から家の固定電話に発信すると、友人が横から携帯を奪い取った。
「お前がただのおばさん呼ばわりしてたこと、言ってやろっと」
恐ろしいことを言われ、全身に冷や汗が噴き出す。
「おいバカやめろ返せ殺される!」
取り返そうとしている間にも、友人の手の中の携帯から、「はい、オオシマです」と、妻の声がする。
「どうせだから娘さんも呼ぼうぜ」
俺から携帯を奪い返されないよう、思い切り遠ざけながら、友人は言う。
「なんでだよ関係ないだろ!」
「いや~親の若かりし頃の話に興味のない子どもなんていないだろ。お前がいかに小賢しい真似をして数多のライバルを蹴散らし、うちのマドンナを奪っていったかを教えてやらねば」
「本当にやめろって!」
ギャーギャーとやりあっている間、携帯電話からは、「……何やってんのよ」という、妻の呆れ返った声が聞こえていた。
*****
試写会には、映画を作るのにお世話になった人たちを招待した。
そして、プロジェクトのメンバーは、一人ずつ、完成させた映画を見てほしい人を招待して良いことになっていた。オオシマさんは大学のお友達、マツダさんはヨシノさん。
そして、僕が招待したのは、もちろん―――――
「まさか、ソウタくんが映画を作るとは」
試写会が終わってハナのところへ行くと、ハナは真っ先にそう言った。
ドキドキしながら感想を待つと、それに気づいたように、ハナが、
「面白かったよ。すごいね、ソウタくん、プロデューサーだったんでしょ?」
「うん」
「頑張ったね」
ハナが、僕の頭をくしゃくしゃと、遠慮なく撫でくり回す。
下を向いたまま、何かをごまかすように、「別に、商店街に、人が増えたら、僕も、嬉しいし」と言うと、「知ってるよ」と、優しい声が降ってくる。
「そういえばね、この前、学校で、自分が将来なにになりたいか、作文に書いたんだ」
「へえ、なんて書いたの?」
「”プロデューサー”」
そう言うと、ハナはとても楽しそうに笑った。
「お父さんやお母さんには、見せた?」
「もちろん」
「なんて言ってた?」
「読んだあと、『何のプロデューサーに、なりたいの?』って聞かれたから、『映画。あとは、チイキシンコウとか』って言ったら、ポカンとしてた」
ハナの笑い声が、大きくなった。目尻には涙が浮かんでいた。
ふと、僕の頭を好きに撫でていたハナの手が止まり、そのまま頬っぺたに添えられる。頬っぺたを揉むようにしたり、軽くつまむようにして好きに遊ばれる。軽く上を向かされて、無理やり目を合わせられた。
ハナが、「ありがとね」と言った。目が、ほんの少しだけ赤かった。さっき笑いすぎたからだろう。「な、なにが?」と返すと、「なんでも」
僕の頬っぺたで遊び続けられて、恥ずかしさが限界を越えたから、「ひゃめて」と伝えた。
声を上げて笑うハナは、窓から差し込む日の光の中にいた。
*****
*****
*****
定休日であろうとも、やるべき仕事は、山のようにある。
朝から、バックヤードに置いているパソコンを使って、面倒で仕方ない会計の仕事に立ち向かっていたけれど、すぐに飽きてしまった。大きく伸びをしてから、すでに温くなり始めているコーヒーに口を付けた。自分好みに淹れたコーヒーは、今日も、とても美味しい。
仕事に飽きたついでに、カフェのHPに載せているメールアドレスにメールが来ていないかを確認すると、懐かしい名前が記されたメールが届いているのを見つけた。
その子は、以前このカフェに通っていた常連客だ。本が好きで、好きで、たまらなくて、とうとう自分でも書き始めてみたんです、と照れくさそうに話してくれた笑顔を思い出す。大学を卒業した後は故郷に戻ってしまい、それ以来会っていないけれど、名前を見てすぐに顔を頭に思い浮かべることができた。
曰く、映画好きな友人と話していた際に、その口から語られたこの商店街の名前に、とても懐かしさを覚え、続けて私のことを思い出し、連絡をくれたのだという。
元気でやっているという近況報告の後に続いた、「私、今でも小説を書き続けているんですよ」という嬉しい報告に、思わずにんまりしてしまう。
もしも彼女がプロデビューする暁には、お店の一角に特設コーナーを設けて、「当商店街出身! 新進気鋭の作家!」と大々的にアピールしようと心に決めてから、返信を打ち始めた。
送信ボタンを押してから壁に掛けた時計を見ると、もうお昼前の時間になっていた。彼女が教えてくれた小説投稿サイトにアクセスしたり、懐かしさから思い出話を長々と綴り過ぎたりしてしまったようだった。
これは、今日中には終わらんかもしれんなぁ。
息を吐いてから、とりあえず昼食を済ませてしまおうと、キッチンに立つ。
ありもので適当に昼食を用意して、客席に座って食べながら、窓の外の人の流れを眺める。ふと、近くの高校の制服を着た男子高校生3人組が、仲良さそうに話をしながら通り過ぎていくのが見えた。たしか、コバヤシくん達が通っている高校と、同じ学校のはずだ。
映画の試写会が終わり、新年度を迎えて少し経った頃、コバヤシくんとイズミくん、それからオオモリくんが、お店に来てくれたときのことを思い出す。無事に完成した映画は、これからは色々な場所を借りて、上映を続けていくのだという。
「まだまだ小さな、それこそ貸し会議室みたいなところからですけどね」と言って、コバヤシくんは照れたように笑った。商工会長とも協力しながら、町の公民館のホールを借りる計画も立てているらしい。引き続き、ネットで宣伝を続けていると言う彼らは、完成後もソウタくんと一緒に、以前よりも少しだけ忙しい日々を送っているようだった。
「アヤノさん、ありがとうございました。アヤノさんに背中を押してもらわなかったら、いつまでも計画するばかりで、実行に移さなかったと思います」
イズミくんの言葉に、コバヤシくんもうんうんと頷いて同意する。
「うちはなんもしてへんよ。全部、君らでやったことやろ?」
「そんなことないです。アヤノさんのおかげで一歩を踏み出せて、そこから全部始まったんです」
「そんな褒めても何も出えへんで。カフェモカのお代わりいる?」
そう言うと、コバヤシくん達は、カラカラと笑った。
「それで、僕達、折角貴重な経験をしたんだから、これからも続けていきたいと思ってて」
「続ける?」
「はい。あの、高校で、映画同好会を作ろうかなと思って」
「ええやん!」
なんだか自分のことのように喜んでしまった。イズミくんによると、部の承認には部員が10人以上必要だが、同好会は5人で良いらしい。ピカピカの新入生の中から、興味を持ってくれそうな子を探すところから始めているらしい。が、
「オオモリくんも、入らない?」
コバヤシくんの言葉に、イズミくんと私は、驚いてコバヤシくんを見た。それだけじゃない。オオモリくんも、珍しく驚いた顔をしていた。
「良いのか」
「うん、オオモリくんが良ければだけど……サッカー部もあるだろうから。兼部がダメじゃなければ」
「……なんで」
「オオモリくんと映画を作るの、楽しかったから。良ければ、また一緒に映画を作れたら、嬉しい」
単純明快なコバヤシくんの言葉に、オオモリくんは少し息を吸ってから、
「……俺も、映画作るの、面白かった」
「オオモリくんが……!?」
「面白い!?」
イズミくんと私の言葉に、オオモリくんは不服そうな顔をした。でも、コバヤシくんはそんな私達のリアクションは気にすることもなく、「じゃあ、決まりだね」と言って、楽しそうに笑った。
長い回想を終える頃には、皿は空になっていた。
作るのは30分でも、食べるのは5分やもんなあ。
深い息を吐いてから、食器をキッチンへと運んだ。そのままコーヒーをもう1杯淹れなおして、再び仕事に取り掛かるため、カップを持ってバックヤードに戻った。
椅子に座って、ひとまずコーヒーに口を付けた。淹れたてのコーヒーは、食後の体の隅々まで染み込んでいくような美味しさだった。
コーヒーを飲みながら、壁に貼った写真をぼんやりと眺めた。紫色の空に無数の星が輝く、とても美しい写真だった。そして、その星空を背景に笑顔を見せているのは、ミナセ君。そして、ミナセ君に肩を抱かれるようにして、隣で笑っているのが、ミナセ君の彼女さんだ。
写真の下には、小さな字で「テカポ湖(ニュージーランド)にて」と、書き添えられている。
誰もいない部屋の中で、「仲がよろしいこって」とぼやきながら、わざとらしく唇を尖らせた。
さあ、今度こそ仕事を再開しようと、パソコンのキーボードの上に手を載せた瞬間、携帯電話が震えた。この間の悪さは、と思いながら画面を見ると、案の定、マツダくんからの着信だった。
「もしもし?」
「あ、アヤノさん」
ザワザワとした環境音を背景に、マツダくんの声が聞こえる。どうやら外からかけてきているらしい。
「あの、今、お店って混んでます? あと、20分くらいで着くんですけど」
「へ? 何言うとんの? 今日はお店、お休みよ」
「えっ? ……あっ、そっか! 今日は」
「なんやマツダくん、もう定休日忘れてもうたん? 悲しいわぁ」
相変わらずだな、と思って、思わず苦笑してしまう。
「いや、土日休みじゃなくなったら、曜日感覚が狂っちゃって……本当、うっかりしてました。すみません、帰ります……」
「かまへんよ。開けたげるからおいで」
「え、でも」
「ちょうど今お店におるしね。マツダくんだけ、特別やで」
「じゃあ……お言葉に甘えて……すんません」
「ええって。待っとるで。なんなら泊まってってもええんやで」
「それは大丈夫です!」
即座に通話が切られて、声を出して笑う。相変わらず、マツダくんをいじるのは楽しい。
もう今日は、仕事は出来ないな! と、潔く諦めることにした。
マツダくんを迎える準備をしようと、再度、客席へと戻る。
閉じていた店のドアを開ける。気持ちのいい風が吹き込んできて、思わず深呼吸をした。
明るい陽射しの中の商店街を、とてもたくさんの人々が、楽しそうに行き交っていた。
了
きみの物語になりたい/同題異話短編集 小木 一了 @kazuaki_o-o
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます